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10.去りし兄を思う



 ──また、誰か死ぬよ

 ──首なし騎士が……


 ディーンは腕組みしながら自室の中をうろうろと歩いていた。

 はっきり言って気味が悪い。

 祖母はごくまれに元に戻るが、あれは元のキャロルとも違っていたように思える。

 ……首なし騎士が乗り移って予言したのか?

 そんな風に考えると、後ろに誰かいるような気がしてきて恐ろしくなり、ディーンは壁にぴたっと背を付けた。その拍子に姿見が目に入る。そこに映ってはいけない様なものが映ってしまう気がして、ぎこちなく顔を背けた。

 俺は、何をやっているんだ……。いい大人なのに。

 しかし祖母の言葉は単なる戯言の可能性もある。では、ジリアンが見たものはなんだったのだろう。ディーンをからかったようにも思えない。第一ジリアンはディーンが首なし騎士を恐れている事を知らない筈だ、たぶん。


 落ちていた額縁をひっくり返す時は勇気が要った。

 額縁から首なし騎士が抜け出て、剣でディーンを指し示し「次はお前が死ぬ番だ」と、そんなことになったらどうしようと思ったのだ。あの場を収める威厳ある当主を装ってはみたものの、どこまで演じ切れていたことやら。




 その時部屋の扉がノックされ、ディーンは飛び上がった。

「私。ジリアンよ。今、話せる?」

「あ、ああ」

 すると、続き部屋の扉が開いて、ジリアンが顔を覗かせた。

「さっきの……事なのだけれど」

 ジリアンが言っているのは、もちろん暖炉の間の出来事だろう。彼女は寝衣にガウンを羽織った姿だった。髪の毛はやはりきっちりと結ってある。

 今も彼女と同じベッドで眠ってはいるが、ディーンがジリアンの隣にもぐり込むのは、夜も遅い、ジリアンが確実に眠っている時間であった。一緒の時間に眠るのはどうも落ち着かないのだ。詳しく言えば、股間が疼く。ジリアンが健康的で美味しそうだと気づいてしまってからずっとそうだ。

 だが、ジリアンと寝たいとは思わないと啖呵を切ってしまっている以上、今更態度を変える訳にもいくまい。それに、三年後には離縁の申請をするのだと、自分も彼女も納得済みだ。しかし、ジリアンの方からどうしても抱いてくれと言ってきた場合は……まあ、それなりに考慮してもよいと思っている。


「首なし騎士の話か?」

 ジリアンはこくこくと頷いた。表情はやや険しく、緊張しているように思える。

 私、あの話が怖くて仕方がないの。お願い、抱いて。

 もしや、さっそくそう懇願される機会が巡ってきたのだろうか。まいったな、まだ心の準備が出来てない。ディーンは一瞬慌てたが、ジリアンがそのような甘い願いを持ってくる訳もなく。

「私、ちょっと疲れていたみたいなのよ」

「疲れていた?」

「ええ。首なし騎士の事もそうだけれど、ご先祖様の肖像画がいつもと違って見えたり……たぶん、疲れていたの」

 ディーンには、ジリアンが何を言いたいのかまだよく分からなかった。確かにこんな屋敷での生活は精神的にも疲弊するだろう。自分だって戦場にいた頃よりもずっと疲れてる。つまり、あれか?

「三年も持ちそうにないって事か」

 ジリアンが言わんとする言葉をディーンはなんとなく予測した。

 だが、ディーンの科白にジリアンはキッと目をつりあげる。

 本当はもっと優しい表情かもしれないのに、髪の毛を思い切り後ろに引っ張っているから、強烈な視線で睨まれているように思えた。

「誰もそんな事は言ってないわ。私、約束は守ってみせるわよ」

 彼女は胸を張ってそう言う。約束を違えるのではないかとディーンが思ったことを、ジリアンは侮蔑のように感じたのだろう。

「けれど、貴方がナタリー様の語った言い伝えを信じていて、その上で私を相応しくないと判断したのならば、それは受け入れる事にするわ」

 それは、ディーンが疑わしい伝承を信じるような腰抜けならば、この家を出て行ってやってもよい、という風にも聞こえる。

 先ほどまで首なし騎士や祖母の言葉に震えていた筈のディーンであったが、妙な反抗心が煽られてしまった。

「ナタリー殿の言葉なんて、真に受ける必要はないさ。あれは、君を怖がらせて面白がっているだけだろ」

「だから、私は怖がってなどいないわ。疲れていただけ」

 とことん気の強い女だと、ディーンは内心舌を巻いた。

「つまり君は、疲れていたから幻を見てしまったと、それをわざわざ言いに来たのか?」

 ついついこちらも意地悪い言い方をしてしまう。

「ち、ちが……いいえ、そうよ。つまり、」

 ジリアンは自室への扉を開け、身体を潜らせる。それから半分だけ顔を覗かせた。

「お忙しい侯爵様の手を煩わせるつもりはなかったのよ。騒ぎを起こして、悪かったわね」

 扉は静かに閉まった。


 ディーンはその扉を暫く黙って見つめていた。その間、様々な思いが胸を過っていった。

 なんて気の強い、可愛げのない女だ。抱いてとまでは言ってこなくても、ひとこと「怖いの」と言ってくれれば、ディーンは手を差し伸べていただろう。それが「悪かったわね」だと? だったらこの薄気味悪い屋敷で三年間、立派に夫婦を演じてもらおうじゃないか。

 面白くない気持ちで扉に背を向けると姿見が目に入ったが、苛ついているせいか、さっきのような恐怖には駆られなかった。むしろ映れるものなら映ってみやがれと、今はけんか腰ですらある。

 この先三年、彼女はディーンに対してあのままなのだろうか。それとも、ジリアンの牙城が崩れる日はくるのだろうか。




 ルイーズ・ダントンは、クライヴ・オーソン・ハーヴェイの想い人であった。

 クライヴとディーン兄弟の幼馴染でもある。ディーンに関しての酷い噂が広まっても、ハーヴェイ家が呪われていると囁かれても、彼女はディーンから離れていかなかった貴重な友人の一人だ。

 ハーヴェイ家の後妻ナタリーは、ルイーズを卑しい身分だと言って、彼女の姿を目にするたび顔を顰めた。もっともナタリーはクライヴとディーンにすら慈愛の表情を見せたことは無いが。

 たしかにルイーズは実家が宿屋を営んでいる平民ではあるが、まったくの庶民という訳でもない。ラガリエ領内にこぢんまりとした宿屋を一つ、王都に大きなものを一つ、他国へ抜ける街道沿いにも一つ、とそこそこ大きな規模の経営であり、暮らしは裕福であった。


 ディーンが十四、クライヴが十六、そしてルイーズが十七歳の夏のことだ。

 ディーンとクライヴは王都の学校へ通っていたが、夏休みでラガリエに戻って来ていた。そこへ、ルイーズが訪ねてきた。結婚が決まったのだという。

 聞けば、宿の経営が上手くいかなくなり、彼女の実家の財政状態も危なくなっているのだとか。そんな時にルイーズは今の夫に強くアプローチを受けたのだ。

 グレゴリー・ダントンの年齢は二十七、いくつかの土地や建物を所有している地主で、骨董品や珍しい雑貨を取り扱う商人でもあった。両親の強い勧めもあって、彼女は結婚を決めた。


 クライヴがルイーズに想いを寄せているなどと、ディーンはそれまで気づきもしなかった。だが、彼女の結婚の話を呆然として聞いている兄を見て、さすがに分かってしまった。十四と十六の少年にはどうしようもない話であった。

 当時は、相手が二十七歳という事で、ルイーズは歳の離れた大人の男と家のために結婚するのだという印象が否めなかったが、自分が大人になってみれば彼らの歳の差はそれほどでもないように思える。むしろ当時のグレゴリー・ダントンは若い部類に入っただろう。

 ルイーズ本人の真意はどうなのか訊ねたことは無いが、彼女は夫に大切にされているようだ。グレゴリーの買い付けについて行って旅行を楽しんだりしているし、身に着けているドレスもいつも新しく、流行の型──ディーンはその辺に疎いのだが──のものらしい。グレゴリーが援助したのだろう、ルイーズの実家も持ち直し、王都の宿を数年前に改装している。


 父親が伏せったと連絡を受けた時、ディーンは戦場にいて、クライヴは王都にあるアカデミーに通っていた。彼は一度アカデミーを卒業していたが、爵位を継ぐまでにまだ時間があること、そして王都からラガリエはそれほど離れておらず、いつでも領地に帰れることなどから、アカデミーに残って勉強を続けていたのだ。

 ディーンが戦場から屋敷へ戻ると、すでにクライヴは到着しており、物々しい雰囲気の中でルイーズと会話をしていた。

 ルイーズは父が倒れたと聞いた時から、しょっちゅう見舞いに訪れてくれていたらしい。父の容体が悪くなっていったその様子を、ルイーズはクライヴに説明しているところだったのだ。


 父が亡くなった夜、クライヴは廊下に佇んで祖先たちの肖像画を見つめていた。ディーンはなんとなく話しかけ辛くて、こっそりと彼を窺うだけであったが、思っていたよりもずっと早く爵位を継ぐことになって、あれは、この先の不安と戦ったり、覚悟を決めたりする時間だったのではないだろうか。

 その時の兄がまだルイーズを想っていたかどうかは分からない。

 だが、自分たちがもっと早く生まれていれば、或いはルイーズの家が窮地に陥ることがなければ、兄の隣には妻としてルイーズがいて、彼を支えてくれていたのではないだろうか。さらに言えば、ルイーズを妻としたことでクライヴの運命は変わり、事故死することもなかったのではないか。


 ディーンは過ぎた事をあれこれ思い悩む性質ではない。それに、ルイーズがグレゴリー・ダントンの妻で、兄が亡くなってしまった事は動かしようもない事実だが、こうして考えてしまう時もある。

 こんな形で自分が家督を継ぐなどと、思ってもみなかった。自分には身に覚えのない悪評がついて回っている上に、家の中はめちゃくちゃだ。どうすれば事態が好転するのか見当もつかない。

 ひどく、兄が懐かしかった。




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