生贄の少女
暗い洞窟の中、手にしたナイフを眺めてアミは思う。こんな物に意味はあるのだろうか?
どうせ血はつくのだから手についてるであろう鋭い爪で切り裂いてくれればいいのに……
「考えても仕方ないか……」
苦笑いを浮かべて汗を拭う。考えても仕方ない、どちらにせよ死ぬのは同じだ。
少し進むと荒い息の音と獣臭さを感じた。
……この先に、竜神様がいる。
「よし……」
覚悟は出来ていない、しかし……行くしかない。
アミは深呼吸をして震える足を叩く。
顔を伏せ、竜神の姿を見ないように前に進む。竜神の息の音を間近に感じた所で止まり、ナイフを地面に置いて跪く。
「私の名前はアミ。今年も村の豊作をお願いしたく竜神、オボロ様にこの身を捧げに参りました」
つまりは生贄だ。
アミは地面に置いていたナイフを手に取る。
「私をオボロ様の御神体の一部として……」
「待たんか、娘よ」
威厳のある声がアミの言葉を遮った。首に近づけていたナイフを持つ手が止まる。
「……とりあえずそのナイフを置け」
「…………」
どうするべきか……アミが考えていると声の主、オボロは言葉を続けた。
「我こそはこの村の竜神である、その竜神からの命令だ……ナイフを置け」
そう言われては反抗のしようが無い。アミはナイフを地面に置いた。
「今年の生贄はお前か?」
「はい」
アミは顔を伏せたまま答える。
「村のやつらは今年も生贄を出してきおったか……」
オボロはそう呟いた後にアミを見て
「お前、村の外に頼れるやつはいるのか?」
「いえ……いません」
アミは生まれてこの方村から出た事は無い。
「だろうな……とりあえず顔を上げろ、話しにくい」
竜神様に言われては仕方ない、とアミか顔を上げて竜神を初めて見る。
「……オボロ様」
額に豪華な装飾品がついており、海蛇のような髭はとても長く、洞窟の暗闇の中で発光している。
長くとぐろを巻いた身体の様々な場所から植物が生えており、花を咲かせているものまであった。
そんなオボロの姿にアミがあっけに取られていると、オボロは溜息をついて。
「そんなに驚かなくてもいいだろう」
「え、ひゃい」
うわずった声を上げるアミ。オボロは宥める事を諦めて本題に入る事にした。
「まあいい……とりあえず娘よ、何処に行きたい?」
「え……?」
質問に少し詰まった後、アミは勢いよく村人の総意を叫ぶ
「そ、それはオボロ様の御神体の中に……その一部として」
「そういう事じゃ無い」
オボロはアミの言葉を遮って続ける。
「単刀直入に言う、ワシは人間を喰わん」
「……へ?」
「人間なんぞ喰うた事無い」
「ならばなぜ」
「生贄を求めるのか? そう聞きたいのだろう」
アミは頷く。
「ワシは求めておらん、お前らが毎年押し付けるのだ」
「じゃあ……私は」
「うむ、自由だ……村に戻るか?」
オボロの問いかけにアミは首を横に振る。
豊作を求めて人を生贄に出す村長。自分の子供は安全だと安堵する大人達。
そしてなにより娘を生贄に出した時に貰える金を笑顔で受け取る両親らしき人……誰一人としてアミとの別れを心から悲しむ大人はいなかった。アミの存在を認識していたかさえも怪しい。
そんな村に帰るなんて……ありえない。
「戻り……たくないです」
「だろうな、今まで村に戻った者は殆どおらん」
オボロの溜息が突風となってアミの髪を大きく揺らす。
「では娘、行きたい場所はあるか?」
アミは少し考えて首を横に振る。
「いえ、私は村の外を知りませんので」
「知識としてもか? 一度行ってみたいという場所でもよい」
「わかりません。 私は外を知識としても知りません」
「うむ……」
オボロはアミの体をまじまじと見る。
竜神用にと一応整えてはいるが、髪質はボロボロで皮膚も綺麗とは言えない。手足は華奢を通り越して細い。
オボロはまた溜息をつく。この娘が知っていたかはわからないが、アミは生贄となるべく育てられたのだろう。
竜神の元にたどり着く為に必要な最小限の筋肉。外への憧れを無くす為の情報隔離。そんなところだろう。
「まったく……」
オボロは身体を揺する。半年程動いていなかった為、枯れた花が身体から落ちていく。
「オボロ様……?」
状況を飲み込めていないアミにオボロは優しく言う。
「もう少しリラックスせい……さて」
オボロは凝り固まった筋肉を伸ばし、アミに笑みを向けた。
「新しい人生の始発点を探しに行こうじゃないか」