母の死
父の我慢の甲斐も無く、母の厚志君への思いは日ごとに強くなっていった。
四十九日の法要に招待されたあたりで、
「うちは工場のパートに行くような身分やない」
と宣言して、ぷつりと仕事を辞めてきた。
家事は最低限、悲しげな顔でしてくれた。
でも、専業主婦となった母は一日中テレビの前にいて、ぶつぶつ言っていた。
「知らんねんなあ、この女優も、うちの方が高貴やと知らんねんや」
笑っている顔には濃すぎる化粧が施されていた。
「かあちゃんは、今ちょっと、おかしなってるから逆らいなや」
壊れていく母と反比例して父は酒も止め温厚になった。
母の代わりに米を洗ったり、洗濯物を取り込んだり、していた。
私も兄も、父に手伝えと言われなかったが、自ら家事を分担するようになった。
母のつぶやきに多く出てくる固有名詞は、
しだいに、厚志君から厚志君の母親へと移行していった。
「あの女より、うちの方が上やということや」
勝ち誇ったように唐突に、言いにきた。
ぬめぬめした眼が今でも脳裏に焼き付いている。
「母ちゃんの頭の中ではな、厚志君の前世の母やった自分が、あの別嬪さんより上やとなってしまってるみたいや。とても人前には出されへんから、学校の用事はお父ちゃんにいうんやで」
父は私と兄にこう言った。
その、同じ時でさえ母は隣の部屋でテレビを見てブツブツ独り言を言っていた。
「天まで舞い上がってるんや。そのうち落ちてくるわ」
父は言ったが、
母は狂ってしまったと、厚志君の死から二月過ぎる頃私は思っていた。
あれは、十一月の最後の日、初めての北風が吹いていた。
どんより空が曇っていた。
食卓に、煮物と小エビの天ぷらに卵焼き、いくらかまともな夕飯が並んだ。
母はとても機嫌が良かった。
父も料理の質に良い兆候を見たのか、久しぶりに酒を口にした。
しかし、母の心が、家族の元へ戻ったのではなかった。
「あの子に手料理供えてきたんや。喜んでたわ。仏壇の写真が笑ってるみたいに見えた。もっと早く、こうしたったら良かった」
「お前、また、堀川にいったんか」
父は悲しそうに言った。
私は初耳だったので驚いた。
堀川家では、前世の母だから歓迎されているのだろうか?
あんな立派な家に客として出入りできるのか。
すごいと思った。
母が立派な人のような気がしてくるのだから、本人が自分を立派と錯覚しても無理がない気がしてきた。
「ほんまに、歓迎されてるんやったらええけどな」
父がぼそりと口から出した言葉に、母はつっかかった。
「あんた、僻んでるんやろう。あんたは堀川とは関係ないねんからな」
父はそう言われても黙って耐えていた。
私は、もし前世の母と、死に際に名指しされたのが、厚志君のような金持ちの坊ちゃんでなかったら、母もこうまで固執しなかったのにと、悲しくなった。
母はすっかり父を見下していた。
私と兄も厚志君に比べて劣ると、何度も聞いた言葉が、また繰り返された。
「そんなに気になるんやったら、出ていきいや。厚志のお母ちゃんなんやったら、堀川の家に行ったらいいやんか」
溜まっていた母への嫌悪感が爆発した。
泣いて、叫んだ。
父に叱られてもかまない。母なんか、この家なんか、どうせ、とっくに壊れてる。
「行きたいけど、アンタらの為に我慢したってるんや。つらいんや」
母は泣き出した。
「出ていきや。今すぐ出ていけ」
父が低い声でいう。
母ははじかれたように、エプロンを着けたまま出ていった。
バタンと扉が大きな音を立てて閉まった。
「面倒くさいなあ」
父は私たちに笑いかけた。
直後に、きーつっ、と外から大きな音が聞こえた。
トラックのブレーキの音だったとあとで分かったが、
そのときは初めて聞く妙な音でしかなかった。
「びっくりするやないか、なんや、事故か? 」
父の顔に影が差した。
兄がすっくと立ち上がりベランダに行った。
……文化住宅の裏の道路を見に行ったのだ。
父は、もういちど「事故か」と、兄に言葉をかけた。
返事がない。
父は私に、「お前は座っとけ」と早口で言ってベランダに、兄の後ろに行った。
「おとうちゃん、」
兄がヒステリックに叫んだ。
ぞっとするような甲高い声だった。
その後の数時間の記憶はグチャグチャだ。
パトカーが先か救急車が先かも覚えていない。
いつから自分の側に隣のおばさんがいたのかも。
母は信号のない道路を左右確かめもせず、車が行き交う中へ入っていったらしい。
乗用車にはね飛ばされ大型トラックに挽きつぶされた。