『スープ』
シンデレラコンプレックスを知っているか。
曰く、恋愛観における心理的障害の一つだ。どういう障害かと言うと『自分から行動できず、相手が接触して来るのを待ち続けてしまう』と言うもので、その様子をおとぎ話のお姫様になぞらえてシンデレラと命名されている。
まぁ、女性に多い症候群だ。
それ自体は普通だろう。おとぎ話のお姫様に感情移入するのは女性の方が多いだろうし、お姫様に憧れる女性ならではの思考パターンということだ。
だがたった今、後輩は俺がシンデレラコンプレックスだと断定した。場所は居酒屋、係全員参加の打ち上げの中でだ。
後輩は陽キャを絵に描いたような人間で、女遊びが上手い。出張先では必ず現地人と同衾するし、逆に会社近くではボロを出さないように上手く立ち回る。オフィスラブも綺麗に隠しつつ、自分と同類の女性だけを相手にして禍根を残さない。
その性格は気さくで爽やか、人に好かれるタイプだ。現に今、係13人が集まった居酒屋の中心は後輩で、女子の恋愛トークにもいやらしくなく付いていってる。むしろリードしているくらいで、そのリードした先が俺のコンプレックス罹患の診断結果だ。
後輩を囲む女子社員6名は口々にキモい、きたない、キモチワルイと3Kを繰り返す。対面に座る俺は両側を上司に挟まれ逃げ場なく、後輩が続ける問診を聞くしかなかった。
後輩が言うには、彼女を作ろうとしないというのはあり得ない考え方なのだそうだ。
だから、本当は彼女が欲しいに違いなく、『作ろうとしない』のは本人が傷つきたくないだけ。女性側が勝手に好きになってくれるのを待っているだけに過ぎず、もし誰かに告白されたらすぐに付き合い出すだろう、と。
女性たちから毛虫でも見たような声が上がる。
両側の上司が俺の肩を叩いてくる。
後輩はニヤッと笑い、ハイボールで舌を潤してコップを置いた。
俺は情けなさそうに笑い、あやまる。
後輩はさらに続ける。
俺のような人間は誰かと付き合ったことも無いと。待ってるだけの男の相手をしてくれるのは母親くらいのものだからと。現に今、俺は前にいる後輩たちと会話もできてないと。もしかしたら初体験の相手は母親かもしれないと。
女性たちは嫌らしいものを避けるように顔を背ける。
両側の上司が俺の頭を押さえつける。
後輩はニヤッと笑い、女性の一人と何事か囁いている。
俺は情けなく笑い、あやまる。
後輩がさらに続けようとしたとき、女性の一人が俺に声をかけた。
そんなことはないと。
俺のような人を良いと思う人もいると。
だから頑張ればなんとかなると、言いながらその女性は吹き出してしまった。
自分が言ったことが心底可笑しかったのだろう。口元をおしぼりで隠しているが、その下にある真っ赤な唇は横に薄く引き伸ばされている。喋っている途中で我慢が出来なくなったようだ。周りもそれは同じだったようで、女性たちも、上司も、後輩もみな膝を叩いて笑っている。
俺も情けなく笑い、あやまった。
すいません、すいませんと繰り返しあやまった。
ーーーーー
きっちり2次会までこなした俺は、日付の回った午前2時に家に帰り着く。
汗ばんだ服を洗濯機に放り込み、シャワーを浴びていつもの格好になる。料理をするための格好だ。
今日は居酒屋だったが食事にはほとんど手をつけて無い。腹はすっかり空っぽで、何かを入れないととても眠れそうになかった。
今日の献立は簡単だ。スープを作る。
空きっ腹に入れた大量のアルコールと、色々あって荒れた胃に固形物はよろしく無い。マグカップ一杯程度の暖かいスープなら身体の負担は少なく済むだろう。これを飲んで明日の出勤に備えたい。
片手鍋を出した俺はマグカップ一杯分の水を注いで火にかける。
マグカップには塩昆布をひとつまみと白だしを少々。片手鍋に調味料は入れない。洗わずに済むからだ。
お湯を注げばあっという間に完成。
独り居酒屋の気まぐれメニュー、『貧者のスープ』だ。
これは最近の料理の中でわりとマシな部類に入る。
味はともかく、暖かいので満腹感と錯覚させやすい。塩味が薄けりゃ昆布と出汁を増やせばいいし、塩分過多を気にするならほうれん草でも突っ込んでおけば完璧だ。しかも朝の胃もたれを軽減することまでできる、まさに魔法のレシピ。
唯一の欠点は飲んだあと横になると胃を逆流してくるところか。
一口飲んでいつもの寝床に腰を下ろす。テレビを点けると深夜アニメが放送されていた。
学園もののラブコメディのようだ。冴えない主人公の周りには何故か美女が集まっていて、口々に好きだ愛だと喋っている。ストーリーがわからないが、主人公は美女の求愛を全て断っているようだ。
俺は他人からこういうアニメに憧れているように見えているのだろう。
シンデレラコンプレックスならぬ、深夜アニメコンプレックス。
主人公のように黙っていても周りがチヤホヤしてくれるのを待つだけの構って野郎。想像するだけで反吐がでる。これは後輩達も俺をいじめたくなるわけだ。
そういえば俺は、女性経験が全く無い訳ではなかった。
といっても交際期間が最長2週間では無いにも等しいだろう。とりあえず付き合ってすぐに別れる。これを延々と繰り返している。
理由はいろいろ、俺が悪かったり、相手が他の男を見つけたり。
長続きすることなくここまで来てしまっていた。独りが楽だと気が付いてからはそういう活動もしていない。
もう、パートナーというものに魅力、希望を感じない。
俺が今まで出会ってきた女性は職場のあの6人のようなものだ。彼女らはわがままで、人の尊厳を踏みにじるのが大好きだが、自分たちは100%善人だと信じている、もしくは善人として扱われることを望んでいる。
そういう女性を否定はしない。それはあくまで人間性の一面であって、それとは別に良いところを沢山持っているのだろう。育児と仕事を両立している女性や趣味を分かち合うパートナーがいる女性も、あの6人の中には確かにいた。
ただ多くの女性が俺に向けるのは、見た目で感じた印象そのままだというだけだ。
ひき潰されたカエルを見て笑うのは無邪気な子供だけだろう。それも『ブザマで面白い』と言ったところだ。先ほど『人の尊厳』と言ったが、そんな外見の俺が尊厳を主張するほうがおかしい。
汚らしい人間を認められる人間はそうそういない。そういう意味では後輩が言った『接する相手は母親くらいだ』というのは素直な感想だと思う。
そう思えば、だいたい俺自身の性格もそうとうに汚らしい。
別に俺は外見さえどうにかなれば、などと思い上がっているつもりはない。人間的魅力が何とも乏しいのだということも、過去の女性経験で学んだことだ。
『外見じゃなくて重要なのは中身だ』を実践する女性も世の中にはいる。そういう人たちの眼鏡に俺は適わなかった。
理由はわかっている。見た目の汚さにあぐらをかいて自尊心をブクブクと太らせているからだ。
醜い、馬鹿にされたくない、見栄をはりたい、でも何もしない。こんな人間のどこに魅力があるというのか。
こうやって理論武装を固めて恋愛から逃げる俺が、後輩たちからすると『逃げてるだけのキモオタ野郎』になるのだろう。いや、実際そうだ。
やろうと思えば愛の無い恋愛だって義務の結婚だって出来る。
それすらせず女性と、人とすら関わりを断とうとする俺は社会不適合者だ。人間失格だ。
彼らはそれを俺に教えてくれている。いつも教えてくれているのに、俺はどうすることもせずただ立ち止まっているだけ。これでは彼らが怒っても仕方ない。
テレビを消して空になったマグカップを畳に置く。寝床に横になって目を閉じた。
(明日はみんなに謝ってから仕事をしよう。それから今日の件で相手先にお詫びの電話と、後輩を連れて現場へ説明。お詫びは朝一が良いけど、後輩が遅刻してきたら俺だけで行くしかないか。
しょうがない、俺が指導役なんだから)
瞼の内側に涙が溢れる。
だけど溢れることはない。
俺は重度のドライアイだから、ちょうどいいから。
だけど今晩は寝返りができそうにないな。
カップスープは好きでよく飲んでます。パスタの入ってるやつは朝食がわりに使えてほんといいですよね。
作中で出した「貧者のスープ」は、美味しいっちゃ美味しいんですが飽きが早いです。酒飲んだ後のシメにどーぞ




