32.悪役令嬢への第一歩?-2
「お似合いだなんて……あなたにそんなこと言われても、ちっとも嬉しくないわ。周りの人にどれだけお似合いだと言われても、リーヴェス本人が私のことを好きだと言ってくれないかぎり、意味はないのよ」
イレーヌの目からは、ついに大粒の涙がこぼれ始めた。イレーヌは私には泣く姿を見られたくなかったようで、そんなにじろじろ見ないで、と目で訴えながら悔しそうに泣いている。
今まで頑張ってこらえていた涙がいっきに溢れ出したせいで、イレーヌはもう自分の感情を止めることができないようだった。
イレーヌは肩を震わせて泣いている。泣く声を必死に抑えているのは、彼女の最後のプライドのようにも見えた。
「あなた、よく眠れていないでしょ? 疲れているから、正常な判断ができなくなっているのよ。私とリーヴェスが今後、あなたが想像するような関係になることはないから、安心してよ。今日はもう家に帰って、休んだ方がいいわ」
と言うと、私はイレーヌを抱き寄せ、部屋を出た。
「今はそう言えても、リーヴェスをもっと知れば、きっとあなたも彼のことが好きになるわ」
ハンカチで涙を拭いながら、イレーヌは言った。
しっかり化粧をしてきたことが仇となり、イレーヌのアイメイクは今ではすっかり流れ落ちていた。お化けのようになってしまった顔を震える手で隠しながら、イレーヌは歩く。
「私はリーヴェスのことを好きになれるほど、身の程知らずではないわ。それにほら、私を見て。美人とは言えないでしょ。あなたみたいな綺麗な婚約者と今までずっと一緒だったリーヴェスが、私に興味を持つわけないわよ」
私はイレーヌを慰めたかったが、私が口を開くたびイレーヌの機嫌は悪くなった。
「リーヴェスは、見た目で人を判断したりするような浅はかな人ではないわ。あなたが美人じゃないからって、油断なんかできない」
玄関を出て、イレーヌの乗ってきた馬車に近づく頃には、彼女は少しずつ落ち着きを取り戻していた。もう涙は止まったようだ。軽く目の下をハンカチで押さえたあと、イレーヌは馬車に乗り込む。
他人に美人じゃないと面と向かって言われたのは今回が初めてだったが、なぜか嫌な気分にはならなかった。それは「あなたは美人じゃない」と言った時のイレーヌの言い方に、私を蔑むような感情が感じられなかったからだと思う。彼女はただ、事実を言った。そして私が美人でないのは事実なので仕方がない。
リーヴェスと私の仲が気になったからと、イレーヌは変に裏で手を回したりせず、わざわざ私に会いにやってきた。
貴族の令嬢は、こういった類の問題が発生した時、自分の手を汚さないために他人を使いたがることが多い。
自分の口で直接私に忠告しにきたイレーヌは、裏表のないまっすぐな人なのだろう。
――本来であれば、私ではなくリーヴェスに、レティシアとはもう関わらないでほしいと言ってほしかったが、まぁ許そう。恋する人に嫌われたくない気持ちは痛いほど分かる。
「所用でしばらくはリーヴェスに会うけど、用さえすめばもう会わないから。だから、安心してちょうだい」
今にも走り出そうとしている馬車に向かって、私は言った。
イレーヌは私と目を合わせようとはせず、馬車の進行方向を見たまま
「朝の忙しい時にお邪魔したわね。失礼するわ」
とだけ言って帰って行った。
イレーヌの馬車が見えなくなると、急に背後から拍手が聞こえてきた。
「レティシア、すごいね。あともう一押しで、リーヴェスたちの婚約を破談にできそうだ」
振り向くと、いつの間にかユベールが近くに立っていた。
昨日までとは違い、すっかり顔色の良くなった彼は満足そうに笑っている。初めてユベールに褒めてもらえたが、ちっとも嬉しくない。
「私は二人を破談にしたいわけじゃないのよ。リーヴェスは聖剣を繋ぐ気はないって言ってたけど、私としては二人にこのまま結婚してもらって、リーヴェスが子どもに聖剣を繋ぐのが一番いいと思っているわ」
「へぇ、昨日は聖剣以外の方法を探そうって言ってたのに、結局はリーヴェスの考え方を変えようとするんだ」
ユベールが意地悪な顔で言った。
「私はあくまで、聖剣以外の方法を探すつもりよ。でもね、自然と人の考え方が変わることってあるじゃない。たとえば――愛の力とか」
自分の頬が赤くなるのが分かり、思わず頬に手を当てる。ユベールには理解してもらえないとは思っていたが、案の定ユベールは
「愛の力?」
と呆れ顔で私のことを見ている。
愛には人を変える力がある。イレーヌの思いがリーヴェスに伝われば、リーヴェスの考えだって変わる可能性がある。――とユベールに熱く語ろうとしていたのだが、ユベールは
「まぁ、いいや。聖剣を繋ぐかどうかについては、もうレティシアに任せるよ。君の好きなようにすればいい。――まぁ僕は、レティシアとリーヴェスがくっつくのが一番だと思うけどね」
と言い、私が語る機会をくれなかった。
「どうしちゃったのよ、急に」
昨日までのユベールだったら、なんとしてでもリーヴェスと私をくっつけようとしてきたはずだ。
「僕が動くより、レティシアに任せておいた方が上手くいきそうだって昨日思ったんだ。僕のできることはやったし、あとはもう見届けるだけさ」
ユベールは晴れやかな顔で言った。自分一人で何とかしなくてはいけない、といった変な気負いが彼の顔からなくなっていた。ユベールに頼ってもらえるのは、正直嬉しい。
「任せてちょうだい。とりあえず今日は、今からリーヴェスの家に行くわよ」
「いいね、イレーヌが一人で悩んでいる間に、さっさとリーヴェスを奪ってしまおう」
ユベールが茶化すように言ってくる。だから違うって言ってるでしょ、とユベールの肩を叩こうとしたところ、二階から私たちのことを見ているお父様が私の目の端に映った。私は驚いて、お父様を見る。
お父様は、満面の笑みで私に手を振ってきた。そして、親指を立てて目配せしてくる。
単純なお父様の思考回路から察するに、「ユベールくんと上手くいっているようじゃないか、父さんは嬉しい」と言われているような気がする。
明らかな誤解だが、お父様には喜んでいてほしいので、私も親指を立ててみた。それを見て、お父様はさらに喜ぶ。私の嘘を信じてはしゃぐお父様を見ると、どこか後ろめたい気持ちになった。
「どうしたの?」
ユベールが私の視線の先を見ようとしていたので、私は慌ててユベールの手を引っ張った。お父様とユベールの目が合ってしまったら、お父様がわざわざ家から出てきて、ユベールにあいさつしたがる危険性がある。
「リーヴェスの家に急ぎましょう」
私は門の外に向かって走りだしたものの、すぐに止まる。
「どうしたの?」
「リーヴェスの家の場所が分からないのよ」
これは一回家に戻って、物知りなお兄様か、噂好きなコレットに聞くしかないのか? と迷っていると、
「リーヴェスの家の場所なら僕が知ってるよ、行こう」
と言ってユベールが走りだした。
私はユベールの隣を走る。
「なんで知ってるの?」
「未来で僕がグラディウスを拾った建物が、たぶんリーヴェスの家だ」
ユベールが意味ありげに、にやりと笑った。
なぜユベールが笑ったのか最初は分からなかったのだが、走っているうちに理解できた。結局私は、劇場に向かった時と同様、リーヴェスの家まで速度を落とすことなく走るはめになった。




