48「ジル・ド・ライ」
今から約10年前___
幻想の魔術師アイリーンの一番弟子であるロベルト・フラウと、二番弟子のジル・ド・ライの二人は月夜の晩に海岸で倒れる美しい少女に出会う。
「……漂流者か!?」
その少女は水浸しの衣服を身に着けたまま意識もなく、青白い月の光に照らされていた。
少女の名はアリステラ。
自身のファーストネーム以外のことは全て忘れていた。
記憶喪失の漂流者だったのだ。
彼女の見た目は12、3歳と言ったところだったがその美しさは既に完成の域に達していた。
一目惚れだと言うとジルは照れたが、アリステラとの出会いは彼のその後の人生に大きな変化を及ぼすこととなる。
「なあアリステラ。お前は一体どこから来たんだろうな」
「うーん。思い出そうとすると頭が痛くなるのですわ」
彼女は淑女のような口調で話した。
きっと元はいい身分だったに違いない。
ジルの師匠だったアイリーンには周辺諸国の貴族のパイプがあった。
そこで書簡を飛ばしてみたのだがアリステラの身元はとうとう明けなかった。
そこでアイリーンは提案する。
「アリステラよ。わしの弟子にならんか?」
この瞬間、アリステラの人生もまた大きな変化を遂げたのである。
自分達と行動を共にしていれば、ひょっとするとアリステラの身元も判明するのかもしれない。
初めはそう思っての提案だった。
しかし、そこには驚くべき誤算があった。
彼女には魔術師の才能があったのだ。
風魔術を中心に、アリステラはめきめきと力を付ける。
その美しさも相まってか、国内での彼女の知名度はアイリーンのそれと匹敵するほどまでになる。
それでもアリステラの身元が明けることはない。
「……私は、恩知らずなのかもしれませんわ……」
「何かあったのか?」
ジルはいつものようにアリステラを気に掛けた。
妹のように可愛がっていたのだ。
本人はそう思っていた。
「もう自分の出生のことなんて、どうでもよくなってしまったの……」
「でも、家族や友人に会いたくはないのか?」
「……どうせ私は何にも覚えていませんもの」
「大切だった人に会えば、何か思い出すのかもしれないだろう?」
「それも含めて、どうでもよくなってしまったのよ」
「アリステラ?」
彼女の儚げな横顔が、赤く染まっている。
「ジル。私は、忘れてしまった人達のことよりも、あなたのことが……」
二人はお互いに惹かれ合っていたのだ。
___そして二人は愛し合った。
それからのジルは、アリステラに遅れを取るまいと一層修業に専念した。
口うるさくも責任感の強いロベルト。
器用に剣術もこなすジル。
いつしかアイリーンとその三人の弟子たちの名は、東大陸で知らない者はいないほどに大きく成長していったのだった。
◇◇◇
___ここはアリステラが流れ着いた海岸。
そこには二人の男女が仲睦まじく海を眺めていた。
男は鞄から何かを出す。
それはクロスのペンダントだった。
器用に装飾が施されている。
「……うまくできたと思うんだ」
「素敵じゃない!」
「そ、そうかな? これは君に」
男は女の首にクロスのペンダントを掛ける。
太陽の光を反射してきらりと輝いた。
「わぁ。ありがとう」
女は嬉しそうにクロスを指先で撫でた。
「いくつか作ったんだ。一番自信があるのは君に着けてもらいたくてさ」
二人は抱き合ってキスを交わした。
遮るものは何もなかった。
何もかもが順風満帆。
誰もがそう思っていた。
◇◇◇
満月の夜。
ロベルトは不審な物音で目を覚ました。
誰もいないはずの地下で大きな音がした。
何かが倒れるような大きな音が。
「……盗賊か? まさかな」
そう呟きつつ、静かに地下へと向かうロベルト。
アイリーン・ロクスと彼女の弟子たちの邸宅に、わざわざ盗みに入るような命知らずはいないだろう。
ロベルトは、明かりもついていない地下室で何かの気配を感じた。
ロッドを構えつつ手元に明かりを灯した時に、信じられない光景を目撃してしまう。
「……ジ、ジル……か……?」
真っ赤な口元、金色の鋭い目、伸びた爪に握られていたのは青白い人の腕だった。
ジルはニヤリと微笑むと、何もなかったかのように背を向けた。
耳障りな咀嚼音が地下室に響く。
その青白く血液に塗れた一本の腕を見て、ロベルトは良からぬ想像をする。
「お、お前……アリステラを……?」
そう言った後、横たわる肉塊を見つける。
その遺体は見知らぬ女性の顔をしていた。
アリステラではなかった。
先生でもなかった。
だからどうだと言うのだ。
目の前には人間を喰っている弟弟子がいる。
それがどれだけ異常なことか……!!
何かに憑りつかれているのだろうか?
それとも、こいつはジルでは無いのか?
俺の知っているジルはいなかったのか?
ロベルトは混乱した。
その瞬間だった。
ジルは飛び上がってロベルトの肩を掴んだ。
恐るべきパワー。
恐るべきスピード。
こいつは俺を喰おうとしているのか!?
「……クソっ、なんて腕力だ! お前、いつからこんなに腕っぷしが強くなったんだ!?」
ジルは答えない。
押さえつけたまま、口を開く。
その歯は異常なまでに尖っていた。
女の血が滴り落ちる。
「どきやがれ! 『烈火の息吹 弾丸となれ バーニング!』」
「……グォォォォォッッ」
最小限に制御した火炎弾はジルの顔面に当たり、ジルは背後によろめいた。
火炎はジルの髪を燃やし、顔面を焼き続ける。
「チッ……!!」
ロベルトは水瓶を掴むとジルに投げつけ、炎を鎮火させる。
地下室内に蒸気が立ち込めた。
「ジル! どうした!? 俺の声が聞こえないのか!!?」
「プシュー……」
ジルは顔の水気を右手で払った。
「な、なぜだ? ジル……お前、顔のやけどはどうした……?」
おかしい。
俺は確かにジルの顔面を火炎魔術で焼いたはずだ。
なのにどうして、こいつの顔は、髪は、元の通りに戻っているんだ!?




