65「そして始まる」
ぬっ。
そんな音が聞こえた気がした。
少女のような小さな体が赤色のローブからすり抜けるように起き上がった。
寝惚け眼をごしごしと擦りながら大きな欠伸。
眠そうな顔。
夢うつつ。
よかった。
胸を撫で下ろす。
アイリーンは生きていた。
そう思ったのと同時に僕は焦りを感じる。
最強の吸血鬼殺しのお目覚めだ。
これから僕は『嫉妬の悪魔』と『幻想の魔術師』の二人を同時に相手にしなければならないのだ。
……まあいいか。
これで決心がついた。
大人しく討伐されるのが僕の人生なのかも知れない。
そしてその後、アイリーンの実力なら難なくリディアを討伐するのだ。
リディアは圧倒的な武力を有してはいるけれど、アイリーンと対抗したのならば勝敗は明らかだろう。
間違いなくアイリーンは勝つ。
それぐらいの彼女の実力は人知を超えている。
それが授かった物ではないところがアイリーンのすごいところだ。
うん。
僕はこの二人から殺してもらおう。
そうすれば僕という“脅威“はこの街から消える。
そしてリディアは死ぬ。
落とし所としては上等じゃないか。
そう考えると驚くほどに心が軽くなった気がした。
それが一番の方法だ。
班目は……その後アイリーンとロベルトさんが追いかけるだろうし。
まあ後のことは後の人たちに任せようじゃないか。
僕には関係のないことだもんな。
うん。
心が軽くなったのと同時に、急に何かが込み上げてくる。
みんなの顔。
大好きだった人たち。
色々な思い出が駆け巡る。
僕は彼らから大切なものをもらっていた。
返すことはとうとう叶わなかったけれど。
あ……あれ…………
気がつくと泣いていた。
大きな涙の粒が意思とは関係なく勝手に流れ出ていた。
「う………」
声が漏れる。
壊れてしまいそうだ。
死の恐怖よりも、大切な人たちの手で、どちらにとっても不条理に殺される悲劇に怯えた。
申し訳のなさが込み上げる。
「巻き込んでしまってごめん」
そう呟いていた。
そういえば幼い頃に枕元で出会った神様はこう言っていた。
『平凡に生きるのだ____周囲の人々を巻き込む強大で恐ろしい災いが起こらないように___』
なんだ、そういうことか。
ちゃんと神様は忠告してくれていたんじゃないか。
調子に乗って魔術師になったり、なし崩し的に騎士団に入団したから行けなかったんじゃないか。
___自業自得___因果応報___自縄自縛。
みんなの運命をかき乱した犯人は僕じゃないか。
アイリーンがハッと目を開いた。
ようやく目が覚めたらしい。
「な、なんちゅうヤバい状況じゃ! ペリドット、しっかりせい!」
「はは、おかえりアイリーン……調子はどうだい……?」
咄嗟に涙を拭って取り繕う。
目が合った瞬間、アイリーンは驚きとも悲しみともとれる表情を浮かべた。
「まさか……う、嘘じゃ……そんな……」
狼狽えるアイリーン。
「へへへ、失敗しちゃったみたいだよ……」
「…………」
目を逸らしたアイリーン。
代わりだというようにリディアが口を開く。
『……目が覚めたのね? ずっと寝てればよかったのに。邪魔だよ。
本当に邪魔なんだよ。いつもいつもいつもいつも邪魔なんだよ!!!!
あんたが来てから、ペリがおかしくなっちゃったんだよ!!!
あんたのせいだ! 全部あんたが悪いんだよ!!!!!』
ヒステリックに叫ぶとアイリーンに飛びかかる。
「___『闇縛り』」
アイリーンが呟くとリディアが空中に磔になった。
『くっ……何を……』
「少し黙ってくれんか……」
先に僕にとどめをさしてくれるのだろうか。
アイリーンが歩いてくる。
それほど広くはない室内を静かに。
僕のそばに寄ると小さな両手を広げた。
そしてあっけに取られていた僕を抱きしめた。
顔が凹凸の殆どないアイリーンの華奢な胸に包まれる。
「……離してくれアイリーン」
「いやじゃ」
「いいから離せよ」
「嫌じゃと言っておる」
「離せと言ってるだろ!」
「離したりせんぞ。わしの弟子じゃからな。ペリドット、辛いのぅ……」
辛い? 何がわかるって言うんだ。
「僕はみんなを傷つけ、さらに壊そうとしている。
そんな僕の気持ちが……僕の気持ちが……アイリーンにわかってたまるかよ!」
声を張って言った。
言葉は鋭い。
こんなつもりじゃなかったのに。
情けなさを感じ目を合わせることができない。
「わからんよ。
そんなことは、そんな気持ちはわからん。
でもな、大切なものを失う悲しみは知っておる。
お主以上に知っておるんじゃ……。
わしがアリステラからの裏切りを気にしていないとでも?
ジルの死を忘れたとでも?
大切な弟子で、ソウルメイトと敵対せねばならんことを何とも思っていないとでも?」
アイリーンの声は悲しみと怒気をはらんだ。
恥ずかしくなった。
僕はいつまで経っても被害者の側にいたのだ。
加害者であることを理解しながらも「運が悪かった」と。
諦めが美徳であるとでも言うように。
華奢な体が震えている。
悲しみが波紋になって伝わった。
波紋は僕の動揺の荒波を正してゆく。
そうして僕は落ち着きを取り戻してゆく。
「……ありがとう……また……助けられちゃったんだな」
「何を今更。お主とわしは一心同体。ソウルメイトじゃ。そうじゃろ?」
「そうだったね……ぐす……うう……」
「まったく泣き虫なやつじゃ」
しばらくの間、アイリーンの胸の温かさだけが僕の世界を支配していた。
進行する吸血鬼化による痛みも不安も、彼女の匂いが全てを忘れさせてくれた。
このまま死にたいとすら思った。
いや、このまま死んでしまうのは怠慢だろう。
できることをやるのだ。
残された人たちに責任を負わせてしまうことのないように。
____僕に一体何ができるのだろう?
「ペリドット、もう何も心配するんじゃないぞ。後はわしに任せてくれ」
「い、いや、そんな__」
言いかけた途端、僕の背中に回されていた小さな両手に力がこもる。
少しづつ震えてゆく。
どうやらアイリーンも限界なようだ。
「ペリドット……」
耳元で呼ばれる。
「……まさかお主まで吸血鬼化してしまうとはな……」
顔を上げる。
触れられる距離にあるアイリーンと目が合った。
その幼く可憐な顔は、涙や鼻水でぐしゃぐしゃに歪んでいた。
「もう……よしてくれ………ぐすっ……お主まで……殺したくないんじゃよ……ぐすっ」
張り裂けそうなほど胸が痛んだ。
僕は殆ど吸血鬼化してしまった硬い指でその涙を拭った。
「せめて……せめてわしたちの目の届かないところで吸血鬼として生き延びてほしい……
無理じゃ……そう無理なんじゃ……お主を殺すことも、追いかけることも……無理なんじゃよ……」
アイリーンは背負った十字架を下すことにした。
彼女の十字架は、幾つもの重みでその背中を押し潰そうとしている。
その重みの一つに僕がいた。
そしてジルさん。
「もう吸血鬼殺しの専門家は廃業じゃ……ぐすっ……弱いわしを許してくれ、ペリドット、ロベルト……ジル」
ドンっ
アイリーンは僕を突き放した。
そして呟くように詠唱する。
彼女の目に映った悲しみを僕は一生忘れることができないだろう。
ジルさんもそう思っていたに違いない。
時空が歪んでいくのがわかる。
全てを巻き込む何かが、僕とリディアを吸収する。
抵抗することはできない。
全ては闇に包まれていった。
僕は意識を失った______
御覧頂きありがとうございます。
今回の更新で第一章完結です。
この後第一部分のプロローグに繋がっていきます。
新たな舞台での主人公たちの活躍をご期待ください。
そもそもこんなに話数を書くつもりはなかったのですが書きたいことが多すぎて……
次章からはもう少しコンパクトにする予定です。
また、第二章から読み始めてもわかる内容にする予定ですので、引き続きよろしくお願いします!
次回作の草案もあるので更新は未定となります。
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ありがとうございました!




