29.レティシアの過去-2
部屋にこもって何週間か経ったある日、お父様が目を赤く腫らしてやってきた。
陽気でいつも笑顔のお父様が、私に弱った顔を見せたのはこの時が最初で最後だ。お父様は時間を見つけては私の部屋によく顔を出してくれていたが、今までは事件などまるでなかったかのような、いつも通りの笑顔で私に接していた。
お父様は私の腕をつかむと、請うように私に言う。
「お願いだから、元気を出してくれ、レティシア」
いつもは、「気分はどうだ?」と私に話しかけて、当たりさわりのない話をするだけだったお父様が、赤く染まった鼻をすすりながら、私に向かって話し始めた。
「実はお前には姉がいてね、その子も紫色の瞳をしていたんだ」
「私のお姉ちゃん? 今はどうしてるの?」
自分に姉がいることを、この時初めて教えてもらった。
「生まれてすぐ死んでしまったよ。うちの家系では紫色の瞳をした子どもがたまに生まれてくるんだが、みんな長生きできないんだ」
お父様は私の瞳から目をそらさない。私もお父様の目をじっと見つめた。
「一人目の娘が死んでしまった時、母さんは代われるものなら自分が代わりに死んでやりたかったと、ひどく悲しんだ。だけどまた、紫色の瞳をしたお前が生まれてきてくれて、あの子が戻ってきてくれたと元気を取り戻したんだ。――お前を無事に守ることができて、母さんはいま幸せだ。母さんの分まで、人生を楽しんでおくれ」
お父様は、目に涙を浮かべながら優しい声で言った。
「お父様は、私のこと恨んでない?」
私も泣きながら言った。声は震え、鼻水は止まらなかった。
「なんで恨む? お前のことを恨むやつなんか、いるわけがないだろう。よく、生き残ってくれたね。父さんも母さんも、お前が無事で嬉しい」
そう言うと、泣きはらした目でお父様は笑った。
私は声を上げて泣いた。そんな私を見て、お父様も涙をハンカチでぬぐうをやめて、人目もはばからず泣いた。
この時の私の涙はお父様の優しさに対するもので、お父様の涙も、私がお父様に心を開いたことに対する嬉し泣きだったと思う。
この日から少しずつ、私はお父様と過ごす時間が増えていった。
お父様はお母様を失ったばかりだったけれど、誰に対しても明るく振る舞っていた。そして、私に言ったのと同じように「娘が無事で本当によかった、妻は娘を守れていま幸せに違いない」と幸せそうな笑顔で言っていた。
強がりではなく、心からそう思っているような晴れやかな笑顔で話すので、暗かった周りの人の表情も次第に明るくなっていった。
お父様はとにかく明るい。複雑なことでも単純に考えられるからこそ、お父様は明るく振る舞えるのだと思った。
一緒にいるうちに、お父様の考え方は私にも移ってきた。
人のためになることはいいこと、人を悲しませることは悪いこと、これくらい単純に考えた方が、悩みがちな私にとっては楽だった。
すぐに考え方を変えることはできなかったけれど、今ではすっかり慣れてきたような気がする。
お父様が仕事の時はお祖父様やお祖母様と過ごした。しかし、一人の時間はなくならなかった。
一人の時はどうしても誘拐された時のことを思い出してしまって、ベッドにうずくまって時間が過ぎるのを待った。
そんな時、急にカーティスお兄様が現れた。お兄様を見てすぐ、私は誘拐現場にいた銀色の小鳥が人間の姿をしているのだと気づいた。髪の毛の色が、小鳥の羽の色と同じだったからだ。
おかしなことに、お父様はカーティスお兄様を実の息子だと思い込んでいる。お父様だけではない。お祖父様もお祖母様も、実の孫だと思っていた。お兄様だけ外見がまったく異なるのに、私たちが兄弟であることを疑う人は誰もいない。
状況がよく分からなかったが、お兄様自身も本当の兄であるかのように振る舞ってくるので、私は美しい小鳥の好意に今まで甘えてきた。小鳥が私のことを励まそうと思ってくれていることが、何より嬉しかった。
お兄様のおかげで、私は一人で過ごす時間がなくなった。お兄様は優しく微笑みながら、いつも隣にいてくれた。
お兄様に手を握られると、体が軽くなるのを感じた。体が軽くなると、次第に心も前を向くようになっていった。
お祖父様は、少しは自分の身を守ることに繋がるだろうと、私に剣を教えてくれた。私にとって剣の稽古をすることは、自分の無力さをまぎらわすいい機会になった。お祖父様が亡くなったあとも、剣の稽古は私の日課になった。
しかし、気をそらすことはできても、自分のあの時の無力さを忘れたことは今まで一度もない。どのように動いていたらお母様を救うことができたのか――。十一年経った今でも、いまだに考え続けている。
この方法だったらお母様を救うことができたかも! と思いついたところで、事態が変わるわけでもない。たら、れば、を繰り返し考えて、五歳の時の私をずっと引きずっている。
お母様と同じような姿をした女性が私に向かって言う。
「私は死んだのに、なんでお前はまだ生きているんだ」
気づくと、お母様の隣には、お父様と同じような姿をした男性が立っていた。彼も言う。
「私は子どもなんていらなかった。妻さえ無事でいてくれたら、それだけでよかったのに」
お父様もお母様も、本心では私の存在を疎んでいたりするのだろうか。
暗闇の中、目の前にいる女性と男性を私はぼーっと眺めた。




