56「どうにもならない」
ずぷり…
「が、がはっ…!」
斑目はロベルトさんの身体から右腕を抜き取った。
「ロベルトさん!!」
大きく見開かれたロベルトさんの目は、僕を真っ直ぐに見つめていた。
アイリーンについでロベルトさんまでも……!
僕は大切な人々の傷つく姿に戦慄した。
「まずい! 早く回復薬を!」
そのとき僕は思い出した。
回復薬をまとめて持ち歩いていたのはゼパイルさんだということを。
「くそっ! 何でもっと早く気が付かなかったんだよ!」
『自分を責めてもしょうがないわペリドット!』
「に……逃げろペリドット……お前たちの敵う相手ではない…」
「そんな事、できるわけがないでしょう! 僕はアイリーンもロベルトさんも助けたいんだ! セブさん、やりましょう!」
「ああ! 俺は魔術が使えん! 援護しろ!」
「わかりました! 行くよフィーナ!」
『まっかせて!』
セブさんと僕の周囲に緑色の魔力の霧がかかった。
『精霊の加護だよ! 風魔術を軽減するの!』
「ありがとうフィーナ」
『ペリドット、あの人強いわ! 注意してね!』
「よせ……お前たちまで……死ぬ気か……」
シュッっっ
僕が体勢を整えるその前に、セブさんは短剣を斑目に目掛けて投げつけた。
早い!!
セブさんは投擲や飛び道具を得意とする。
大抵の相手なら避ける隙など与えずに喰らってしまうか、受けて弾くかのどちらかだろうが、斑目は違った。
セブさんの投げた短剣をいとも簡単にかわし、こともあろうか壁に突き刺さったそれを投げ返してきたのだ。
それもセブさんよりも強い勢い、スピードを持って。
恐るべき反射神経、恐るべき投擲能力。
これが人ならざる者、吸血鬼の身体能力か。
対するセブさんも、まさか投げ返されるとはつゆほども思っていなかったためか、ギリギリのタイミングで2本目の短剣でそれを弾くので精一杯だった。
僕はその光景を傍で見て焦りを感じていた。
すぐに予見を開眼する。
次のステップは……まずい……!
「セブさん! 後ろに飛ぶんだ!!」
予見によると次の攻撃は上級風魔術『テンペスト』。
間合いに入った獲物を切り刻む殺傷力の高い魔術だ。
既の所で逃げおおせた。
間合いにあった家具はズタボロに切り刻まれて転がった。
「おいおい…レベルが違いすぎるぞ…!」
「え……ええ。このままではジリ貧ですね……」
まずいな。
早くこの場から逃げてアイリーンとロベルトさんの手当てをしなければ、今度こそ2人の命は危ない。
魔力で止血することは自体は可能だ。
ロベルトさんも無意識に止血を行っているみたいだ。
だけどロベルトさんはおそらく内臓を損傷している。
早く回復薬を使わないと手遅れになってしまうだろう。
「セブさん、兎に角逃げることを考えましょう! 今から闇魔術の『スモーク』で目眩しをします! その隙に僕はアイリーンを、セブさんはロベルトさんを連れ出すんです!」
「ああわかった! だがお前、重要な事を忘れてないか?
敵は目の前の吸血鬼ただ一人じゃ無いんだ。
ゼパイルさん、それから執事長の姿もない。奴らだって俺たちを狙ってるんじゃないか?」
そうだ。
そうだった。
戦うべき敵は斑目だけじゃなかった。
裏切りか、それとも以前から斑目の味方だったのかは不明だが、あのゼパイルさんも脅威といえる。
特殊部隊アルファの戦闘員であり、なおかつ僕たち全員分の回復薬を持つゼパイルさんを、僕たち2人は相手にしなければならないのだ。
そして忘れてはならないのが、奇妙な男である執事長のジェンキンスの存在だ。
自身は斑目に怯えているふうを装いながらも、結局は斑目の協力者だった。
ガーネットの言う通り、奴は黒だったということだ。
奴の実力はまさに未知数。
ジェンキンスが戦闘タイプではないことを切に思う。
「こそこそと相談なんて、お姉さん感心しないわ」
斑目はいつのまにか背後に居た。
「じっとしないと私のグリーンアイが傷ついちゃうじゃない」
「うわっ」
「うわって。失礼しちゃうわねペリドット君。あんなに仲良しだったのに、お姉さんがっかり。ペリドット君のこと結構気に入ってたのよ?」
アリスさんのいつもの口調。
この柔らかな声色が今は不気味に感じてしまう。
そんな事を考えた刹那、僕の右足に激痛が走った。
ザシュッッッ
「あ! がっ!」
鋭い爪でのひと掻き。
右足のふくらはぎが抉れて血が吹き出る。
「ほらほら〜油断しちゃあだめじゃない。
あなたたち人間は油断が過ぎるのよ? ロベルトや先生を見てちょうだい? ああなる前にあなたは戦わなくっちゃあ」
「アリステラ!! 貴様に先生などと呼ぶ資格はないっ!!」
「なによロベルト〜。そんなこと言ったって先生は先生よ? 私を育ててくれたのも先生。鍛えてくれたのも先生。弱点を教えてくれたのも先生。
もちろん尊敬しているわ。ただ、そうね〜私のことを少しも疑わなかったのが悪かったんじゃないかしら?」
「ぐぐ……先生は貴様のことを…………!」
斑目はそう話しながら僕の横を通り抜け、アイリーンを抱いたロベルトさんに近づいてゆく。
僕の右足からはズキズキと赤黒い血が流れ、血溜まりを作っていた。
例え油断していなくたって、斑目の攻撃をかわすことはできなかっただろう。
人間を遥かに超越したスピード。
その実力差に焦りを感じた。
「僕じゃ……どうにもできないのか……?」
後退った左足は血溜まりを踏み、僕は滑って転んだ。
またもや激痛が走る。
アイリーンは依然として瞼を閉じ、力無くぐったりとしていた。
その右手には何かが握られているようだが……
あれは……そうか……!
あれはクロスのペンダント。
僕の首に掛かったものと同じ物だ。
あのペンダントはジルさんの手作りで、アイリーン達の全員が持っている。
ジルさんの分が流れに流れてどこかの商人に売られ、それをサラがたまたま購入し、僕が今身につけているのだ。
僕もアイリーンと同じようにそれを強く握ってみる。
繊細だが味のある細工を指で玩びながら、僕は無意識に何かを探ろうとした。
きっと、このどうにもし難い状況を打破出来るような、そんな奇跡が起こるのを願っていたのかもしれない。
『……するの……じゃ』
確かに聞こえた。
「え……? アイリーン……なの……?」
確かに聞こえたのだ。
「アイリーン! アイリーンなんだね?」
『…………』
返事はない。
「頼むよアイリーン。声を聴かせてよ……」
お願いだ。
お願いだからもう一度、あの生意気で明るい声を、活発で奇妙な笑い声を、僕に聴かせてくれよ!
頬を涙がつたう。
もう会えなくなってしまう。
そんなの嫌だよアイリーン……
『……まったく……ペリドットは泣き虫じゃな……』
「!!!
アイリーン……無事なんだね? ペンダント、ペンダントから語りかけてるのかい?」
『そうじゃ。すこし落ち着けペリドット。それじゃお前までやられてしまう。深呼吸じゃペリドット』
アイリーン……。
僕はずっとこの声を待っていたんだ。
その時、僕は異変に気が付いた。
あり得ない。
初めは信じられなかった。
自分自身が信じられない。
信じられるわけがなかったのだ。
それはあらゆる常識の外側のようだった。
だが、確かに僕とアイリーンは目の当たりにしているのだ。
あたりの音が失われ、色が消え失せ、何もかもが、まるで石像のように止まっているのを。
全てが静止している世界を。




