薬師(くすし)のおしごと
薬師。ここでは文字通り、医術が分化していないのでお医者さんとほぼ同義だったりする、おくすり作りをするひとのことです。
音を舌で転がすような文章を書きたかったり、異世界で非日常な穏やかな日常を書きたかったりしました。
もしかすると初投稿。
よろしければ、ぜひ、喉などで音にして読んでみてください。
少しだけふわっとした楽しみがあると思います。
もしも感想、指摘などありましたら、歓迎しております。
穏やかな昼下がりの頃――。
初冬のやさしい木漏れ日が、半空きの曇り硝子に透かされて、まだらのように、もやのように、少女の頬を照らしている。
枝の小鳥がひと鳴きしてみな飛び立ち、彼女も匂いに気がつく。起きるにはちょうど折りがよかった。こぽりこぽりと小気味よく、ねっとりと、ねばつく泡が鳴きだして。
「わ、と、と」
慌てた声で跳ね起きる。しかし手遅れの焦げくささではない。これならば、加熱はぴったり充分であるようだ。とたとた、黒木の床を踏みしめ炉へ向かった。
火の精霊は、冬の乾いた赤サビ枝をこよなく好む。小鍋のまわりを熱素が陽気に飛び交っていることだろう。
火の尾はまさに、笑うかのごとく、左へ、右へ。
――――
ととん。こり、こり。じゅうぅ。ぱり、ぱり。耳をくすぐる音が響く。
小鍋のなかで、樹の根が踊り、その隣では真っ赤になった茎が皮を剥かれていく。表面が焦げない程度に炙られて、乳白色がきつね色になる。穏やかな香りがして楽しい。彼女はこの工程が好きだった。
手を伸ばす。摘みとって半年経つが、なおみずみずしい多肉草の葉。小屋をゆうに越す巨熊の胆。しなびた赤色の木づた。青色の脆い石。そして、舌にのせればたちまち汗が止まらない、薬草、焔樹の木肌を、分量をけして違わないようにそっと削りとった。
――――
さりさり、さりさり。すずしい音色をひびかせて、灰そら色の、されきは砂に、砂は微粉に、真白のカケラに移りゆく。はく息も……、まばたきさえも慎重に……。
彼女は手を止める。瑪瑙でできた鉢の中には、細やかな絹の白色ができていた。
ゆっくりと、ゆっくりと、瓶に詰め、これで完成。
蓋を締めて彼女はひとつため息をする。遠慮なく息を吸うたび、身をよじるたび、緊張がほぐれていく。これでやるべきことはおしまいだ。
さて、と。彼女は顔をあげた。一、二歩踏み出し、力を抜いて手を振って、棚をなでる。この薬棚のあるじは、たいていの場合ラベリングを好まない。さっと記憶を探る。けして楽な仕事ではないが……。慣れたものだ。彼女はもう素人ではないのだ。逡巡わずか、熟れた手つきで取り出した。
『凶行樹』
『竜の腹下し』
『トネリコ殺し』
手は隣の棚へ。
『寒村の悪魔茸』
『孕み柘榴』
『バアル・ゼブルの冬虫夏草』
取り出した、物騒な二つ名のこれら素材は、道理をわきまえた薬師のもとで、おどろくべき癒やしのくすりとなる。音もなく扉を閉じた。使い込まれた木材はしっとりと手につき心地よい。
なんの気なしに指で空にリズムをとる。彼女は向き直った。整理整頓は彼女の性分である。器材はすぐ始められるよう行儀よく並んでいた。そして、窓をちらりと。よし。日暮れには時がある。
――――
こん、こん、こん、こん。ゆっくりとしたノックが響く。返事はない。
「入ります」
いつものことだ。師匠の偏屈は身にしみて知っている。
手前から、羆の頭、鮮やかな大尾羽根、臭う獣脂、牡鹿の立派な角、緑玉、ぎっしりと酒精漬け栗鼠の頭、枝つきの干しぶどう、獣素材の複合弓、巨大水晶、ランプに香炉、異国のじゅうたん、欠けた剣、漆黒の古びたワンピース、首飾り、呪符、短刀、トーテム、ほうき、所狭しの調度品。
「おや」
部屋の中央。大きな古樹のベッドの上からしわがれた声が届く。
「もう、終わったのかい?」
「ええ」
彼女は言った。それへの返答はなく、代わりに苦しそうな咳が聞こえてきた。
彼女の師匠は得体が知れない。出身、素性も、性別以外はとしさえも。ただ、まあ、こんなことはこの職業柄よくあることでもある。
そんな風体の、魔女と呼ばれるにふさわしい師匠でも風邪をひくことがあるのかと、彼女は少し関心してしまったくらいだ。なるほど、つまり疫病の化身でだけはないということである。ほっとした。
はあ、はあ、と、荒かった息はやがて平静を取り戻した。
咳の止まった師匠に向けて、さりげない動きで彼女は盆を差し出す。大きめのカップが載っていた。
「これは」
「薬湯です。まこと人間離れしたお師匠さまのこと、……久方ぶりの風邪はさぞやおつらいでしょう」
彼女は微笑んで言った。
「……まったく、くすりを無駄にしやがって」
突き放すような声。
彼女は落胆の顔をした。
「そうですか……。では、これは要りませんね」
「そうは言っていない。話しは最後まで聞くもんだよ」
カップは気づくと老女の手にあった。
ずずずず、ずずず。音に遠慮はない。
「ふん」
彼女は師匠と目が合った。まるくて黒くて、吸い込まれそうな瞳。
「悪かないね。腕を上げた」
「ありがとうございます」
すると、ふと老女が扉を見た。それを見て、彼女は軽く一礼して扉へ向かう。これもまたいつものことだ。老女の気難しさは並ではなく、二度目の退室サインは罵声になる。
数歩もせずにドアノブを握り、開ける。そして振り向き閉める際に。
「あと、なんだ。ありがとう」
「……お師匠さまの柄ではありませんね」
「やかましい。そのへんくつできむつかしい師匠が珍しく感謝したんだ、もっと」
「どういたしまして」
「……それでいい」
――――
「…………ふっ」
ドアを閉じ、彼女は思わず口を隠すが、もし誰かが目元を見れば、抑えたい表情は一目瞭然である。彼女はそのまましゃがみこみ、しばらくぷるぷるとしていた。
「ふ、ふ」
うれしさを堪能したあとに、ひとつ背伸びをして部屋の空気を吸い込んで、暖かくなった息を吐く。
薬師見習いである彼女の修行は、まだまだ始まったばかり。
先のくすりの残り香か、部屋には鼻のすっきりする香りが漂っていた。