5.故郷との別れ-2
家に入ると、向かってすぐの壁に家族の肖像画が飾ってある。姪のエマが生まれた時に絵の上手な領民が描いてくれたものだ。僕らにとって執事のドニとメイドのネリーは家族みたいなものだったので、僕も含めて六人が描かれている。
「なんだ、お前、この絵の女のことが好きだったのか」
グラディウスがまた唐突に恋愛話をし始めた。グラディウスの言う「女」とは、生まれたばかりの姪のエマでも、メイドのネリーでもないことは明らかだった。
「違う、彼女は僕の兄さんの妻だ」
「兄貴の女に惚れちまったのか。つらいな」
グラディウスは僕の話に聞く耳を持たない。
「この女とチューくらいはしたか?」
「さっきから恋愛の話ばかりだな」
恋愛話が好きな聖剣に呆れながら、僕は言った。
「オルヒデー家のヤツら、子どもに俺を継承させなきゃいけないからって、どいつもこいつも女に見境がないんだ。それを間近で見るうちに、癖になっちまった。で、好きだったんなら、一度くらいチューはしたか?」
また同じ質問に戻ってきた。チューしたのかどうか、僕に聞かないと気がすまないらしい。
「だから違うって言ってるだろ、そういう関係じゃない」
僕は強めの口調で言い、グラディウスを睨んだ。
「オルヒデー家の奴らは気に入った女がいると、すぐにチューしてたぞ。女の中には嬉しさのあまり気絶しちまうやつもいた。……まぁ、すぐにビンタしてくる女もいたけどな」
グラディウスは楽しそうに話している。人の色恋沙汰を見るのが、よっぽどおもしろかったようだ。
「リーヴェスも気に入った女がいるとすぐにチューするような男だったのか?」
まったく興味はなかったが、自分から話を逸らすために聞いてみる。
「いや、リーヴェスはお堅い男だったよ。で、お前、チュー……」
また同じ質問を繰り返すのかと思い、話を遮って否定しようとしたところ、グラディウスは急に言葉をとめた。少し黙ったあと、独り言のようにまた話し出す。
「チューしなかったんだろうな。お前もリーヴェスも、後先考えずにチューするようなヤツだったらよかったのにな。そしたらこんなに悩まなくてすんだだろうに」
グラディウスは一呼吸おいたあと、今まで話していた声よりも大きく、明るい声で
「気に入った女を見つけたら、たまには後先考えずにチューしてみたらどうだ?」
と言った。
これ以上この話を続けたくなかったので、僕は「あぁ、そうだな」とだけ答えた。
グラディウスと無駄話をしているうちに、一階にある書斎の前に着いた。ローディは家にレティシアの書いた日記が残っていると言っていたが、あるとしたら書斎ぐらいしか思いつかなかった。
マリーによっていつも綺麗に保たれていた書斎も、今では部屋中ほこりだらけだ。
机にはダヴィドがよく使っていた本が山積みされていて、ノートもペンもいつでも書ける状態で置かれている。ダヴィドがいてもおかしくない部屋の様子なのに、溜まったほこりがダヴィド達はもうこの家には住んでいないことを告げてくる。
早くこんな家から出て行きたかった。
書斎の本は膨大で、一冊一冊見て確認していたら時間がかかりそうだった。どこから手をつけようか考えていると、
「おい、右に進めよ」
とグラディウスが僕に教えてくれた。
「レティシアの日記の場所、分かるのか?」
「あぁ、聖の気が溢れ出ている本がある。多分それだろ」
グラディウスの指示に従って、本を探す。グラディウスが場所を教えてくれた本は、全部で五冊あった。全て同じデザインで、「レティシア・キルシュバオム」という名前と、一から五までの連番がそれぞれの表紙に書かれていた。
「君の言う通り、レティシアの日記だ。ありがとう、助かったよ」
グラディウスに一言お礼を言ったあと、一の数字が表紙に書かれた本を開いた。
十四歳の誕生日プレゼントで日記帳を買ってもらったらしく、日記帳をもらったその日の出来事が最初の一ページ目に書かれてあった。毎日のように書いている期間もあれば、一年空いている期間もある。
最初の方は、読んでいて恥ずかしくなるような片思いの記録が綴られているだけだった。一冊目の日記帳はほとんど片思いの記録だったが、最後のページには魔物について書かれていた。僕は一通り記載に目を通したあと、グラディウスに説明する。
「レティシアは、十六歳の時に初めて魔物を見たようだ。森で魔物に遭遇し、魔物と一緒にいた見知らぬ男に命を狙われ大怪我をしたが、ぎりぎりのところで兄に助けられたと書いてある。そしてこの日を境に、王都付近で急激に魔物が発生するようになったらしい」
「レティシアが魔物に初めて会ったと書いてある日っていつだ?」
ページの一番上に書いてあった日にちをグラディウスに伝えると、
「リーヴェスが街で魔物に遭遇する日の前日だな」
と言った。