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18.ガーデンパーティー



「ばあ様、ばあ様。小遣いくれよ」

「なんだい、ディーン! それが人にものを頼む態度だっていうのかい」

「おばあ様、小遣いをください」

「はっ。レディに金品を集ろうなんて、あんた、碌な男じゃないね!」

「うう」


 王都の寄宿学校から、夏休みで帰省していた時の事である。

 学校の制服や教材はもちろん皆と一緒に揃えてもらっている。個人で用意する日用品は質の良いものを持っている。だが、自由に使えるお金は持たせてもらえなかった。

 ディーンの父はそういった事に関して厳しかったのだ。買い食いしたりする同級生が羨ましくて仕方がなかった。

 ディーンと同じように厳しい両親がいる友人もいた。しかし両親が厳しい分祖父母は甘いようで、こっそりと小遣いを貰ったりしていたのだ。

 帰省したディーンはキャロルに小遣いをせびった。

 ナタリーに要求してもくれる訳がない事は分かり切っていたが、キャロルならばナタリー程に取りつく島がないという訳でもないだろう、そう思ったのだ。

 だがその見通しは甘かった。砂糖と蜂蜜を混ぜたよりも甘かった。


「おばあ様。肩をお揉みしますから、小遣いをください」

「んまー! あんた、わたしを年寄り扱いして!」

「えーと、じゃあ、じゃあ」

「しつこい男は嫌われるよ!」

「うう」


 様子を見ていた兄のクライヴはくすくすと笑った。

「無駄だよ、ディーン」

「兄さん」

 かつて財政難にあえいでいた兄も、あの手この手でキャロルから小遣いを貰おうとしたらしい。

「おばあ様のやっていた、薪割と花壇の草むしりを手伝おうとしたら『あんた、そうやってわたしのやる事を奪って呆けさせる気だね!』と言われてしまったよ」

 なお、兄は父に「試験で一番を取ったら小遣いをくれ」と直談判し、中の上といった成績から見事に一番を取ったので、それ以来試験があるたびに懐が潤うようになった。

 ディーンも兄に倣って「次の試験で平均点を取ったら小遣いをくれ」と言ってみると、それは光よりも速く却下された。

「ほんと腹立つぜ、あのくそばばあ」

「ディーン、そんな事を言ってはいけないよ」

 おじいさんやおばあさんを亡くしている人だって多いんだ。うちはあんなに元気なのだから、感謝しなくてはね。兄はそう言って、ディーンの手のひらに硬貨を二枚、乗せてくれる。

 夏の庭が朝陽に輝いていた。




 ディーンはそこで目を覚ました。

 ゆっくりと身体を起こし、辺りをみやれば自分が寝ているのは主寝室だという事が分かる。父の、そして兄の使っていた部屋。そう、そして今は自分が侯爵となってこの部屋を使っている。

「……っ」

 ここはあの日の夏の庭ではない。

 そして父も兄ももういない。

 祖母ですら、本来の祖母ではなくなってしまった。今のようになってしまうくらいならば、くそばばあのままでいて欲しかった。

 無理な願いなのは分かっている。時折思い出しては言いようもない寂寥感に襲われるが、侯爵としての務めに集中することで喪失の痛みをやり過ごすことができる。

 だが、夢に見てしまった時はきつい。覚醒も半ばの心はとても無防備で、失った日々の思い出が容赦なくディーンを襲ってくるのだ。

 拳を握りしめて深呼吸し、なんとか耐えた。




 朝食を済ませるとジリアンがディーンを呼ぶ。二階のバルコニーまで来てほしいというのだ。二階のバルコニーに何があるのだろうと不思議に思ったが、ディーンはジリアンの後に続いた。

 バルコニーから庭を見下ろせば、雇われの庭師が芝を刈り取っている風景が見える。しかも、芝は刈る長さを調節しているのか、上から見ると綺麗な格子模様が出来つつあった。

「この模様は……」

「パーティーでは、庭で人間チェスをやろうと思っているの」

「なるほど」

「私とエリンで、駒になる人たちの衣装を作ったのよ。駒を模した帽子をかぶって、さらに色分けしたマントもつけてもらえば、ここからでもよく見えるわよね」

 最近ジリアンが作っていたものはそれだったのだ。領民たちは農閑期になると、どこかの家に集まってボードゲームをやる者も多いようだ。駒を動かす人間がバルコニーから指示して、駒になった人間はその通りに動く。こういったゲームならば大人も子供も参加できるだろう。


「それから、あのことだけれど」

「……あのこと?」

 途中、ジリアンは辺りをきょろきょろしながら言った。普段は使用人の少ない屋敷だが、ガーデンパーティーを明日に控え、臨時に雇った人間たちで騒がしくなっている。

「貴方が懸念していた事は、杞憂に終わったから安心して」

「……ああ。」

 ジリアンはかなり濁してディーンに伝えたが、そして普段のディーンであれば何を言われているのか首を捻っていたであろうが、今回ばかりはすぐに分かった。ジリアンに月の障りが訪れたのだと。

 同時に、心の中を乾いた風が通り抜けて行ったような気がした。

 ディーンは懸念ではなく、期待していたのだ。

 ジリアンの中に命が宿るようなことがあれば、彼女はこのラガリエに根を下ろしてくれるのではないかと。だがそうなったとしても、それはジリアンの本意ではない。

 今朝見た夢のことを思い出す。

 ひょっとして自分は誰かに縋りたいのだろうか。自分の孤独を埋めるために、激しくて鮮烈で強い彼女に一緒にいて欲しいと願ってしまっているのだろうか。

 ジリアンに自分を頼って欲しいと思いながらも、本当はその逆なのでは。だったらジリアンだって、そんな男に頼ろうなどとはとても思わないだろう。

 らしくもなく自分の心の内を考える。

 どうしたらジリアンを引き止められるのだろうなどと、そんな事を考えているうちは、俺は駄目な男だと。



*



 ガーデンパーティーの日は、好天に恵まれた。昼近くになると領民たちが集まり出し、ウォルター・ブリングスもやってきたし、ルイーズも夫とともにやって来る。

 ジリアンはルイーズの夫グレゴリー・ダントンに初めて会ったが、痩身のすらりとした穏やかそうな男であった。


「いつも妻がお世話になっております」

「お世話になっているのは私の方です。彼女にはとても良くしてもらっているんですもの」

「いえいえ。妻も、ラガリエに貴女がやって来てからはとても楽しそうですよ」

「主人にはいつも貴女の話をしているの。ぜひ会ってみたいというから、連れてきちゃったわ」

 ルイーズがグレゴリーに寄り添うと、ごく自然に彼の手はルイーズの腰に回される。グレゴリーは穏やかな笑みを浮かべながら妻を見下ろしていた。そこには静かな愛情が感じられる。

 グレゴリーは八年前、十七歳だったルイーズに猛烈にアプローチしたと聞いている。物腰柔らかそうなグレゴリーが猛烈にアプローチ、と聞いてもジリアンには想像できなかったが、彼は今でもルイーズに恋しているような、そんな雰囲気だ。


 ディーンのいる方をちらと振り返れば、彼は村の男数人に囲まれて話をしているところだった。共用の井戸や、水路の補修をしたいというような会話が聞こえてくる。

 そういった領地内のことは侯爵家が費用を持つことになっているが、どうやら彼らは今までディーン相手にそれ言い出せず、応急処置をして騙し騙し使っていたらしい。

 次第にディーンはこの領地の統率者として認められてきているのではないだろうか。

 今回のパーティーが成功すれば、領民たちとの絆をさらに固める事ができるだろう。ディーンは──野暮な事を除けば──元来良い人間なのだ。ジリアンの助けがなくとも、そのうち彼は領民たちに受け入れられることになりそうだ。


 ディーンがこの結婚に期限を決めた時、ジリアンは侯爵夫人としてディーンとラガリエにまつわる悪い印象を払拭する、という目標を掲げた。この調子ならば自分が去る時には、当初の目標を完遂することができそうだ。

 自分が去る時。ジリアンは自然とお腹に手をやった。自分のお腹に何も宿っていないことはなんとなく分かっていたが、実際に月の障りが訪れた時、安堵した訳ではなかった。もちろん失望もしていないが。ただ、やはり自分はここを去る運命だったのだろうかと、安堵でも失望でもない複雑な感情が胸を過っていった。




「おおい、ビショップ! おめえだ、ラリー! ほれ、右前に進んで相手のポーンをやっつけろ! こら、何やってんだ、ビショップは斜めにしか進めねえぞ!」

 人間チェスにおいて妙な動きをしたビショップのラリー少年に、バルコニーからヤジが飛ぶ。

 皆がどっと笑い、きょろきょろとするラリーには近くにいたナイトのパトリックがきちんとした動きを教えてやっている。ルールをよく知らない者も、子供たちも存分に楽しんでいるようだった。


 この日ナタリーは屋敷の奥に引っ込んだまま顔を見せなかったが、一際大きく上がった笑い声に一度姿を見せ、領民たちがチェスをしているのだと知ると、鼻で笑って再び奥へ引っ込んでいった。

 パトリックが領民の子供たちに混ざって遊んでいる事を咎められるのでは、とジリアンは心配していたがこれには胸を撫で下ろした。

 キャロルはベンチに座らせてジリアンがついていたが、ジリアンが領民たちの相手をしなくてはいけない時は、有難いことにルイーズがついていてくれた。


 大きなパラソルの下に置かれた大きなテーブルにはたくさんの料理や飲み物が並んでおり、皆好き好きに皿に盛っては木陰に用意したテーブルにそれを持ちかえって食べたりお喋りを楽しんだりしている。

 今日のパーティーには領民の殆どが参加していたが、どうしても今日中に行わなくてはならない農作業のある男たちが四人程来ていない。ジリアンは彼らのために料理をバスケットに詰めて、それぞれの家族に持たせてやることにした。




「いやあ、こういうの、いいね。ほのぼのとしてて、でも活気があって。ジリアン、君の提案だったんだろう?」

 夕方になって、招待客たちが帰り始めると、ウォルターがすっかり出来上がっている様子でやってきてそう言った。手には酒の入ったグラスを持っている。

「提案はそうだけれど、でも、手伝ってくれたみんなのおかげよ」

「その謙虚さ! ディーン、お前本当にいい奥さんを貰ったんだな」

「ああ。ジリアンには……本当に世話になってるよ」

 そのように素直に認められるとこそばゆい気がする。

 領民たちの使っていたテーブルは片付けられ始めているが、領主夫妻のために置かれたテーブルはまだそのままだ。そこに、ディーンには何かのカクテル、ジリアンには熱いお茶が運ばれてきた。

 ルイーズやウォルターを除く招待客も皆いなくなった所なので、労いのつもりのお茶なのだろうか。立ち上る湯気からは、きついハーブの匂いがする。いつもの月の障りの時に、お腹の痛みを和らげるために飲むお茶の香りに似ていた。エリンが気を利かせて運ばせたのかもしれない。有難く思いながらカップに触れようとしたが、

「フローラ、フローラ!」

「どうしたの、キャロル様」

 キャロルが叫んだので様子を見に行き、その間ルイーズ夫妻が帰り支度を始めていたので、ジリアンはそのまま応対に出る。

「今日は来てくれて本当にありがとう。少しでも楽しめていたら良いのだけれど」

「まあ、私はとても楽しかったわよ。気取った夜会よりも、私はこういうのが好き!」

「そうだね。僕もそう思う。今度うちで開くパーティーの参考にさせてもらうよ。僕は根っからの商人だし、僕の仲間たちも、作法に則ったものよりざっくばらんなのを好む気質の人が多いからね」

「お役に立てたなら嬉しいわ」

 ルイーズたちを見送った後はキャロルの手を引きながら屋敷へと誘導する。

 こうなってしまう前のキャロルは庭を好むようだったし、もう少し外の空気に触れさせたいと思っていたのだが、陽が暮れかけて気温も下がってきた。


「キャロル様。そろそろ、暖炉の間へ行きましょうか」

「……。」

「お腹は空いていますか? 何か、用意しましょうか」

 外に並べた料理をキャロルにも取り分け、食べさせていたのでお腹は減っていないはずだが一応そう訊ねてみる。キャロルはどこともつかぬ宙を見つめながら口をもごもご動かした。

「……だからわたしは言ったんだ」

「キャロル様?」

「また、誰か死ぬって」


 成功したであろうパーティーの余韻ですっかり忘れていた。

 ──また、誰か死ぬよ

 ──でていけ、さもなくば……

 この屋敷には不穏な何かが纏わりついている事を。


「早く! 早くあいつを捕まえるんだ!」

 キャロルの叫び声にぎくりとさせられたジリアンがウォルターと顔を見合わせたその時、先ほどまで自分がいたテーブルの方からガシャンという音と、女たちの悲鳴が聞こえた。

 振り返ればテーブルは倒れ、そしてそのテーブルに着いていた筈のディーンの姿もない。見れば彼は椅子ごと芝生に倒れているではないか。

「ディーン!?」

 駆け寄れば、彼は喉元を押さえて苦しんでいる。

「ディーン!!」

 跪いて彼の手を取ると、ディーンは何かを伝えようと口を開きかけたが、ぱくぱくさせただけで意識を失った。

「ディーン、ディーン……!」

 夫の手を握り、その名を呼びかける。倒れたテーブルに割れたグラスやカップ。ざわめく使用人たち。


 ──また、誰か死ぬよ


 嫁ぐ前から噂されていた。次はディーンが死ぬのではないかと。それに、女に刺されて死ぬのではないかとエリンがいった事もある。期待していた訳ではないが、そういうこともあるかもしれない、とジリアンは思っていた。だがそれは彼の人となりを知る前だ。

 元軍人とはいえディーンの気性は穏やかで、子供の頃の出来事を別にすれば、嫁いでからは彼に傷つけられたことは一度もない。当主という立場に戸惑ってはいるものの、焦りや苛立ちのような感情は見せた事なく、じっくりゆっくりと向き合おうとしているように見えた。彼は不器用だが素朴な人間だ。


 そのディーンの存在が消えてしまう。歴代侯爵の肖像画の並んだ廊下に、ディーン・ラクリフ・ハーヴェイ二十四代目侯爵の肖像画が加えられる場面が思い浮かんだ。

 ジリアンは彼の手を握って叫んでいた。

「そんなのいやっ!」




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