99.明迅学園の変化(下)
「は……?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
一体どうしてそんな言葉が飛び出すのか分からない。
今回の同時多発転生での一番の問題は、目覚めてしまった前世と今世の間でのギャップが激し過ぎることだった。
生きるために定期的に体内の魔素を発散させなければならない魔晶族は、前世が主導権を得た場合その本能まで得てしまう。実際は人間の身体だから魔素を発散させる必要などないわけだが、そうしなければ我慢が出来ない状態になってしまうわけだ。
そして八千代や先輩たちのように前世で知能の高い魔晶族ではなかったヤツらは、周りの環境に悪影響が出ない放出量や手段を見つけられず、意味もなく暴れることしか出来なくなった。幸い今世の記憶は共有していて『この場所で暴れてはいけない』ことは理解しているからラインギリギリで踏み止まれているようだが。だがそのせいで暴れても思うように発散出来ず苦しんでいる、というのが現状だ。加えて、前世の八千代への恨みもあって余計ややこしいことなっている。
もちろん人間から人間に転生している明迅学園じゃそんなことは起こらないだろうが、前世と今世の人格のせめぎ合いくらいはありそうなものだ。実際律は前世に恨みを持ったヤツらから酷い目に遭わされていたんだから。
だが今の律の言い方じゃ、そうではないのだろうか。
「な、何だよ、お前のとこは違うのか?」
「前世の力と記憶を取り戻した影響で言動が変わったやつはたくさんいたけど、前世の人格そのものになったやつなんていないよ。自ら前世の名前を名乗って前世と同じように振る舞うやつなんて、頭おかしいと思われるに決まってるじゃん」
「綾斗、言われてるぞ」
「……」
視界の端で矢吹先輩に横目でそう囁かれた蓮水先輩が頭を抱えている。
当初、前世に乗っ取られてなかったのにルカのフリをしていた蓮水先輩には耳の痛い言葉だろう。ルミベルナの記憶改竄の影響でおかしくなっていたとはいえ、この様子を見るに本人の中で完全に黒歴史化してしまったようだ。
「乗っ取られてないフリをしている可能性は?」
だが、律の言うことには一部納得がいかない部分もある。
六天高校の転生者の前世は魔晶族、一部を除いて知能が低かったヤツらばっかりなのだ。前世の名前で呼び合っていたのも、今世の人格が別にいるのは理解していただろうが、そう振る舞えるだけの知能がなかっただけだ。前世も人間だった明迅学園の転生者はそうじゃない。
不本意に矢吹先輩を乗っ取ってしまったアイリーンがそうしたように、何事も起こっていないように振る舞っているだけなのではないか。
だが律はそんなオレの疑問に首を横に振った。
「演技してればどう取り繕っても必ずどこかに違和感が出てくるもんだよ。そんなやつがいたらすぐに分かる」
そんな簡単に分かるものかよ、と言い返したかったが、その顔は本気で何も言えなくなった。
「ま、この通り明迅と六天の転生者では前世の影響の出方に結構な違いがありそうだってこと。この色だってそうだしね」
そんなオレを見て、律は少しだけバツが悪そうに笑った。プラチナに変わった自分の髪を指にくるくると巻きつける。
「詳細は追々話すとして、さっきのノゾムの問いの答えだけど……普通に考えてさ、仮に今のおれに何の恨みも無かったとしても、助けようとするだけ無駄でしょ」
「そんなことねーと思うが……」
「ほら、明迅学園って地域の権力者の血縁が多いじゃない? そいつらからの圧力で教師たちは動けないんだよ、自分たちの給料はそいつらの家の寄付金から出てるようなもんだし。外に訴えようにも同じ理由で揉み消されるから何の意味もない。最悪おれと一緒にいじめのターゲットにされる可能性すらある。
……そんな状況で自分の身を危険に晒して助けようとするやつなんていると思う? しかも相手は前世でとはいえ散々な目に遭わされたやつだよ?」
「ッ……」
思わず唇を噛む。思っていた以上に律の現状が詰んでいる。
今は矢吹先輩のおかげでいじめは止んでいるらしいが、一時的なものかもしれない。今後矢吹先輩でもどうにもならない方向からやり返してくる可能性だって……。
律の前世が決して許されないことをしたことは分かっている。だが律自身が何かをしたわけではないし、何よりコイツはオレの親友だ。
明迅の教師たちみたいに見て見ぬふりなんて出来るわけがない。どうにかしないと、でも、どうすれば――
「なあ、この同時多発転生の件が解決すれば、お前に何かしてくるヤツはいなくなるのか……?」
やっとのことで絞り出した声は、自分でもビックリするほど情けないものだった。
「……どうだかねえ。前世関係ない単なるおれへの私怨で手を出してくるやつもいたし、この騒動の全貌を明らかにしただけではどうにもならないんじゃないかな」
「そんな……」
「前世の記憶が戻ったのはきっかけでしかなくて、いずれ同じようなことは起きてたと思うよ」
ハッキリとそう言われて愕然とする。
今回の騒動を明らかにしてもどうにもならないって? じゃあコイツはずっとこのままってことなのかよ……?
イヤ、それよりも――
「お前、なんでそんな平然としてられるんだ……?」
いじめはなくならないと話す律に不安や焦燥といった感情はどこにもない。自分自身のことなのにケロッとしていて、落ち着いていると言えばいいのか悟っていると言えばいいのか――そう淡々と話す姿に思わずそんな言葉が飛び出していた。
「こんな地獄みてーな状況なのに」
「……地獄?」
少し低くくなった声にはっとする。
目つきの鋭くなった律の顔は、どこか怒っているようにも泣き出しそうにも見えて、息を飲んだ。
「こんな生温い地獄があってたまるかよ」
激情の滲んだ声でそう吐き捨てる姿は、何といえばいいのか――あまりにもオレの知っているコイツらしくない。これも前世の記憶が戻った影響なのだろうか。
それに、今の言葉。その言い方じゃあ――今以上の地獄を味わったことがあると、言っているようなものじゃないか。
固まってしまったオレに、本人も今の自分の態度に気がついたのだろう。きまりが悪そうな顔で頭を掻いた。
「あー……ごめん。別に強がりでも何でもなくてさ、これまでの経験に比べれば今は本当にマシなんだよ。確かに呪いがかかってる間はしんどかったけど……それでもあんたとか千寿さんとか、気にかけてくれるやつだっていたんだし」
サーシス王の壮絶な人生も、律の家庭に起きた出来事も話だけは知っている。だがきっと――それはオレが想像する以上に凄惨なものだったのだろう。今の状況が生温いと言い切れるほどには。
「それに、おれだってこのままただやられっぱなしでいるつもりはないよ」
「? 何か考えてんのか?」
「……ちょっと迷ってはいるけどね。おれの今後の人生にも関わってくるし、面倒な手順だってあるし」
今後の人生に関わるって何だ……?
何だか嫌な予感がして口を開こうとしたが、それよりも先に矢吹先輩が慌てたように身を乗り出した。
「待ってよりっくん、まさか犯罪とかに手を出したりしないよね!?」
「出しません。今世のおれは前世みたいな無敵モードじゃあないんですよ。あくまでもおれに非は無い方法でやり返します」
きっぱりとそう言い返され、矢吹先輩は眉間に皺を寄せたまま口を閉じる。その表情を見るに、あまり安心は出来ないらしい。そりゃそうだ。きっと今のオレだって先輩と同じ顔をしているだろう。
そんなオレたちを見て、律は腕を組んでもう一度言い直した。
「二人が心配するようなことは本当にしないんだって。今はどっちでもいいように種だけ蒔いておいて……今後の明迅がどうなるかで決めるつもり」
律と矢吹先輩の視線が交わる。そのまま数秒の沈黙が流れて、矢吹先輩は観念したように「分かった」と小さく頷いた。
「でも、前にも言ったと思うけど、何かあれば相談して。一人で抱え込まないで。あたしも望クンもりっくんの味方なの、忘れないでね」
「……分かってるよ」
両手で律の肩を掴みながらそう何度も念を押すように伝える矢吹先輩に、目を逸らしつつそう答える律。その様子は過保護に心配してくる姉とちょっとうっとおしがっている弟のようで微笑まし――
……?
待て。
何だ、この二人の違和感は?
話の流れは自然だし、やり取りも仲睦まじい姉弟のようでおかしな所は何もないはずだ。ないはずなのに……。
その違和感の正体に、オレは結局気づくことは出来なかった。
◆
「あ、あの……樫山さん。結局、糸杉千景は行方不明のままなんですか?」
千寿陽菜が来るまでもう少しかかりそうだったので先に前世知識の勉強会を始めようという流れになった時、ふと八千代が律におずおずとそう訊ねる。
「あいつなら今日も学校には来てなかったよ」
「そうですか……」
その問いに律はさっきオレに配られたものと同じ資料をパラパラと確認しながら答えた。
八千代曰く、糸杉千景は製鉄所の爆発に巻き込まれてしまったとのことだったが……やはり学校には来ていないらしい。
八千代は小さく頷き、視線を下に向ける。浮かない八千代に律は訝し気な顔になった。
「あの爆発に巻き込まれたんならまず形すら残ってないでしょーよ。仮に生きててもあんたに関する記憶は消えてるんでしょ? 散々苦しめられた相手がいなくなったんだからもっと安心したら?」
「それは……そうなんですけど」
そう簡単には安心できないか。前世でも今世でも自分をストーカーしてきた相手だ。なぜそこまで八千代が欲しかったのかは分からないが、その執念だけは本物だった。またいつか突然目の前に現れやしないかとオレですら思うのだから、本人は猶更だろう。
「ま、あいつに関しちゃおれは清々してるよ。権力を笠に着て好き勝手し過ぎたから、手痛いしっぺ返しを食らったんだ」
「説得力が違うな」
蓮水先輩がそう言ってコホンと軽く咳をする。
「だが突然行方不明になって家族も心配しているんじゃないか?」
「どうだか。そもそも普段からサボりが多かったし家に帰らないことも多かったらしいですからね、あいつ。今はまだ家出したままほっつき歩いてると思われてる可能性の方が高いと思います」
……ん? 変だな。
アイツはオレが知る限り学校には毎日来ていたし、品行方正とまではいかずともストーカーしてくること以外は極々普通の生徒だったはずだ。一体何があった?
「なあ、今まで敢えて聞かなかったんだが……あのストーカー野郎は明迅じゃどうだったんだ?」
アイツが何をしてるかなんて考えたくもなかったのに、今の話を聞くとどうしても気になってしまってそう聞いてしまっていた。
今まで一度たりともアイツの話をしようともしなかったオレが急にこんなことを言い出したからだろう。へえ、と目を細めた律はどこかそんなオレを面白がっているように見えた。
「学園でも浮いてたのは間違いないよ。入学時点であいつの噂は学園中に広まってたし……」
「マジかよ、広まるの早過ぎんだろ。噂って怖えーな」
「そりゃあ出所はおれだし」
「お前かよ」
てっきり明迅に進学した八千代の中学の同級生が広めたのかと思っていたのに……というか、なんでコイツが噂を広めてんだ? 別に誰これ構わずにそういった話をするタイプでもないはずだが……。
訝し気な顔になったオレに、律は呆れたように「当時は大変だったんだから」とため息を吐いた。
「あんたがいきなり退学になって何も言わずにいなくなったもんだから、周りから何があったんだって詰め寄られて何度も説明する羽目になったんだ。誰にも話すなとは言われてなかったし、おれもちょっとムカついてたし……ありのまま話させてもらったよ」
「は? 確かに当時即学園を出禁にされたし、バタバタしてて直接別れは言えなかったが……ちゃんと学園のヤツらには別れの連絡を入れたぞ? なんでそんなことに」
「あんたがすぐにおれ以外の連絡をシャットアウトしたからでしょーが!」
「しゃ、シャットアウト……? ――アッ!」
そうだった。連絡を入れた直後にスマホが故障してそのまましばらく使えなかったんだった! 結局新しいのを買い替えたのと同時に家族と律以外の連絡先を削除したんだ。そもそもしょっちゅうやり取りする相手なんて律くらいのもんだったし、他はクラス内での連絡網とか委員会活動とか……そういった事務的なやり取りしかしてなかったし……。
でも……そうだよな。いきなり『退学になりました』だけ連絡が来てその後音信不通になれば、気になるのは当然だよな。ちょっと配慮が足りなかったかもしれない。
それを伝えると律は「そんなことだろうと思った」と重い重いため息を吐き、八千代は無言で頭を抱えていた。
「当時おれに詰め寄って来たやつの中には、あんたの退学を取り消してもらおうと上に直談判しようとしたやつだっていたんだ」
「え……?」
「……自覚はないみたいだけどさ、あんたが思っている以上にあんたは好かれてたんだよ」
静かに告げられた言葉に、何も言い返すことが出来なかった。
オレの退学を取り消してもらおうと動いていたヤツがいた……? 誰だ、ソイツは。明迅で関わりがあったヤツを思い浮かべるが、そんなことしそうな相手に全く心当たりがない。
「でも、まさかあんたを退学に追い込んだ本人が本当に入学してくるなんてね」
それが誰なのかを聞こうとする前に、この話はここまでだと言わんばかりに律は少し語気を強めてそう言った。それに顎に手を当ててうんうんと頷く矢吹先輩。
「今の話を聞けば……自業自得とはいえそうなるのも無理はないかー……。絶対針のむしろ状態だったでしょ」
「VIP待遇を受けてるのをいいことに途中から開き直ってやりたい放題してましたけどね」
……なるほどな。
どうやら、あの事件で人生が狂ったのはオレたちだけではなかったらしい。
一族のコネで地域一番の進学校に入学出来たはいいものの、自分の悪評が広まった居心地の悪い学校にグレてしまったのか。
矢吹先輩の言う通り自業自得だし、実際全く懲りずにオレを誘拐して八千代に手を出そうとしたし同情の余地は欠片もないんだが、もっとこう、どうにか出来なかったのかと思ってしまう。自分の家の悪評が学園中に広まってるなんてすぐに分かるだろうに、どうしてそこに当人を入学させようなんて思ったのか。ソイツのことを思うなら普通噂の届かない遠く学校に行かせるだろ。あの一族の考えることがよく分からない。
その時、部屋の扉が勢いよく開く。
「遅れてごめんなさい! お待たせしてしましたわ!」
息を弾ませながら部屋に入って来た人物に、オレは目を見開いた。