09.理事長との対談
どうしてこんなことになっているのだろう。
鎖で縛られた生徒はそのままに、オレと八千代は理事長室へ連れて来られた。
高級感溢れた壁紙や床板がはられた、綺麗で静かな部屋。
学校内のどの部屋も少なからず破壊されているものだと思っていたが、今だ無事な部屋があったとは。
高級そうなソファに座らされ、昨日と同じように紅茶を振る舞われる。だが昨日の紙コップとは違う、高級そうなティーカップだ。
隣に座る八千代は緊張からかガチガチで、背筋がピンと伸びている。
そして――
机を挟んだ向かい側にはこの学校の理事長、蓮水総一郎が腰を下ろし、じっとオレたちを見つめていた。
「本当は放課後呼び出すつもりだったのだが、済まないね。午後の授業は休むと先ほど担任に伝えておいた」
元から呼び出すつもりだったとはどういうことだろう。
思い起こされるのは昨日の出来事である。
……うん、思いっ切り息子を殴ってたな。
また退学を言い渡されるのだろうか。
「……少しは楽にしたまえ。別に君たちを責めるつもりで呼び出したわけではない」
緊張で体を硬直させているオレたちに、理事長は苦笑いしながらそう言った。
紅茶を飲むように勧められ、恐る恐るティーカップに口を付けると紅茶の香りがふわりと広がる。素人目にも昨日飲んだ紅茶と全然違うのが分かった。八千代も同じように目を丸くしている。
紅茶でオレたちの気が緩んだのを感じたのか、理事長はオレたちに向かって頭を下げた。
「昨日はうちの倅が申し訳なかった」
「え?」
てっきり「私の息子を殴りやがって!」くらい言われることを覚悟していたのだが、思わぬ謝罪にオレはポカンと口を開けた。
謝罪するということは、まさか昨日の事を知っているのだろうか。
理事長は膝に置いた手で拳を作り、苦虫を嚙み潰したような表情をした。
「……綾斗の様子がおかしいことにはとっくに気づいている」
ま、まあ以前と性格が激変すれば、普通親は気づくよな……
八千代が理事長の顔色を伺いながら、恐る恐る尋ねた。
「あの、蓮水先輩は今日休みだと聞きましたが……」
「私が休ませたのだ、昨日の件で大分錯乱していたからね。あのまま学校へ行かせても勉強に身が入らないだろう」
「さ、錯乱……ですか?」
八千代は首を傾げる。
確かにオレを罵倒している時は錯乱しているようにしか見えなかったが……その後、オレを殺そうとしている時は大分冷めきっているように見えた。
オレたちが逃げた後、蓮水先輩に何かあったのだろうか。
イヤ――今はそれよりも、
「昨日の体育館裏での事……やっぱり見てたんですね」
オレの言葉に、理事長はゆっくりと頷いた。
「様子が変なことには気づいていても、あんな綾斗を見るのは初めてだった。実際、見ていた私も君と同じ反応だったよ」
ははは、と乾いた笑いを漏らしながらも、理事長の表情はどこか泣きそうに歪んでいた。
……そうだよな。
息子のあんな姿、見たくなかっただろう。
「今、綾斗だけではなく学校の多くの生徒たちが同じようにおかしくなっている。生徒たちの変貌に、教師たちも疲弊してしまっている」
理事長の言う通り、最近の授業に来る教師たちの顔には生気がない。
この前、やつれて隈の酷い学年主任の先生にチョコレートを差し入れたら泣かれてしまったことを思い出した。
多分生徒がやらかした後始末とか、保護者からの苦情とか……色々大変なんだろうな。
「おかしくなったばかりの頃は、とにかく学校の治安をどうにかしようと警察を常駐させることを考えたのだが……」
何もせず見て見ぬふりをしているものだと思っていたが、色々動いてくれていたようだ。
だが理事長の表情は重い。
「『一つの学校に警察を常駐させられるほど暇じゃない。私立の学校なら警備員を雇え』だと。生徒たちが学外で問題を起こして忙しいのだろうと納得し、警備会社に頼んだがこちらも断られてしまった」
「け、警備会社まで……」
警察はハナから当てにしていないのでそんな返答だろうなとは思っていたが、企業にすら断られるとは。
紅茶を飲み終えティーカップを皿の上に置くと、八千代が恐る恐る尋ねる。
「どうして断られてしまったんですか?」
「……教育者として生徒にこんな話をしてはいけないのだろうが、同じように被害に遭った君たちならばいいだろう」
「同じような被害に遭った?」
何だろう、すごく嫌な予感がする。
理事長は一息置くと、意を決したように口を開いた。
「――圧力がかかったのだ。糸杉一族にな」
糸杉一族。
まさかこの高校に来てまでその名前を聞くことになるとは思わず、オレは息を飲んだ。
特に八千代は顔を青ざめさせ、分かりやすく動揺を見せる。
……無理もない。
八千代をストーカーした男は、この糸杉一族の者だからだ。
「どうやら糸杉一族は、本気でこの高校の評判を落として潰したいようだ」
「どうして六天高校を……まさか」
「君たちのせいではない。元から私と糸杉一族は仲が悪くてね」
オレがこの高校に入ったせいで狙われたのかと思ったが、そうではないようだ。
だが理事長の言い方や表情から、糸杉一族とは並々ならぬ因縁があることは察することが出来た。
「糸杉一族はこの辺り一帯の実質的な支配者だ。企業や警察とも裏ではズブズブの関係、糸杉の者が一言声を発するだけで企業は勿論、犯罪すらどうにでもなってしまう」
それはオレたちがよく知っている。
十分な証拠と共に出した被害届が簡単に揉み消された時は、激しい失意と怒りに襲われたものだ。
理事長は視線をオレたちに向け、真剣な表情で見つめた。
「何も出来ず途方にくれていたが――昨日の君たちのやり取りを聞いて、この学校がおかしくなっている理由を知っていると確信したのだ……! 綾斗はとても私の問いに答えられるような状況ではなくてね、君たちに聞くことにしたのだよ」
どうか教えてくれないだろうかと理事長はオレたちに嘆願した。
そのすがる様な態度から、本当に切羽詰まっているのが分かる。
八千代と顔を見合わせる。八千代は困ったように眉を下げていた。
話すべきかどうか悩んでいるようだ。
話した方がいいのだろうか。
昨日の事を見ていたのなら、蓮水先輩の『アレ』も見ているだろう。話はしやすいはずだ。
だが、転生者なんて非現実もいい話だ。
オレは信じたが、理事長もそうだとは限らない。
「……そんなに言えないような理由なのか?」
黙り込むオレたちに、理事長は首を傾げる。
言うか、言わないか。どうする?
――いい? 今のあんたたちには、とにかく戦力が足りなさ過ぎんの。
迷いがピークに達したその時、ふと昨日の律との電話を思い出した。
◆
『いい? 今のあんたたちには、とにかく戦力が足りなさ過ぎんの』
律のキツいお言葉に、オレはうっと呻き声を上げる。
「せ、戦力って……別に襲って来る生徒を全員ボコボコにしようってワケじゃねーんだぜ?」
『別に生徒たちと戦えることだけが戦力じゃない。例えば、色々と融通を利かせられたりとか……無暗に襲えなくなる抑止力とかそういうの』
「ゆ、融通……抑止力……」
ダメだ、考えれば考えるほど分からなくなる。
基本、オレはそんなに頭が回る方じゃない。明迅学園に受かったのも奇跡のようなものだったし。
そんなオレを電話越しで感じたのか律は、
『つまりは……まずはとにかく味方を増やす事を勧めるよ。生徒でも、教師でも、誰でもいいから』
と、オレでも分かるように言い換えてくれた。
「味方、か……」
確かに味方は多いに越したことはない。
だが、どうやって増やす?
下手したら死んでしまうかもしれない事に、相手を巻き込むのか?
『警察を頼らない以上、多少の巻き込みは当たり前っておれは思うんだけどね。人って案外見てるんだよー。あんたが妹ちゃんのために一生懸命やってればさ、助けたいって人も出てくるんじゃないの?」
相手に迷惑をかけることを心配したオレにかけられた、律のその言葉が妙に耳に残っていた。
◆
「……分かりました。話します」
そうだ。オレは八千代を、妹を守ると決めたのだ。
確かに喧嘩じゃ何も出来ないかもしれないが、それ以外なら何だって。
信じてもらえないかもしれない、なんて弱気になってちゃダメだ。
これはチャンスなのだ。
理事長は魔法を使った現場を実際に見て、そして学校がおかしくなった原因を知ろうとしてくれている。
ここで信じてもらい、あわよくば協力を取り付けられれば……きっと心強い味方になってくれる。
例え信じてもらえずとも、オレたちが『前世の記憶が戻っている』と考えていることを理解してもらえればいい。
「話すの?」
八千代が驚いたように声を上げる。
オレはごくりと唾を飲み込み、頷いた。
「このまま話さなかったところで何も変わらねーんだ。だったら、話す」
オレは姿勢を正しくし、オレたちのやり取りを眺めていた理事長へと向き直る。
「理事長先生。今から話すことは、妄言でも何でもありません。全て真実です」
顔では平静を装うが、緊張で心臓がバクバクと音を立てている。オレは内心が分かりやすいみたいだし、バレているかもしれない。
八千代がオレに明かすときもこんなに緊張したのだろうか。
理事長はオレのただならぬ気配を感じたのか、表情を硬くしてオレを見つめ返した。
そしてオレはゆっくりと長い時間をかけ、六天高校で起きている全てを話したのだった。