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03.初夜の床は甘くない



「ここまで言われて君と寝たいと思うほど、俺は落ちぶれちゃいない」

 ディーンとの結婚は避けられぬと悟った時から、ジリアンは初夜をどうやり過ごそうかとずっと考えていた。

 彼にとって嫌がる女を犯すなど朝飯前だろう。きっと、抵抗したって無駄だ。

 一生蔑むと宣言したところで彼が良心の呵責を覚えるとも思えなかったが、こちらが彼を嫌っているという感情だけは、せめて留め置いてもらおうと思ったのだ。

 そしてディーンの科白は予想の範囲内のものであった。放蕩ものだと聞いている。癇に障る女を抱くよりは、他で済ませようと考えたのかもしれない。

「そう。なら、良かったわ」

 ジリアンは取り澄まして言った。


 ディーンは、ジリアンの記憶にある十年前の悪ガキが、そのまま大きくなったような風貌をしていた。

 体躯は普通の男性よりも一回り大きい。戦場で負ったであろう頬の傷は目立っていて、彼の雰囲気に妙な迫力を添えていた。少しだけ意外だったのは彼の言動だ。もっと粗野な乱暴者だと思っていたのだ。

 では女性を無理矢理ものにするタイプではなく、巧妙に口説いてベッドに連れ込むのかもしれない。そんなこと、私には関係ないけれど。

「この先も貴方が落ちぶれないよう、願っているわ」

 そう釘を刺してそっぽを向いた。

 ディーンはくるりと踵を返して、部屋の中央にある長椅子とテーブルの方へ歩いていく。ジリアンは、彼は長椅子で寝るのだろうかと思った。そして先にベッドを陣取っておいてよかったわ、とも。

 毛布を捲って中に身体を滑らせようとしていると、ディーンは戻って来た。手にはワインの壜を持っている。テーブルの上にグラスとともに置かれていたものだ。

 寝酒でも飲もうというのだろうか。しかもラッパ飲み? まだ軍人気分なのかしら。いいえ、彼ががさつなのは昔からだったわ。ジリアンが心の中でそんな事を思い、ディーンを訝しげに睨んだ。

 すると彼は一言も無しに、ベッドの毛布を勢いよく剥いだ。


「きゃ……ちょ、ちょっと!」

 ディーンの気が変わったのかと、ジリアンは自分を抱きしめながら枕元で身体を丸くする。彼はそんなジリアンを一瞥した。

「君と寝るつもりはこれっぽっちもないと、言っただろう」

 そしてワインの栓を抜くと、壜の口を親指で押さえながら、中身を少しシーツに垂らす。

「……血の色には見えないな」

 首を傾げながらそう言った。

「当たり前じゃない。それは、ワインだもの。私のベッドに、なにするのよ。嫌がらせなの?」

「君は、初夜について何も学んでいないのか」

「しょ、初夜って……あ、」

 ソフィに説明を受けたのはつい先日だ。はじめは痛みがある事と、出血する事。後は旦那様に任せておきなさいと。ディーンは出血の形跡を作ろうとしているのだろうか。だが、

「そ、そんなことしたら……それでは、まるで、私たちが……」

 本当に床入りを済ませてしまったみたいではないか。

「そう見えるようにしなくちゃいけないだろ。結婚式に王宮から役人が来ていたのは知ってるよな?」

「ええ。国王様に報告する為でしょう」

「彼らは、この宿に泊まっている。床入りの確認までするためだ。たぶん明朝、この宿の使用人が、彼らにこのシーツを見せに行くんじゃないか」

「な、なんですって……」

 羞恥で頬が熱くなった。そんなところまで見られなくてはならないなんて。

「君は嫌がらせかと言ったが、とんでもない。君の名誉のためにやっているんだぞ。シーツに何もなかったら、君は乙女ではなかったと思われるんだからな」

「……!」

 ジリアンは息を吸い込んだ。そこまで考えていなかったのだ。


「初夜のベッドを追われた挙句、シーツの偽装までしてやってるんだぞ。感謝して欲しいくらいだよ」

「わ……わかったわよ! 私も手伝えばよいのでしょう!」

 厭味たらしい物言いに、ジリアンは寝衣の裾を翻してベッドを下りると、やはりテーブルの上に置かれていたティーポットを手に取った。ディーンが部屋にやって来る前に一杯だけ飲んだが、まだ中身は残っている。

「血液は、乾くと茶色っぽくなるでしょう。こっちの方が色が近いわ」

 ジリアンはティーポットを傾け、先ほどのワインの染みの上に紅茶を垂らす。淹れてから時間が経っていたせいで、だいぶ濃い色の液体になっていた。そして不自然な紫色をごまかすように、指でシーツを擦ってぼかしていく。

「これでどう?」

 私の作品の方が本物に近いわ。なんとなく威張りたくなって、胸を反らしながらディーンを睨み上げた。彼はジリアンの顔とシーツを見比べる。そして真面目な顔つきで言った。

「なあ。血って、どれくらい出るんだ?」

「わ、私が分かるわけないでしょう。貴方の方が詳しいのではなくて」

「あいにく、処女に手を出した事はないんでね。別に、信じてくれなくてもいいが」

「では、異国の貴族の令嬢の花を散らして逃げた……という噂については、信じないでおいてあげるわ」

「初めて聞く話だな。そんな噂もあったのか」

 ディーンは複雑そうに笑った。彼に纏わる話の中には真実でないものも紛れているのだろうか。やらかしすぎて、自分でも把握できなくなっているだけではないの?


「血に見えなくもないが……こんなものなのか?」

 ディーンはジリアンの作った指先大ほどの染みに触れている。

 先ほども問われたが、どのくらい出血するかなんてジリアンにも分かるわけがない。

 ジリアンも自分の作品をもう一度確かめる。もっとたくさん出血するのだろうか。……そんなに痛いことなの? だって、アレでしょう? 家畜が数を増やすためにするアレ……そこで何となくディーンの股間に目がいってしまう。あれを……あの場所に……嘘。そんなこと、出来るわけないじゃない。

「もう一回りくらい、大きくしてもいいんじゃないか」

 ディーンが自分に向かって呟いたのでジリアンはびくっとした。

「わ、分かったわよ。細かいことで、うるさい人ね」

 それが細かいことなのかどうかジリアンには知る由もなかったが、慌ててティーポットを傾けると、蓋がぽろっと外れ、中身がばしゃりとシーツの上に注がれた。

「あっ」

「うわ!」

 紅茶は、ティーカップ一杯ほどの量だろうか。だがひと息に注がれたそれは、シーツの上に一瞬水たまりを作り、それからどこかの地図のような模様を描きながらじわじわと広がっていく。

 二人はその様を無言で眺めていた。というか、無言になるしかなかった。


「……こ、」

 ようやく発せられたディーンの声は震えている。

「これじゃ……殺傷事件でも起きたみたいじゃないか!」

「これでは、多すぎるのかしら」

 想像でしかないが、確かにこれはちょっと量が多すぎる気もする。

「お、俺が……これを見た人間は、俺が……君に、とんでもない乱暴を働いたと思うだろうな」

 ディーンは艶のある黒髪をぐしゃぐしゃと引っ掻き回し、大きなため息を吐いた。

「これでまた、俺の噂が一つ増えるわけだ……もういい、寝る」

 投げやりな口調でそう呟くと、彼は長椅子の方へ歩いて行こうとする。やはりそちらで休むようだ。ジリアンはベッドの汚れたシーツを見下ろした。

「ちょっと。どうやってこんな場所で寝ろって言うのよ。びしょ濡れじゃない」

「君が先にベッドを陣取っていたんだろ」

 ディーンは上着を脱いだ。そしてシャツの釦も外していく。長椅子の背にはガウンが掛けてあるから、着替えるつもりなのだろう。彼がばっと胸をはだけたので、ジリアンは思わず目を逸らす。

 女性がいる場所であんな風に着替えるなんて、ほんと、信じられない! それにジリアンが床を共にしないと宣言してから、態度はかなりぶっきらぼうになってきている。ああ、そう。本性を現してきたというわけね。これから彼はどんどん傍若無人に、残酷になっていくのだろうか。

「……。」

 とりあえず、処女に手を出した事はないという話だけは信じてあげてもいい。


 幸い、大の男が三人ほど並んでも余裕がありそうな広い寝台だ。ジリアンは真ん中の汚れたところを避け、隅の方へ入り、毛布を引き上げた。

 長椅子の方から衣擦れの音が聞こえている。今度は金属音がして、彼がベルトを外しているのだと分かった。どうしても音から色々と想像してしまうので、ジリアンは毛布の中にもぐり込んでぎゅっと目を閉じる。

 そして今夜の自分の振る舞いを振り返った。

 こんなに負けん気が強かっただろうか。修道院にいた頃は、自分はもう少し穏やかな性格をしていたように思えるのだが……。否、修道院には、ディーンのようながさつで無骨な人物はいなかったからだ。


 ジリアンは両親の許可が下りたら誓願を立てて修道女になりたいと、修道院長に話した事がある。院長は笑いながら首を振った。「あなたは、ここで生きていくには、内に秘めているものが激し過ぎるのではないかしら」と言うのだ。

 もう少しゆっくり考えなさいと諭され、ジリアンは不思議に思った。自分はしっかりと規律を守り、修道女たちと同じように過ごしていた。薪を割ったり、鍬で畑を耕したりと、他の行儀見習いで来ている少女たちは絶対にやらない仕事まで行った。俗世間から離れ、修道女としてやっていく自信は充分にあったのだ。

 だが今はなんとなく、院長の言っていた事が分かった気がしていた。




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