14.もしも何かを恨むなら
人間は、なんで、こんなにも惨たらしいことができるのだろう。
そんな言葉を、どこかで聞いた。
ああ、そうだよ。人間には、そんなことができるのさ。
人を人とも思わないような、忌むべきはずの非行がね。
戦時において、上の命令に逆らえないで人を殺し続けた男がいた。そのことから、隔離的環境では、平然と人を殺してしまうことがわかってる。
監主役と囚人役にわかれた心理実験も有名だね。
監主役の人は、ある一定期間を過ぎると、完全に役に取り憑かれてしまって、囚人役の人に課す刑がだんだんと酷になる。まるで、それが義務とでも言うように。
人間は、なんで、こんなにも惨たらしいことができるのだろう。
そのことが言えるのは、無論戦時下だけじゃないよね。
今のこの国だってそうさ。
盗みを働く人もいれば、殺しをする人もいる。
自分たち大多数を基準に、どこか一点でも違うところがあれば、平気で迫害運動を始める。
その上、その数多い罪々を、自分の都合ですべて隠蔽しようとする人もいると来た。
人を人とも思わないそれらの行為の、どこが『惨たらしくない』って言えるんだろう。
もし、神様がいると仮定すれば、彼の創造した万物の中で、人間が一番欠陥だらけだ。
意図的な悪意を振りかざして、時に人を陥れ、時に他人の不幸を悦び、時には他に責任を押しつけ、すべての無罪を主張する。
協調性がどうとか言っているんじゃない。
自分勝手なのが悪いんじゃない。
僕はただ、己が力を以て他を傷けることが、他に価値感を押しつけることが、異なる者を迫害しようとする悪意が、この世において最も、残酷で、惨たらしいって言いたいだけなのさ。
「もしも何かを恨むなら、自分と違う人をじゃなくて、自分の思い通りに行かないことでもなくて、それらを疎み憎んでしまう自分の『心』を恨みなよ」
すべてを嫌いになる必要なんてない。
ただ、人間ほど惨い生き物はいないということを、忘れないでほしいんだ。