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19.狙われたのは



「侯爵は毒を口にしたようです」

 グラウツの街から呼んだ医師は、診察を終えるとそう言った。


 ウォルターは医師がやって来る前から、ディーンが口にしたカクテルに何か入っていたのではと、彼の倒れたあたりを調べてくれていたが、テーブルはひっくり返り、グラスは割れ、中に入っていたであろう液体は全て芝生にこぼれてしまっていた。医師はディーンの症状からどんな毒が盛られたのかを推測するしかなかったようだ。

「致死量ではない……と思われますが、二、三日は手足にしびれが残るでしょう」

 そして毒を中和すると思われる薬──これも推測するしかなかったのだが──を処方してくれた。その薬は眠気を催す副作用があるらしく、ディーンは深い眠りに入っている。覚醒した所で手足の自由がきかないならば可哀想なので、今はその方が良いのだろう。


「ジリアン、キャロル様が言っていたことだけれど……」

 医師を見送った後の玄関ホールで、ウォルターが言った。

「ひょっとしてキャロル様は、犯人を知っているんじゃないのかい」

「わ、私も今それを考えていたのよ」

 命に別状はないと知ってホッとすると、今度は「一体だれが」という疑問が満ちてくる。

「実は、以前にも似たような事があって」

 あれは暖炉の間での出来事だった。ジリアンがマントルピースの上の額縁を手に取ると、風景画が首なし騎士の絵に変わった──ように見えた──のだ。そしてキャロルは叫んだ。『あいつがやったんだ』、『また、誰か死ぬ』と。

 あの時はキャロルが夢と現の狭間で叫んだ事かもしれないと、そう思えたが……。

 庭での騒ぎの後、キャロルはエリンによって暖炉の間に連れて来られていた。ジリアンはキャロルの前まで行って跪き、彼女の手を取る。

「あの……キャロル様?」

「……。」

 キャロルは揺り椅子に揺られながら、やはりどこともつかぬ宙を見つめている。

「キャロル様は、犯人を知っているのではないですか? 或いはこの家の……呪いの正体を」

「フローラ、なんだか今日は騒がしいねえ」

「え、ええ。パーティーのお手伝いの人たちが来ているから……」

 パーティーは終わったが、雇った人間たちはまだ片づけ作業をしている。そこでジリアンはハッとなり、急いで彼らを呼び集めた。


 庭での騒ぎは領民たちが帰った後で良かった。パーティーの最中であれば、また侯爵家は呪われている、呪いは本当だったのだなどと囁かれてしまう。

 だが臨時で雇った人たちはどうだろう。街に帰った後に周囲の人間に言い触らしてしまうかもしれない。

 ジリアンは当初予定していた賃金の三倍の額を払い、固く口止めした。人の口に戸は立てられぬと言うし、懐柔しようとするよりも「今回の事件の噂が人々の間に流れていると私が知った時点で、あなた方を罰する」と告げた方が効果はあるかもしれない。だがそれではだめだ。侯爵家は力で支配するというイメージを持たれてしまう。ジリアンはそう考えた。

 それからもっと大事な事がある。ディーンのグラスに毒を入れたのは、彼らかもしれないのだ。キッチンで入れられたものかもしれない。運んでくる途中で入れたのかもしれない。否、もしかしたら毒が入っていたのは飲み物ではなく料理の方かもしれない。調理や運搬に携わる人物というと限られてくる。

 ジリアンは雇った人たちを見渡し、その特徴を頭に刻んだ。

 一応、契約書のようなものは書いてもらっているから──文字の読めない者もいたので、それはマーカスが代筆した──名前と身元ははっきりしている。

 今ここで暴こうとするよりも、マーカスやエリン、元からいる使用人にも話を聞いて詰めていった方がいいかもしれない。




 臨時で雇った者たちが全て帰った後、ウォルターが申し出る。

「その契約書、写させてもらっていいかな。雇った人の家族構成や財政状態くらいなら僕が調べられると思う」

「まあ。どうもありがとう」

 やる事や考える事がたくさんあるから、彼の申し出はありがたい。ジリアンがマーカスに言って、彼が書類を持ってきてくれるのを待っていると、


「パトリック! あなた、いったい何を言うの……!」

「違うよね、違うって言ってよ!」

 今度はナタリーとパトリックの言い争うような声がする。

「それとも……やっぱり母さんがやったの?」

「パ、パトリック……」

 声のする方に駆けつけてみれば、パトリックがナタリーに詰め寄っているところだった。聞こえた言葉からして、パトリックはナタリーが毒を盛ったのではないかと問い詰めているのだろう。

 息子に疑われたナタリーは真っ青になり、喉元を手で押さえて唇を震わせている。

「もうやめてよ! 僕は、侯爵になんかなりたくないよ!」

「パトリック……、わ、私、私は……そんな……」

「待って、パトリック」

「……ジリアン」

「ナタリー様ではないわ」

 そう言ってナタリーとパトリックを見比べる。ナタリーはまだ青ざめていたが、怪訝そうな視線をジリアンに向けた。まさか自分がジリアンに庇われるとは思っていなかったのだろう。

「……本当に? 本当に母さんがやったんじゃないの?」

「ええ、違うわ」

 だってナタリー様が犯人だとしたら、当たり前すぎるじゃない。

 彼女が犯人であれば、もっと自分が疑われぬように振舞うはずだ。例えばディーンにもっと優しくしておくとか。ジリアンにも感じよく接しておくとか。ナタリーが怪しすぎるのをいいことに、真犯人はそれを隠れ蓑にしているのではないか。そんな風にも考えられる。

「ナタリー様ではない。私はそう思うわ」

 ジリアンの推理全てをパトリックに告げるのはさすがに可哀想だろう。自分の母親が怪しすぎるなんて。だからジリアンはただそう言って、パトリックに頷いてみせた。




 ウォルターを見送ると、もう日付の変わる頃であった。ジリアンはエリンの用意してくれた軽食を口にし、それからディーンの元へと向かった。

 静かに主寝室の扉を開ける。耳を澄ませば寝息が聞こえた。ジリアンはそっと身体を中に入れ、ゆっくりと扉を閉める。

「……ジリアン?」

「あ、ごめんなさい。起こしてしまった?」

 扉が閉まる時のカチャリとした音で、ディーンは目覚めたようだ。


「いや、もう……充分眠った気がする……」

「身体はどう? 痛いとか、苦しいとか、ある?」

「……手足がピリピリする」

「二、三日は痺れるかもとお医者様が言っていたわ」

「……屋敷の様子は」

「大丈夫よ。そんなこと気にしてないで、今はゆっくり休んだらいいわ」

 大丈夫とも言い切れないが、事細かに話してディーンの考え事を増やすのも良くないような気がする。

「ジリアン。君に……君に伝えなくてはならない事がある」

「なに?」

「俺は、毒を飲んだ」

「……ええ」

 口にしてすぐ倒れたように見えたが、ディーンは自分が倒れた理由を理解しているらしい。


「だが、狙われたのは俺じゃない。ジリアン、毒は君のカップに入っていたんだ」

「え、……え?」


 彼の言葉を理解するのに、少しだけ時間がかかった。毒が入っていたのはジリアンのカップだった──。

 だが、毒を飲んで倒れたのはディーンだ。

「パーティーがお開きになった後に運ばれてきた飲み物……俺は酒で、君は熱いお茶だった。だが、君はすぐに飲まなかった」

「ええ。キャロル様が何か仰っていたから、様子を見に行ったの」

「俺のは、甘くて強い酒だった。喉が渇いていたから一気に飲み干すと、ますます喉が渇いてしまったんだ。それで君のお茶からは湯気が立って、ハーブの香りがしてきた。俺はその香りを嗅いで、自分の身体が薬湯めいたものを欲していると気が付いた」

 ディーンの言っている事はなんとなくわかる。少し飲みすぎてしまった時や、脂っこいものを食べて胃がもたれている時、ハーブの香りを嗅ぐと落ち着く事があるからだ。

「君が戻ってきたら貰っても良いか聞こうと思ったんだが……君はなかなか戻って来なかった。カップに触れると、それは冷めかけていたんだ」

 次に使用人が通りかかった時に、ジリアンに新しいものを頼めばよいと考えたディーンは、お茶が完全に冷めぬうちにとそれを口に運んだのだった。

「一口目を飲んで、きつい薬草を使ったお茶だと思ったのは覚えている。それから胃の辺りが苦しくなって……思えば、毒の味や香りを消すためにハーブをきつくしたのかもしれないな。俺は、君のカップに毒が入っていると伝えようとしたが、無理だった。俺の他に倒れたやつはいないんだよな?」

「……ええ」

「じゃあ、ジリアン。やっぱり狙われたのは君なんだよ。君があのカップに口をつけていたら、おそらく死んでいたぞ」

「で、でも。お医者様は致死量ではなかったと……」

 ディーンは起き上がろうとしてもがいたが無理で、枕に寄り掛かった。それから真剣な眼差しでジリアンを見つめる。

「それは俺だからだよ、ジリアン。俺の目方はたぶん、君の倍近くあるぞ。俺だから、死ぬほどの量にはならなかったんだ」


 また、誰か死ぬよ

 でていけ、さもなくば──


 ジリアンは呆然とディーンを見つめ返していた。

 ガラスが割れたのも、森で何かに追いかけられたのも、あれは全てジリアン個人を狙ったものだったのだろうか。他にも屋根裏部屋から人の気配を感じたり、風景画が首なし騎士の絵に変わったりしたことがあったが、あれはこんな風に……人間の命を刈り取ろうとするような、明確な攻撃性があったわけではない。

「では、貴方は私の代わりに毒を飲んでしまったのね」

「ジリアン、俺は君を責めてる訳じゃないぞ。むしろ飲んだのが俺で良かったと言っているんだ。俺は、死ななかったからな……俺が倒れてから、食事はしたのか?」

「さっき、エリンが用意してくれたものを食べたわ」

 ジリアンの返事に一瞬だけほっとした様な表情をしたが、ディーンはすぐに難しい顔になった。やはり彼も、誰が毒を入れたのかを考えているのだろう。


 ついさっきまで、ジリアンは臨時で雇われた人間がディーンに毒を盛ったのだと考えていた。理由は分からない。誰かに頼まれて「仕事」としてやったのかもしれないし、個人的にディーンやハーヴェイ侯爵家に恨みがあるのかもしれない。呪われているという噂を利用した愉快犯なのかもしれない。だが元からいる使用人はどうだろう。彼らがやったとは思いたくないが、可能性はゼロではない。

「ジリアン。これから君は、エリンかマーカスの用意したものしか口にしないようにしてくれ。食べ物でも、飲み物でもだ」




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