59.何かを評価するときは
例えば、小学校から高校までの授業で、同級生のスピーチを聞くとき。どう思ったか、どう感じたかといった意見を、必ずと言っていいほど書かされると思う。
そのときに、声が聞き取りやすかったっていうみたいな『いいと思ったところ』、原稿を読むだけで抑揚がなかったっていうような『直したほうがいいところ』を書かなければならないことが多い気がする。
ここ、小説家になろうの感想にも、自分が感じたことを書く『一言』の他に、『良い点』『気になる点(旧:悪い点)』がある。
別に全部埋めろとは言わないけれど、こうやってそろっていることには意味があると思うんだ。
上のふたつの例でいうと、『いいと思ったところ』と『良い点』は、見る人や読む人が、うまく行っているだとか、よくできていると思ったところ。
『直したほうがいいところ』と『気になる点』は、クォリティをさらに高めるために修正したほうがいいところや、次にする時にもっとうまく行くように参考にしたらいいと思ったこと。
両方とも、制作し発表する人が気づけなかった意見がもらえる可能性が高いし、もっと質の高いことをする・ものをつくるために案外役に立つ。
なろうで何かを書いて感想をもらったとき、僕の場合なんだけれど、『良い点』で取り上げられたところでうまくいったと自信をつけようと、『悪い点』で指摘されたところに対する意見を参考にしようとする。
もしも前者だけしか書かれてなかったら得意になって、もっとうまくなろうとしない可能性が大いにあるな。逆に後者だけだったら、『見返してやる』が最終的に燃え尽きて、もう書くのが嫌になると思う。
つまるところ、誰かが生み出した何かを評価するときは、どっちもバランスよくするのがベストなんじゃないかな。
「何かを評価するときは、ベタ褒めするだけなのも、指摘するばかりなのもよくない。前者だけだったら調子に乗るし、厳しいだけだと成長する気力がなくなっちゃうよ」
まぁ、その人に対してするベストな評価なんて、される側それぞれなんだろうけれど。
もっともっと高めるためには、いま時点でよくできているところと、もっとよくするにはどうやったらいいのかを、両方とも知るのがいちばんいいのは、たしかだなんだ。より高みをめざすには、現状を知るのが第一歩だからね。
けれどそんなことは、自分自身ではよくわからない。だから、本人以外の主観で見てくれる人に意見を聞いて、それを参考にすることが、もっといいものをつくるための方法のひとつとして確立してるんだ。
『褒めて伸ばす』って言葉があるように、対象を褒めることは、モチベーションを上げてもらう手段としては大切なんだ。
けれど、褒めるばかりじゃなくて、「これをしたらもっとよくなるんじゃないか」と思った部分があるのなら、僕なら遠慮なく言ってほしいな。
よっぽどゴミみたいな貶し方のじゃなければ、参考にできるかもしれないから。




