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06.肖像画の並ぶ廊下で



 プロヴリー王国の季節は春を通り過ぎようとしていた。朝晩は冷え込むが、日中の日差しは強い。

「今年は暑くなるかしらねえ」

「あー。去年は暑かったわよねえ」

 ジリアンが中庭の見える廊下を歩いていると、使用人の女が洗濯物を干している途中であった。

「でも、去年はさあ、良かったわよねえ。まだ、アーサー様が生きてらっしゃって、この屋敷に大勢の人がいたわ」

「ほんとよねえ……キャロル様もお元気でさ。まさか、こんな事になっちゃうなんてねえ」

「ちょ、ちょっと! しっ!」

「え? あ、あっ……」

 二人は、ジリアンの姿に気づくと口を噤み、まだ干していない洗濯物がカゴの中に入っているというのに、スカートを翻して慌ててどこかへ走って行ってしまった。


 別にちょっとしたお喋りくらい、しててもいいのに。ジリアンは思う。それに、今の話題はかなり興味があった。だが使用人たちにジリアンが直接訊ねても、答えを濁されるような気がする。

 ジリアンは中庭の方へ歩いていき、なんとなく洗濯物を手に取った。

 去年の夏はディーンの父が生きていた。これは知っている。彼が亡くなったのは半年ほど前だ。だが、キャロルはいつからああなってしまったのだろう。やはり、息子を亡くしたことで心が弱っていってしまったのだろうか。




「ジリアン? 君は何をやっているんだ」

 その時、廊下からディーンの声がした。ジリアンは大きなリネンをバサバサと振って、皺を伸ばしているところだった。

「何って……洗濯物を干しているのよ」

「どうしてまた……そんな使用人みたいなことを」

「その使用人が、この屋敷には殆どいないじゃない。ちょっと、そっちの端を持ってくれない?」

 ジリアンはディーンの手を借りて、洗濯紐にリネンを引っ掛ける。

「手際がいいな」

「修道院でやっていたもの。貴方だって戦場では自分で洗濯していたんじゃないの? それとも、部下に命じてやらせていたのかしら」

「そんなに偉い立場じゃなかったよ」

 侯爵家の人間ということでそこそこの階級にはついていたが、実際は小規模な分隊を纏めていただけだとディーンは言った。

「けど、干す前にこうして振ったりしなかったな。だから俺の服はいつも皺だらけだったのか」


 ジリアンはディーンの姿を改めて見てみる。さすがにシャツにはアイロンが掛けられているが、首元の釦は上から二つ目まで開けていて、上着もぞんさいに着込んだだけのように見える。襟足の髪の毛はひと房だけ別方向に跳ね上がっていた。

 彼は自分の身だしなみをまったく気にしない人なのだろうか。それとも、軍人あがりならこんなもの? 貴族として洗練されている雰囲気だとはとても言い難い。彼が爵位を狙って父と兄を手にかけたという噂は、あまり信憑性がないような気もしてくる。


「とにかく、君にこんな仕事をさせるつもりはなかった。使用人は……もうちょっと増やせるようになんとかしてみるよ」

「そのことだけれど……前は、もっといたのでしょう?」

 先ほどの使用人たちの会話からして、去年の今頃はこの屋敷にも活気があったとみえた。今はガランとしていて、初夏だというのに寒々しい雰囲気に満ちている。ヴィヴィエ家ですら、使用人はもっといた。ハーヴェイの屋敷はヴィヴィエ邸の数倍の広さだというのに、マーカスとエリンを除けば、三人しかいない。なんと専門のコックもいないようなのだ。これでは手が回らないのも当然である。


 ディーンはきまり悪そうに口元を歪めた。

「二か月前……俺が爵位を継いだ時に、十人以上いっぺんに辞めた」

 次々と当主が亡くなり、新しい侯爵は戦場で暴れまわっている上に好色──という噂の──な次男である。体格はよく、顔に目立つ傷がある。噂を信じていれば、彼の姿を目にした女性は震え上がるだろう。ジリアンとてはじめは怖くて仕方がなかったのだ。そしてアーサーとクライヴが亡くなったのを機に、ハーヴェイ侯爵家は呪われているという噂も流れ出した。辞めたいと思うものは多かっただろう。

「あの時は、彼らの紹介状を書かなくちゃならなくて、数が多いから大変だったよ」

「……逃げ出した人たちに、紹介状を書いてあげたの?」

「実際に書いたのはマーカスだけどね。これ以上ハーヴェイ家の悪評が流れちゃ拙いだろ」

「そうなの……」


 今、ジリアンはやめていった使用人たちを「逃げ出した人たち」と表現したが、自分もそうしようとしているのだ。彼らを非難する事は出来ない。それに、侯爵の妻としての責務──子をもうける──ということも、ジリアンが果たすことは無い。ディーンが合意しているとはいえ、責務を果たすことなくこの屋敷を去ると決まっている。

 国王の命令や、世間体を気にした両親によってこの屋敷に押し込められた被害者のような気分でいたが、自分は本当にそうなのだろうか……。


「私、貴方が屋敷のメイドを妊娠させて追い出したという話を聞いた事があるわ。それで使用人が少ないのかと思ってた」

「まいったな。修道院にいた君が、そんな噂まで知っているのか」

「修道院って、旅の人を泊める事も多いのよ。社交界よりも早く伝わる噂話だってあるわ」

「そういう事か。その話は俺も知ってる……って、自分の話を他人事のように言うのも変だけどな。言っとくが、俺は侯爵を継いでまだ二か月だぞ。そんな暇や元気があるようにみえるか?」

「さあ……侯爵を継ぐ前の話かもしれないし。私には、なんとも」

 ディーンが人殺しや女誑しではなかったとしても、ジリアンの中には彼に関して覆りようのない事実がある。これ以上ディーンの噂話や印象について議論を重ねるつもりはない。最後の洗濯物を干し終え、ジリアンは空になったカゴを抱えた。

「これはどこに戻したらいいのかしら」

「悪い……俺には分からない」

「そう。なら、いいわ。誰かに聞くから」

 初夜のシーツを偽装した他は、洗濯物を干す、というのが、奇しくも二人の共同作業となったようだ。




 カゴを抱えながら長い廊下を歩く。そこには、歴代の当主とその妻の肖像画が並んでいる。初代ハーヴェイ侯爵から始まり、二十三代目のクライヴ・オーソン・ハーヴェイで終わっていた。

 アーサーやクライヴはあまりディーンとは顔が似てはいなかった。むしろ、祖先の方に似ている人物がいたりして面白い。面白いが、亡くなった後に肖像画が飾られるのだとしたら、二十四代目が壁にかかるのはいつなのだろうと考えると、妙な寒気がした。

 いったんそういう風に考えてしまうと、数々の肖像画がこちらをじっと見ているようにも思えてくる。まして、廊下には等間隔に騎士の甲冑の置物があるから、薄気味が悪い。


「今度の侯爵の奥様は、使用人のような真似をなさるのね」

 足早に通り過ぎようとしていると、廊下の終わりの所でナタリーと鉢合わせた。彼女はジリアンの手にしたカゴを一瞥し、そう呟く。

「ああ。エルノー公爵の血を引いているとは言っても、父親が平民ですものね。軍人あがりの粗野な侯爵には、お似合いかもしれないわ」

「な、なんですって」

 思わず言い返そうとすると、ナタリーはくすくすと笑う。

「ああら、こわいこわい。どうか、暴力はお止めくださいましね。然るべき血筋と育ちでなくとも、貴女は侯爵夫人になったのですから……いつまで我慢できるか分かりませんけれどもね」

 そしてナタリーは消えた。あれは、ジリアンが怒ったり言い返したりすればするほど喜ぶタイプと見える。それにナタリーは隣のアマリア王国の貴族出身だという。きっとディーンのような無骨な軍人や、平民のような振る舞いを軽蔑しているのだろう。ディーンが洗練されていない、という点においてはジリアンも同意せざるを得ないが。

 だったら、このような寂れた屋敷は出てしまえばよいのに。……やはり、息子を次の侯爵にしたいのだろうか。

 しかしナタリーは華奢で、彼女が自分の力でディーンを葬れるとも想像しがたい。前々侯爵は病死で、前侯爵は落馬による事故死。病死というのは、毒を盛ったとも考えられるが……だが、パトリックを侯爵に据えたいのならば、ナタリーにとっての邪魔者は夫のアーサー前々侯爵ではなく、クライヴとディーンの兄弟だ。

 それにナタリーの科白……いつまでジリアンが我慢できるか、というのは、ジリアンがこの屋敷を去ることが分かっているみたいではないか。

 彼女は、私が噂や呪いに恐れをなして逃げるとでも言いたいの? それとも、ディーンがいつまで侯爵の地位に就いているか分からない、とでも言いたいのだろうか。いずれにしても、ナタリーの言動には気を付けなくては。


「ねえ。なんで洗濯物干してたの」

 その時、廊下の甲冑が喋った。驚いてカゴを取り落しそうになったが、置物の影から赤茶色の髪をした少年がひょいと顔を覗かせた。

「貴方は……パトリックね」

「なんで?」

 彼はたしか、十三歳といっていただろうか。身長はジリアンよりもまだ低い。変声期を迎えようとしているのか、声が若干掠れていた。

「干してみたかったのよ」

 話を立ち聞きした形になって使用人に逃げられちゃったのよ。それに、この屋敷には使用人が少ないから手が足りてないみたい……なんて、この少年に正直に話すことが良いとも思えない。

「洗濯は、修道院ではよくやっていたから」

「修道院に住んでたって、ほんと? 修道女じゃないのに住んでもいいの?」

「私のいたフォートナー女子修道院は、修道女見習いという形で、たくさんの若い女性が礼儀や規律を学ぶために住んでいたわよ」

「へえ……」

 ナタリーの息子だから、ジリアンのしたことを庶民の振る舞いと煙たがっているのかと思ったが、彼は純粋に不思議に思って質問したらしい。


「ねえ、パトリック。貴方、学校は?」

 この年齢くらいの少年であれば、近くの街の学校へ通うか、王都にある寄宿学校へ入る筈だ。だがパトリックは昨日も今日も屋敷の中にいる。

 すると彼はくやしそうに唇をかんだ。

「ほんとは僕、春から王都の寄宿学校へ通うはずだったんだ。けど、父さんが死んじゃったから……母さんが、僕まで屋敷を離れるのに反対したんだ。これまでは、家庭教師の人がこの屋敷に来てたんだけど、二か月くらい前に辞めちゃった……」

「まあ」

「それで、ディーン兄さんが僕の勉強を見てくれようとしたんだけど、それも母さんが反対してて。あの人は軍人あがりで『やひ』で『そぼう』だから、兄さんに習うのはダメっていうんだ。ねえ、『やひ』で『そぼう』ってなに?」

「え? あ、ああー……そうねえ。まあ、荒っぽいとか、無作法だとか、そういった言葉に置き換えられるかしら」

 寝癖をそのままにしていたディーンの姿が思い浮かんで笑いそうになり、ジリアンは口元をひくひくさせた。


 しかし、二か月前に使用人たちがいっぺんに辞めたと聞いていたが、家庭教師までとは。そしてディーンがパトリックに教えようとしていたなんて。少し意外に思う。ディーンは慣れぬ侯爵という地位に戸惑っているようだった。それでもなんとか馴染もうと足掻いているようにも見えた。パトリックの勉強まで見る暇などないであろうに。もっとも、それはナタリーによって却下されたようだが。

 今夜辺り、部屋にディーンがやってきたら、パトリックの勉強のことについて話してみようか。気まずい空間で、同じベッドで背を向けあって眠るよりはずっといいだろう。ジリアンは密やかにそう考えた。




 だが、その夜ディーンは出かけ、晩餐時にも、ジリアンが寝支度を終えても屋敷に戻ってくる様子はなかった。そして日付も変わった頃になって、ディーンはそっとベッドの中へ潜りこんできたようだった。彼からは酒のにおいがしていた。

 街へ出かけて飲んできたのだろうか。それともさっそく他の女で済ませてきたという訳? ジリアンの胸に疑問が湧いたが、自分には彼を問いただす権利も、責める権利もない。

 質問をぐっと飲みこみ、ジリアンは眠ったふりを続けた。




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