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昭和怪談その壱<前世>  作者: 仙堂ルリコ
7/8

兄が

 迷惑かもしれない。

 でも父の葬儀やらなんやらのお礼という名目があるではないか。

 一度お礼に伺うだけなら非常識じゃないだろう。

 前もって電話したらいいかも。


 僅かにでも迷惑そうなら、お礼の上品な和菓子でも送ればいいことだ。

 迷った末に、管理会社に電話をかけた。

 要件を伝えると、1時間ほどで厚志君の母から電話があった。

「来週の月曜日なら何時でも家におります、お待ちしています、」

 ときっぱり、それだけを言われた。

 私が美容師で、多分月曜日が休みと知っていると直感した


 堀川家を尋ねたのは二月の、雪がちらつく日だった。

 二十年ぶりに物心ついてから中学一年の終わりまで過ごした、村を訪れた。


 私は三十三歳。母が死んだ年と変わらない。

 小太りの、地味なオバサンと記憶に残る母は享年三十六歳、

 まだ若かったのだと初めて気がついた。


 堀川屋敷は

 外観が記憶とは変わっていた。

 黒い板塀だったのが、高いコンクリートの塀になって居た。

 ベージュの木に金色の飾りのある観音開きの、大きな扉に気後れする。

 塀に沿って歩き、勝手口を捜してインターホンを押した。

「少々お持ちください」

 と若い女の人の声。少々ではなく随分待たされて、

「入ってもいいですよ」

 と、許可された。

 昔、堀川家には外女中と内女中が居る、そう誰かが行っていたのを思い出す。

表の門をくぐると、玄関に待機している外女中が走ってくると……。


 勝手口を入ってすぐのところに、ガラスの格子戸の入り口があって、開いていた。


「どうぞ、上がってください」

 奥様の声が呼んだ。

 狭い玄関の先に、六畳間がある。

 座卓のむこう、正面に奥様が座っている。

 薄紫のニットのアンサンブルに、ベージュのスカートが、

 白い肌に映えて、細身の身体は老いを感じさせない。

 母と変わらぬ年で、五十代後半の筈だが、美しかった。


 私は緊張して、携えた菓子折を紙袋から出すのと、靴を脱ぐのがスムーズに出来なくて脂汗をかいた。

 やっと座って頭を下げると、奥の襖が開いた。

 お手伝いさんがお茶を持ってきてくれたのだ。


 奥様は、自分で手も触れなかった畳の上の、私が持ってきた菓子折を見やって、「それ」とだけ、お手伝いさんに言う。

「ありがとうございます」

 お手伝いさんは事務的に言うと、さっと、菓子折を持って行ってしまった。


 この六畳の和室は、黒い座卓以外何もないない。

 両側はベージュの壁、奥様の後ろは無地の障子。


 突然思い立った訪問に、過度の期待はしていなかった。

 厚志君の仏壇のある部屋か、応接間に上がらせてはくれないかも知れないと。

 玄関での立ち話で終わるのだろうと想定もしていた。

 ……しかし、玄関ではあっても広い、額に納まった絵だとか置物のある玄関をイメージしていた。

 この部屋は、私には想像出来なかった。

 勝手口からすぐの、簡素な狭い玄関と六畳間。

 客ではない、多分、通いの銀行員とか保険屋とか、経営する会社の従業員と応対する為の部屋なのだ。

 

 金持ちの暮らしを、知らなかったと今更ながらに思った。

 それで、父の葬式代を出して貰った礼をのべ、「お忙しいところ失礼しました」と腰を上げた。

 来るのが間違いだった。早々に退散しようと。


 奥様は、私が深く下げた頭を上げると、座卓の家にパン、と音を立てて、何かを置かれた。


 それは古いハガキの束だった。

「これを、お兄さんにお返ししますわ」


 何を唐突に言われたか分からない。

 戸惑ってる私に、いらついたようにパンとハガキの束を叩く。

 はじかれたように、私はソレを手に取った。


 ハガキはどれも厚志君宛てだった。

 裏を見れば……不幸の手紙のようだった。

(このハガキが届いて三日以内に二十人に同じハガキを出さないと、お前と母親は三ヶ月以内に死ぬ)

 ぱらぱら捲ると、同じ文章が、書かれていた。


「これは、兄が書いたのですか」

 喉に何かつっかえたように、それだけ聞くのがやっとだった。


 ハガキに差出人の名前は無い。

 筆跡も、一見したところバラバラに見える。


「厚志が逝ってしまう前の夏休みに、お兄さん、うちに、よお、来てたんです」


 奥様は、私が知らなかった兄と厚志君との諍いを語り始めた。


「あの頃、厚志はプラモデルに夢中でした。けど手先が不器用で上手に仕上がりません。仲の良い友達から、そのコトが、あんたのお兄さんに伝わって、手伝ってやると、家に来るようになったんです」

 からだが急に熱くなって理性が働かない。

 このハガキがあることの理由も意味も、まだ分からない。

 が、ショックで叫びそうになるのを堪えて、奥様の言葉に耳を傾けた。


「毎日、なんや知らん子が遊びに来てる、位に思ってたんですけどね」

 或日、厚志君が母親に愚痴を言いに来た。

「文化住宅の子が、僕のプラモデルを勝手に作るンやと、言いますねん」

 厚志君は沢山のプラモデルを買って貰っていた。

 部屋は戦闘機や軍艦のプラモデルの箱で一杯だったという。


「それをな、お兄さんは勝手に箱開けて、作ってたらしいんです」

 ……さもしい事を、と奥様は呟く。

 兄は、誕生日とクリスマスに買って貰った、2つ3つの小さなプラモデルを、宝物のように大切にしていた。

 厚志君の、広い子供部屋に山積みにされたプラモデルの箱。

 当時の兄なら、目が眩んでしまったかも。


 厚志君は、兄を自分では止められなかった。

 だから、この人が兄に注意した。


「お兄さんは、ぷっつり遊びに来なくなりました。そんな揉め事があったから、このハガキ、誰が書いたか、私は、すぐわかりました。逆恨みやから、取り合わんと無視したらいいと、言いました。……そやのに、何の悪い偶然か、厚志が肺炎になってしまったんです」

 ハガキが届いたのは、厚志君が発熱で学校を休んで二日目だった。

 まだ、軽い風邪だと思っていた。

「ハガキが届いた日から体調が悪くなった、それが厚志を怯えさせたのです。ただの偶然や、あほらし、気にするから囚われると叱りました。それでも症状は悪化していきました」

 奥様の目から涙が溢れた。

 一番辛い思い出を呼び覚ましてしまったのだろう。


「厚志は諦めてしまった。死を受け入れてしまった」

 死の床で、万が一でも、自分の病気が不幸のハガキの呪いなら、母親までも死んでしまう。それが怖いと泣いたという。


「それで、私だけでも助かる手段はないかと考えたんです。」


 奥様は、途切れ途切れに言葉を選んで、私の顔を見ずに語った。

「まだ十五でした。衰弱して半ば意識も朦朧とした頭で、思いついたんでしょうか、誰かを私の身代わりしたらいい……アンタらの母親を選んだのは復讐もあったと思います」


 ……前世の母。

 あれは、厚志君が、この人を救うために拵えた嘘。母の手を握ったのは芝居だった。

 私は食い入るようにハガキの束を見つめ、

 奥様の一言一句を針で刺されたような痛みで聞いていた。

 母のことを思い出したくなくて、歯を食いしばった。


 でも、厚志君に前世の母と呼ばれ、舞い上がって、幸福そうだった顔が、ありありと浮かんできた。

 

 母は真実を知らずに、死んでしまった。

 私は哀れな母に泣きそうになったが、堪えた。

 この人の前で泣きたくない。

 わき上がる感情を誤魔化そうと、無意味にハガキの束を捲った。

 200枚以上はある。

 一番上のハガキも、その次も消印が無い。

 つまり、兄は……厚志君が学校を休んだ日に、自分で郵便受けに入れたのか?

 筆跡もばらばら。こんな小細工までしたのか。


「ばーあ、ば」

 バタンと襖が開く音と、可愛らしい声に驚いて、ハガキから視線を上げた。

 三歳くらいの女の子が襖の向こうに立っている。


「……あれ、ミキちゃん、きたんか」

 奥様の顔つきと声が、がらりと変わった。


 早世した息子から、孫へ、

 遠い過去から現実に戻ったように。


 ミキちゃんは、奥様に抱きついた。

「ママが赤ちゃんばかり可愛がるの」

 という意味の言葉を、たどたどしく訴えだした。

 死んだ厚志君には二人の妹が居た。

 どちらかがミキちゃんの母なのだろう。

 重い空気が、飛んでいく。


 私はハガキの束をバッグに入れ、腰を上げかけた。

「お孫さんですか、かわいらしいですね」

 と月並みな、お世辞を最後の言葉にえらんだが、

「残念ながら、誰に似たのか不細工ですわ」

 さらりと酷い言葉が返ってきた。


「けどな、下に綺麗な男の子が出来ましてん。厚志にそっくりです。生まれ変わりやないかと思ってます」

 と、私が居ないかのように孫としゃべり出したので、小声で別れの挨拶をした。


 最後にミキちゃんと目が合った。

 丸顔で色黒、小さな目、奥様に全然似ていない。

 誰かに似ている。


「なあ、お父ちゃんは、知ってたんか?」

 父の写真に、聞かないではいられなかった。

「不幸のハガキ、知ってたんか」

 死人に口なし。今更分かりようがないのに。


 本当は兄に聞きたかった。

 ハガキの文言のせいで、自分の母親が前世の母にされ、あげく死んでしまって、

 一体、どんな気持ちでいたのか?

 でも実際には聞けやしないのだ。

 一流の大学を出て、好きな分野の仕事に就き、温かい家庭を持って……幸せな今を生きている兄に、聞けない。

 忘れてしまいたい、忌まわしい過去に違いない。

 兄を不快にさせるのも、兄に嫌われるのも耐えられない。


 ハガキは234枚だった。

 筆跡を変えて、同じ呪いの言葉を書き続けた、どす黒い憎悪が、痛々しい。

 

 思い起こせば、あの頃、兄は家で一人の時間は殆ど無かった。

 いつ、このハガキをかいたのか?

 狭い文化住宅の二段ベットの中か?

 皆が寝静まるのを待って書いたのだろうか。

 想像つかない。だから余計におぞましい行為に思えて辛い。


 辛すぎて、忘れてしまおうと決めた。

 ハガキを捨てて、それで終わりにしよう。


 ゴミ箱に捨てようとしたのだが、捨てられない。

 理性が異を唱えた。

 それは物的証拠なんだと。

 兄がしでかした罪の証拠、なおさら処分すべきなのに。

 調べれば誰が書いたか分かる(誰も調べないだろうが)


「ちょっと、待って、兄貴が書いた証拠、あるの?」

 思わず、声に出た。

 こんなモノを兄が書いたと想像もつかない。

 その感覚は無視して良いのか?


 やっと、奥様が犯人を兄だと特定しているのは、ただ1つのエピソードしかないと、気がついた。


 次の休みに、東京の兄を訪ねた。


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