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昭和怪談その壱<前世>  作者: 仙堂ルリコ
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天涯孤独

 一月に、大阪市内に引っ越した。

 父はマンションの管理人になったのだ。


 十四階建てのマンションの一階に私たちは住むことになった。

 マンションという言葉自体が耳に新しかった。

 白い綺麗な外観、管理人室も広くて嬉しかった。

「仕事手伝ってくれなあかんで」

 父と約束した。仕事はすこしも嫌ではなかった。

 マンションの住人はエントランスの掃除をする私に優しく声を掛けてくれ、○○ちゃんと下の名前で呼んでくれる人もいた。

 おかあさんは? と聞かれ、事故で死んだと話すと、同情を誘うのか一層優しくしてくれた。

 只の口だけの優しさではない。色々なモノを貰った。

 ケーキやお菓子は年配のオバサンで、金持ちのオジサンは映画の招待券とか株主優待券とかを受付カウンターに無造作に置いていった。

 父にと、高そうなお酒をもらった事もある。

「世話になってるから」と言われるので、すべて仕事に対するお礼なのだと遠慮無く貰った。


「金持ちのすることやな」

 父はまじめに働いてはいたが、特に住民に媚びる風ではなかった。私だって金持ちに媚びていたわけではないが、兄は私が住民と親しくするのを快く思っていなかった。

「ベンツのおっさんに誘われても、付いていくなよ」

 とか言っていた。

 住民の、特に男の人には気を許すなと兄らしく心配していたのだ。

 大丈夫、母とは違う、と心の中で思わぬ言葉が沸いてきた。

 環境が激変し、母のことを思い出す暇も無かったのに。

 そうして自分の中で、母は結局金持ちに負けたのだと分析していたのを自覚した。

 厚志君に前世の母と呼ばれ、ああいう狂い方をしたのは大きな屋敷のせいでも上等の服を着て香水をつけていた厚志君お母さんのせいでもない。

 金持ちの世界と関わって眼がくらんだ母自身のせいだ。


 兄は高校を卒業とともに家を出て東京の大学にいった。

 私大で、アパートを借りたので随分金がかかった。それを父はぽんと出した。管理人の給料がいくらか聞いた事もなかったが、予想外に高給だったのだ。


 それからの父と二人の暮らしは平穏だった。

 私は高校卒業後、理美容の専門学校に行った。

 管理人の仕事を手伝いたかったので、卒業後も近くの美容院に勤めた。

 兄は東京の製薬会社に就職し、三十で職場結婚した。翌年に男の子が産まれた。

 その頃、父はあと五年、六十五になったら管理人を辞めて、余生は安いアパートでも借りてひっそり暮らすから、早く結婚しろ、と私に言った。

 私は結婚する気は全く無かった。

 仕事が面白く、いずれオーナーになりたい夢もあった。

 それと、結婚して母親になるのが怖かった。

 母を思い出して怖かった。


 そんな幸福な時に、父は急激に体調を崩し、末期癌と分かった。


 もう管理人の仕事はできない。それでもここに住めるのだろうか?


 吐血して入院した父に代わって、雇い主である管理会社に連絡しなければいけなかった。

 書類を調べたら、会社は堀川設備会社だった。

 素性を名乗って電話をかけると、順繰りに上の人に回されて、女の人が出た。

「お嬢さんの○○さんですね」

 で始まって、兄はどうしているとか、尋ねられた。

 何故、兄の事をと訝って、やっと厚志君の名字に思い当たった。

 今話しているのは、もしかして厚志君のお母さんではないのか?

 

 いきなり中学二年の、母が死んだ頃に引き戻されたように動揺してしまった。


「お嬢さんは、お父さんの側に居てあげてください。マンションの事は明日の朝から通いで人をやりますから、何にも気にしないでくださいね。病院だけ、教えてくれますか?」

 優しい、か細い声だった。

 言葉通りに翌朝男の人が二人来て、交代で管理人の仕事をするという。

 丁重すぎる対応に、ソレまで見えなかった堀川家とのつながりを推理してしまった。

 勝手に想像してもいけない。父に聞けばいいことだ。

 父を信頼していたから、病人ではあるが聞いてみた。


「ああ、多分奥さんやなあ。そうやで、堀川家の世話やで。でもこっちから頼んだんちゃうで。反対や、頼まれたんや」

 モルヒネを注射したあとで父のしゃべり方はゆっくりだったが、口軽くなっていた。

 父が断片的に語ったのをつなぎあわせると、


 母の事故死は堀川家にとっても衝撃だった。

 状況から自殺の噂も出ていた。厚志君の後を追ったのではないかと。


 堀川家では、母が厚志君のお参りにと毎日のようにやってくるのに困惑していた。

 ただ来て、仏壇の前に座り、厚志君の母に幼少の頃のエピーソードを聞いて1時間ほどで帰る、それを四十九日が過ぎてから毎日していたらしい。

 厚志君の母は、当然のように丁寧に対応していた。

 しかし、厚志君の父親、祖父母、使用人達は、辟易とした思いだった。

 厚志君の妹二人が、どう受け止めているだろうかと案じていたのだ。

 そんな中で、突然母が死んだ。

 厚志君の後追い自殺までしたくらいなら、本当に前世の母だったのだろう、という事に、半ば、なってしまった。

 それまでは、死ぬ間際に厚志君の頭が狂い、妄想から「前世の母」と言い出したのだと考えていたらしい。それでも最後の願いをかなえてやろうと私の母を連れて行ったのだ。


 母の死は、もしかしたら我が家より堀川家にとってのほうが一大事だったのだ。

 死んだ厚志君が帰っては来ない。彼の死で家は悲しみに溢れ沈みこんでいる。この上に前世の母の死。とても、引き受けられない……。


(遠くへ行ってくれないか、悪いようにはしないから。遠くで幸せに暮らしてくれるのが堀川家の願うことだ)

 最初に母を連れに来た、二人の立派な紳士は、父に頼んだ。


「あの人は、出が良いだけでなく、根っからのお嬢様なんや。お母ちゃんが死んだって聞いて失神して病院に運ばれたらしいで。よお考えてみ、自分の子供が早くに死んでしまう地獄と、死に際に自分じゃなくて、前世の母と手を握って死んだ地獄と、前世の母が息子の後追うように死んだ地獄とやで」

 父の打ち明け話に、私は涙が溢れた。

 厚志君の母が苦しんでいたと、中学生に私には想像出来なかった。


 父は医者の予告より早く死んだ。

 兄に知らせる猶予もなかった。

「手、握ってや。娘に看取られて死ねるんならいいわ。ええか、前世があるのかないのか知らんけど、俺の娘も息子も勝也と○○の他におれへんで」

 それが最後の言葉だった。

 兄は、兄嫁と幼い息子を連れて、喪主を務めるために帰省した。

 私は、父に聞いた真相を兄には聞かせる必要がないと判断した。


 兄一家は、通夜と葬式と二晩居て、東京に帰った。


 葬式は、堀川社が全て手配した。社葬だと支払いも全部してくれた。

 そして管理人の仕事はしなくていいから、いつまでも私にいてもいいという。


 そこまで甘えられない。

 私は、初七日が終わって、とりあえず近くのワンルームマンションに父の遺骨とともに引っ越した。

 堀川社の人がすぐに尋ねてきて、多すぎる父の退職金を置いていった。

 一段落付いて、受け取った三百万の金の重みを実感した。

 これは父の遺産で兄に半分渡さなければと、電話をかけた。

 兄は兄嫁に確認をとったあとで、

「結婚するときの資金か、独身のままで終わった老後の生活費にしいや。それがあったら、俺は出す必要ないやろ」

 と、つまり全て私のもの、そのかわり父親代わりはしないと、言った。

 赤ん坊の泣き声と、あやす兄嫁の声が側にあった。

 相続を放棄されて何故だか悲しくなった。

 兄は東京で家族と幸せに暮らしてる。未婚の妹など、家族でもなんでもないのだ。

 三百万で手が切れるなら安いモノだと、夫婦で決めたのかと邪推してしまった。

 

 天涯孤独。


 その四文字が頭に浮かんだ。

 しかたない。恋人も居ないのは自業自得だ。

 もし付き合ってる人が居れば、兄の言葉は願ってもない事で、お互い干渉しないでやっていくのが普通だろう。

 

 孤独で仕事しか用事が無くて、余分の金が手に入ると、しなくていいことをしてみたくなる。

 私は……厚志君の母に会ってみたいと思い始めた。


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