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神になった男

作者: 長野もね男

 女はやはり顔だ。

 女が化粧をするのは、彼女達が女の顔の重要性をよく知っているからだ。

 実際、女は顔がよくなければどうしようもない。

 オリンピックで金メダルを取る才能があっても、顔が良くなければ、その女には「ブス」という辛辣な一言が浴びせられる。

 それが世間の女を見る本音だ。

 平日のレンタルビデオ店、アダルトコーナーに他の客はいなかった。客が多すぎるのも困るが、客が他にいないのも好ましくない。店員の視線を感じる。おれは額の汗を指で拭った。掌も汗をかいていた。有線に混じって、店のCMが入る。

 

 今月の一押しは『ブラック・ダイアモンド』。「マトリックス」のジョエル・シルバーが制作総指揮、「ヒーロー」のジェット・リーが主演の最新アクション最高傑作。VFXを超えたアクションをあなたは目撃する。

 

 深呼吸をして、おれはアダルトビデオのパッケージを見る。主に見るのは女優の顔。しかも、表紙だけではなく、裏面もしっかりと。たいてい、表紙のパッケージの写真はどの女優も美人に写っている。だが、そのビデオを借りて見てみると、たまたま美人に写っていたスチール写真が使われていただけ、ということも多々ある。本当にこの女優が美人かどうか、おれはできる限り多くの写真を見て吟味する。

 レジには女しかいなかった。ノープロブレム。おれは小さな声で言った。げっぷが出た。昼に食べた豚肉の生姜焼きの味が口によみがえる。母親が朝作った父の弁当の残り物。ノープロブレム。おれは小さな声でもう一度言った。

 会員カードと『淫乱熟女! 童貞狩り』のパッケージをレジに出す。レジの女の眉が動く。表情を変えてはいけない。おれは女を睨み返した。

 二泊三日でよろしいですね。頷く。三百五十円になります。金を出す。毎月母親からもらっている一万円の一部で払う。バーコードリーダーを持つ女の手を見る。華奢だ。舐めたい。その華奢な手から、つり銭とビデオを入れた袋、レシートがおれに渡される。おれはわざと人差し指と中指を伸ばし、自然に、しかし故意に、女の手を触った。ありがとうございました。女は頭を下げる。おれはチアフルな気分で、女の指の感触を思い出す。

 レンタルビデオ店を出ると、昼下がりの午後三時。それまででかいツラしていた太陽が、夜の闇に飲まれそうな脆さを見せる。下校している四人の小学生の黒いランドセルが、白い光を反射させた。

 うっ。

 おれは右手を額に当てる。

 過去の記憶の短いカットが頭の中を瞬間的に駆け巡る。

 もう、十年以上も前の話だ。

 下校時、おれはいつも四人の小学生の黒いランドセルの後ろを独りで歩いていた。前を歩いている小学生は同じクラスの連中だ。六年にもなって、ふざけあって帰るなんてガキだな。おれは後ろを歩いている女子の集団に聞こえるように独り言を言った。

 おれは、彼らに溶け込めないのを知っていた。彼らを追いかけておれが走り出したら、前の連中は逃げるように走るだろう。おれは彼らに溶け込もうと何年間も努力した。教師だって、おれと一緒に帰るように彼らを指導した。だが、教師が強制的に彼らの中におれを溶かし込んでも、教師の目が届かなくなる通学路の途中で、彼らはおれを散々「くさい」だの「汚い」だのと罵倒し、挙句におれの両手は彼らのランドセルで塞がる始末だった。おれはそのことをよく悟っていた。

 そうだ、あの頃のおれはもう悟っていた。

 また別の記憶がよみがえる。

 あれはたしか、五年生の「ゆとり」の時間のレクリエーションだった。

 誰かが「カンけり」をしようと言い出したのだ。運動場を使い、クラス二十七人を九人ずつの三班に分けて「カンけり大会」をすることになった。

 おれたちの班は男五人に女四人。

 はじめにじゃんけんをして、鬼を決める。幸い、鬼になったのはおれではなかった。

 しかし、おれはいちばんに見つかった。そして、残りの七人は、誰も缶を蹴っておれを助けようなどとは考えず、あっさり鬼に見つかった。

 自然に、次のゲームはおれが鬼になる。

 そして、それからおれは鬼を交代することができず、残りの四十分間、鬼をやり続けた。

 誰かひとりを見つけても、すぐに誰かが缶を蹴る。

 かわいい顔をした女子が、体操服のブルマで飛び跳ねて、おれが必死になって守っていたカンを蹴ることもあった。まだ、あいつ、鬼してるよ。無様にカンを拾うおれの姿を見て、女子たちは指を指して笑っていた。 

 だが、そのときの女子たちの嘲笑がおれを覚醒させた。

 思い起こせば、おれは昔から、鬼ごっこの鬼のようなものだった。

 おれが近くに寄れば、みんな逃げる。おれの手が誰かの手に触れると、触られた人間は慌てて他の人間にその手をタッチした。まるでおれに触られてから鬼ごっこがスタートするかのように。

 そして、「カンけり」という教師公認の鬼ごっこを学校の授業時間にしていることで、おれははっきりと自覚した。

 おれは鬼なのだ。カンを拾いながら呟く。しかし、それは悪い気分ではなかった。

 鬼、という単語の力強い響きが自尊心を満たしてくれた。

 それまでつらいと思っていた、ひとりぼっちの登下校も、おれが触っただけで誰もプリントを触らなくなることも、給食の配膳をやらせてもらえないのも、おれが鬼だったからだと理由付ければ、さほど苦しいことでもないように思えた。

 かつて、おれは鬼だった。

 レンタルビデオ屋の黒いビニール袋を持って、おれは改めて思う。しかし、それはしあわせな思い出ではやはりなかった。苦々しく、ついつい拳を強く握り締めてしまう。

 なんでこんなことを思い出してしまったんだ。

 前方には四人の小学生が、おれの記憶の苦しみも知らずに、平和にランドセルを太陽に照らしている。

 あいつらさえいなければ。

 おれは鼻の下の汗を肩で拭った。老人が自転車で通り抜けていく。他に大人はいない。

 おれは小学生のもとへ走った。みんな、帰ってるの? 自分でも君が悪い猫なで声を出す。小学生は一様におれを見た。警戒心がありありと見える。おれはわざと大げさに微笑した。

 お兄ちゃんがジュースを買ってあげよう。おれはポケットから千円札を取り出し、小学生に見せる。いらない。ひとりの小学生が首を振った。続けて三人も首を振る。

 いいよいいよ、遠慮しないで。おれは首を振った小学生の手を握り、強引に引っ張る。小学生の目に恐怖心が走る。小学生が叫んだら逃げよう。おれはそう思っていた。だが、小学生は、他の三人へのプライドがあるのか、叫ばなかった。

 小学生の手を引いて、団地の中の狭い路地にぽつんと置いてある自動販売機へ歩く。他の三人の小学生もついてきた。静かだ。自動販売機のモーターの音が聞こえる。遠くで犬が鳴いた。

 おれは千円札を自動販売機に入れる。手が震えてなかなか入らない。入れても、すぐに戻ってくる。小学生の八個の目が無言でそれを見ている。

 やっと、千円札を自動販売機が飲み込んだ。おれは迷わず、いつも飲んでいる缶コーヒーのボタンを押した。

 がちゃんと音がして、缶コーヒーが出てくる。続いて、じゃらじゃらと小銭が落ちる。おれはまず、小銭を拾いポケットに入れた。それから缶コーヒーを取り出し、缶のプルトップを引く。咽喉が渇いていた。おれは一息にそれを飲む。

 飲み終えて視線に入ったのは、小学生四人だった。ふーっと息を吐いて、おれは目的を思い出した。

 おれは空になった缶を、路地に転がした。それから小学生に言った。拾え!

 小学生は互いに顔を見合わせている。おれは更に言った。拾え!

 小学生は動かない。

 おれはひとりの小学生の頭を平手で叩いた。拾え!

 小学生は涙目でおれを見た。それからしゃがんで缶を拾う。缶をおれに渡す。おれはまた缶を路地に転がした。

 拾え!

 素直に小学生が缶を拾った。

 また、缶を転がす。

 今度は何も言わずとも、小学生が缶を拾う。

 おれは顔を上げ、西に傾きだした太陽を見る。そして気づく。

 おれはいま、神なのだ。

 おれが缶を投げたら、小学生たちは缶を拾う。このルールを作った神なのだ。

 そして、この哀れな四人の子羊は、このおれが作った空間に否応なく投げ込まれ、ここから脱出しない限り、おれの弄びに従わなければならない。

 また、おれは缶を転がした。小学生は拾う。

 顔が美しく生まれるのも、不味く生まれるのも、運動ができるのもできないも、頭がいいも悪いも、すべてはおれが空き缶をどこへ投げようかと思うぐらいの気まぐれで生まれているのだろう。

 そして、おれは顔が不味く生まれた。おれが生まれたとき、誰一人としておれのことを、かわいい赤ちゃんとは呼ばなかったそうだ。誰もが、おれの顔を見て一瞬ギョッとして、それからやっと、元気そうな赤ちゃんねと精一杯のお世辞を母に言ったらしい。

 その顔の悪さから積極性に欠けていたのか、それとももともと素質がなかったのか、おれは他人より運動も勉強もできなかった。女子がらくらく飛べた跳び箱もおれはできなかったし、九九が言えなくて、夕焼けの差し込む教室にひとり残されたこともある。

 すべては神の気まぐれのおかげで。

 だから、おれはいま、神となり、空き缶を転がす。子羊たちよ、迷えばいい。

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