三縁望の独白
「ウチの妹に何してんだボケエェェェ!」
オレの拳が相手の頬にめり込む。
この感触を味わうのは三回目だった。
◆
オレには三縁八千代という妹がいる。
平均的な容姿のオレとは違い、八千代は神が細工したとしか思えない容姿で生まれた。
決して兄の色眼鏡で見ているわけではない。
艶のある髪。陶器のような白い肌。すっと通った鼻筋。ぱっちりとした吸い込まれそうな瞳。家族の誰とも似ておらず、浮世離れした雰囲気を纏う。十人すれ違えば全員が振り返るような……そんな月並みな言葉しか出てこないが、そんな八千代は学校外でも話題になるほど有名になり、実際何度も芸能事務所からスカウトされていた。
性格も少し人見知りだが素直で心優しい。オレにとって自慢の妹だ。
そんな妹だが、その容姿からとにかくトラブルに巻き込まれる。特に恋愛絡みで。
数を挙げればきりがないが、大きなものを挙げるとすればまずは八千代が小学四年生の時。クラスでも一番の人気者であった男子の告白を断った八千代は、彼のことが好きだった女子グループからいじめを受けるようになった。
八千代は最初家族に隠していたが、頻繁に物がなくなるのにオレが気づき問い詰めたところで発覚。陰湿なやり方に怒りが収まらず、いじめグループに直接説教しに行ったらそれからはピタリといじめが止んだ。妹曰く、説教をするオレは阿修羅のようだったという。
次はオレが中学二年、八千代が一年の時。中学校に入った八千代は瞬く間に生徒の注目の的となった。
そんな妹は校内でも有名な不良グループの目に留まったらしい。ナニをするつもりか知らないが、集団で八千代を口説き始めた。
いじめの時といい何で皆徒党を組んで八千代にちょっかいを出すんだ。
八千代に振り向いて欲しいなら一人で正々堂々とアタックしろっつーの!
不良たちの八千代への口説きは段々エスカレートしていき、ある日八千代が無理矢理不良の溜まり場へ連れ込まれそうになったのを見てしまったことでオレの中の何かが切れた。
先輩だとか不良だとか、そんなもの全て忘れてオレは全力で相手に殴りかかっていた。これが一回目。
相手は複数人。もちろんオレもただでは済まず、骨折や打撲で二週間の入院を余儀なくされたが後悔はしていない。
不良と喧嘩をしたことで本来なら内申にも響くのだろうが、理由が理由だったのと日頃の態度が良かったのもあって見逃された。
この事件から『三縁望を敵に回すな』と地元では話が回り、妹だけでなくオレの名前すら知られるようになった。
そして最後はオレが高校一年生の時。オレが中学を卒業したことで学校で一人になった八千代は、多くの男子に言い寄られるようになった。だがオレの話が回っていたのか一度断ればすぐに諦めてくれたらしい。
だが諦めずに八千代にアタックし続けた者もいる――先ほど話した小学四年生の時に八千代に告白した男子である。
男子は八千代を諦め切れなかったのか、告白した後もさりげなく八千代にアピールし続けていた。オレが中学にいる間は控えめだったが、オレが卒業したことで押さえているものが外れたのか暴走。
――八千代のストーカーと化した。
どこへ行くにも八千代の後ろをつけ回り、スマホにはひっきりなしにメッセージが届き、ブロックすれば今度は毎日家のポストにポエムメールが届く。一度だけ中身を見たが、気色悪すぎて吐くかと思った。
八千代もすっかり精神的に参ってしまい、受験という大事な時期だというのに体調を崩すことが増えた。オレと同じ高校に入りたいと頑張っていたのに、成績は下がっていく一方だ。
オレは両親と協力し、ポエムメール等の証拠を集めまくった。幸いなことに家の前に設置した監視カメラから男のストーカー行為が分かりやすく残ったため、証拠はすぐに集まった。
そして――八千代に言い寄る現場を押さえ、一発ぶん殴ってから警察署に連れて行き被害届を提出した。これが二回目。
だが、被害届は揉み消された。
ストーカー男はかなり良い家柄だったようで被害届が出されるやいなや、こちらの言い分も聞かず『この話は無かったことに』と、膨大な示談金を送られて終わった。相手の謝罪すらなく、警察に言っても取り合ってくれない。権力の闇を垣間見たオレら家族は、何もすることが出来なかった。
またストーカー男はオレの高校、私立明迅学園の重役の親戚だったらしく、オレは男をぶん殴ったことから高校を退学となった。
マジでふざけんなと思うが後悔はしていない。
高校には仲の良いヤツもいたが仕方がない。今回の事件は地元中に広がったし、ストーカー男も内申はだだ下がりだろうが、多分明迅学園に裏口入学でもするのだろう。あんなヤツと同じ高校になるなんてまっぴらごめんだ。
ストーカー事件のせいで学力が下がっていたのと、後はストーカー男が入学する可能性が高いからだろう――八千代は第一志望校であった明迅学園に行くことを嫌がり、偏差値は大分下がるが家から近い私立六天高校を受験することになった。
八千代の学力なら十分合格できるだろう。
だが、高校に入学したとして環境も変わる。
――また、同じ目に合うのではないか?
オレの中学時代に仲の良かったヤツに六天高校に通っているヤツはいない。教師だって四十人近い生徒を抱えているから限界がある。同じような事に巻き込まれた時、誰が妹を守ってやれるんだ?
オレは考える。
退学にはなったが、高卒の認定は欲しい。
両親と話し合い、通信制の高校に通う予定だったが八千代と同じ私立六天高校へと再入学することに決めた。
両親も八千代を溺愛している。そして一連のトラブルから、八千代を一番守ってやれるのはオレだと分かっていた。
これを明迅学園の友人に伝えたらシスコンだの何だの言われたが、こんな状況で過保護にならない方がおかしい。
八千代はといえばカウンセリングのおかげで日常生活を送れるまでには回復したが、元々人見知りなのに加え、一連のトラブルに巻き込まれたことですっかり卑屈になっていた。
上記のヤツら、マジで許さん。
オレとしては友達や、見た目だけでなく中身も愛してくれて、いざという時は守ってくれる恋人を作って欲しいのだが……今のままじゃ難しいだろう。
入学試験は簡単だった。元々進学校の明迅学園にいたのだ。学力については何の問題もなく、再入学ということで一人だけ行われた個人面談も理事長にありのままを話せばなぜか気に入られた。
結果オレも八千代も晴れて合格。
オレは二度目の高校一年生を過ごすことになった。
入学当初オレら兄妹の事は随分と話題になっていたようだが、思ったよりもすぐに学校生活には慣れることが出来た。一年ズレて入学したオレも、今では友達とまではいかないが何人か話せるクラスメートがいる。八千代の方もストーカー事件が知られていたのか同情の目を向ける者の方が多く、いい意味で気を使ってくれる生徒が多かった。
このまま平和に卒業できればいい。
だが、二度あることは三度あるのである。
◆
突如、学校の雰囲気が一変した。
入学してから一か月が過ぎた頃だった。
最初は、オンラインゲームか何かを通して学校ぐるみのオフ会でもやってんのかなと思った。
――よぉ○○! お前もここにいたのか!
――まさかまた会えるなんて思ってなかったぜ!
やがて学校にいるほとんどの生徒が、相手のことを本名で呼ばなくなった。
オフ会じゃなさそうだと判断し、じゃあ単に学校中で相手をあだ名で呼ぶことが流行ってんのかなと思った。
――きっと、俺らこのために思い出したんだ。
――ああ、暴れたりねえ!
だが、会話がどこかおかしい。
違和感と共に周囲の環境にも変化が現れた。
まず流血沙汰の喧嘩が急増した。
始めは叱っていた教師たちもあまりにも頻発する喧嘩に手が回らず、教師の一人が病院送りにされてからは多少の喧嘩は見て見ぬふりする始末。もちろん学校周辺の治安も悪化した。
修繕が追い付かず破壊されたままになっている窓。日に日に増えていく壁の落書き。一気に服装がだらしなくなった生徒たち。授業中にも関わらずエンジン音を吹かしながら数台のバイクが廊下を走り回り、窓から外を見れば生徒が荒れた校庭で喧嘩をしている。
一体、何が起こっているんだ。
グレなかった数少ないクラスメートに聞いてみたりもしたが、皆オレと同じように困惑していた。
違和感を感じてからほんの一か月で、六天高校はヤンキー校と化していた。
同時に八千代もどこか挙動不審になり、オレや周囲を避けるようになっていた。またいつの間にか体のあちこちに怪我をしていることもあった。
八千代は何かがあるとオレや両親には告げずに一人で抱え込む所がある。
だが表情や態度には出やすいタイプで、散々トラブルに合ってきたのもあって彼女に何かがあればすぐに気づく。
三年前の不良事件を思い出す。
こんな現状だ、まさか不良と化した生徒に何かされたのでは?
だとしたら許しはしない。
これ以上八千代の心が傷つく前に、何とかしなければ。
だって八千代はたった一人の可愛い妹なのだから。理由なんてそれで十分だ。
今回に限って八千代は何も話そうとしなかったので、独自で調査をした結果、やはり最近になって校内のある生徒に付きまとわれていることが分かった。
驚くべきことにグレた生徒たちの間では独自のネットワークのようなものが出来ているようで、その中で八千代と男のことは周知の事実のようであった。
調査を続け、オレはさらに二つの情報を入手した。
一つは八千代に付きまとっている男がこの学校の生徒会長であること。
二つ目は――
◆
――そして冒頭に戻る。
ここは放課後の体育館の裏だ。オレたち以外には誰もいない。
オレがぶん殴った生徒会長――蓮水綾斗は先輩でしかもオレを気に入ってくれた理事長の息子だが、今更の話である。それに一回殴った所で今の学校では殴り合いの喧嘩など日常茶飯事だ。
そばにはたった今まで生徒会長に言い寄られていた妹が立っており、オレを見てガタガタと震えていた。
蓮水先輩はオレの完全な不意打ちを受けて派手に吹っ飛び、地面に倒れた。
眼鏡も一緒に吹っ飛んで少し離れた場所に落ちる。
良かった、割れてないみたいだ。弁償しなくても良さそう。……なんてこの場面には似つかわしくないことを考える。
オレは蓮水先輩の胸倉を掴み、無理矢理上体を起こさせた。
「最初はまさかと思いましたよ? でもこの目で見て、耳でバッチリ聞いてしまった以上我慢ならないんですよ」
あくまで先輩なので敬語で。だがオレの声は冷え切っている。
「何で妹のこと、『姉上』って呼んで付きまとってるんです?」
この時、オレはまだ知らなかった。
この学校の異変の原因に。
もはやこの生徒会長をどうにかすれば良い、という次元では無くなっていたことに。
妹、八千代が秘めていたとんでもない秘密に。