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シャーリー  作者: 古井京魚堂(淡海いさな)
商都の錬金術師たち
7/9

『薔薇の乙女』で働きはじめて十日目の朝のことです。

 戸惑うことはまだまだ多いですが、一巡り(なのか)も経ったころには新しい生活にも順応しだして、生まれたリズムを体が覚えこむものです。

 十日ともなれば尚更のこと。

 寝惚眼ねぼけまなこで伸びをして、気持ちの良い寝床から、えいやっとばかり這い出すと、朝食の支度をする前に、軽く工房の掃除をしてしまいます。

 商品棚の埃をハタキで落として、それからモップで床を磨きます。

 二日目からは器具の洗浄と配達に加えて、店頭の清掃と商品の陳列、接客の仕事が加わりました。


 基本的にはネリアさんが用途に合わせてあらかじめ調剤しておいた薬を、お客さんの要望に応じて販売するというものです。

 もっとも、実際にお店にやってくるお客さんたちの半分くらいは、薬よりも甘い炭酸飲料がお目当ての人たちでした。

 柑橘類の果汁と香料、蜂蜜を混ぜたシロップを炭酸水で割ったものです。

 その際、乱暴に扱うと泡が立ちすぎるので、気をつけて丁寧に扱う必要があります。

 加えて、薬を買うお客さんたちも、だいたいが飲んでいかれるので、薬品よりもこちらの売り上げの方が多いくらいです。

 特に今は暑くなりはじめる季節に当たっていますから、甘くってすっきりする飲み物が求められるのもあるでしょう。

 もちろん、薬を必要とする人よりも飲み物を求める人が多いくらいが平和で良いのかもしれませんが、これはちょっと驚きです。

 ですが、これもれっきとした錬金術の産物なのです。

 元は万能薬の研究の過程で生まれた薬でした。

 そのため、現在でも錬金術師と一部の薬剤師にのみ製造と販売が認められているのです。

 ただ、どこにでも抜け道はあるものだと感心するのですが、実際には薬局以外でも売られています。

 この独占販売権はあくまでも市内に限られたものであり、市壁を一歩出たら適応されません。そこで一度街の外に出て、そこで作成した物を、購入したという体裁で、あらためて市内に持ち込み、運河に浮かべた船の上で販売する人たちがいるのです。

 呆れるくらい商魂逞しい人たちです。

 わたしも売り子になった以上は、見習わなくてはいけないでしょう。

 そんなことを考えているうちに、ちょうど良い時間になりました。


 準備万端。

 今日も一日「えいえいおー」と気合を入れていきましょう。

 うん。

 開店の準備を整えて、朝ご飯の支度に取り掛かろうとしたところで、「明日は休みにする」と昨晩ネリアさんが言っていたのを思い出しました。

 昨日の明日はつまり今日です。

 思わず腰が砕けそうになりましたが、埃を溜め込んでは明日の掃除に時間が掛かって苦労していたと強引に考えることにします。


    ◇  ◇  ◇


 今朝は珈琲コーヒーと平パン、ピーマンと玉ねぎと白兎のパエリアにしました。

 炊き込みご飯は朝食にしてはちょっと重い感じですが、どうもネリアさんは今日も夜通し実験か何かで起きていたみたいなので、しっかりとお腹に詰め込める物が良いはずです。

 炊事に関してはわたしから申し出ました。

 ネリアさんは、あくまでも従業員であって徒弟や女中ではないのだから、炊事などの家事までやる必要はないと言ってくれたのですが、工房に住み込む以上、住まいは保証されていますし、その上でそこまでお世話になるのは甘えすぎな気がしたのです。

 それに、人の心というのは複雑なものです。

 本心であることは間違いありませんが、そこに加えて、打算もあります。

 母が亡くなった七つのころから、家政を取り回してきた七年来の主婦としては、自分が住んでいる所の家事を他人に任せきるのは、たとえそれが本来の家主であったとしても大きな違和感があります。

 鍋・釜・包丁、火種のあるところを把握していないと居心地が悪くっていけません。

 それに、なんと言うか、ネリアさんの作る料理は大変に大味なものでした。

 適当な(ほどよいという意味ではない方に適当な)大きさに斬られた野菜と魚貝類、日によっては肉の塊を寸胴鍋に丸ごと放り込んで、あとはぐつぐつと煮立てて、香辛料で味付けしておけば問題ない、と言わんばかりの料理は、人として駄目です。

 薬品の調合に対しては、天秤を駆使して千分の一グラムの精度で取り掛かる集中力と情熱が、どうして料理にだと発揮されないのかが不思議でなりません。

 おまけに、錬金術用の鍋でそのまま煮込もうとするし。

「ねえ、シャーリー、あなた」

 今にも舟を漕ぎだしそうな目をして、いかにも眠たげに熱い珈琲をすすっていたネリアさんが、ふいに口を開きました。

 突然のことで、まさか考えを読まれでもしたかと慌てます。

 ちょっとびっくりしましたが、でも、違ったみたいです。

「今日は工房も閉めるから、あなたもお休みにしててくれて良いのだけれど、でも、もし良ければ午後から付き合わない?」

「午後からですか?」

「うん。知人から頼まれてる物があってね、それの調合に使う素材を採りに、浜まで出かけようと思っているのよ。

 それで、折角だから、手伝いがてら見学について来ないかなって。

 あたしとしてもあなたが一緒だと、荷物を分担できて楽だなーなんて」

 後半が本音のような気もしますが、確かに、興味はあります。

「分かりました。何か、特別に準備しておくようなことは?」

「日除けの帽子と汗を拭う布は必須ね」

「今日も暑くなりそうですしね」

「あとは動きやすくて、汚れても構わない服に着替えておくくらいで良いわ。籠とか採取に使う道具はこちらで準備してしまうから」

 では、それまでにお弁当でも作っておきましょうか。

「じゃあ、あたしは、食べたらちょっと仮眠を取るから……あふぅ」

 とても大きなあくびを一つ。テーブルの中央に置いてある鍋の中から、お皿にご飯を移して、ネリアさんは食事に戻りました。

「楽しみです」

 パルマの浜辺には、まだ行ったことがありません。

「それとして、話している最中にこっそり集めたピーマンを、鍋の中に戻さない。食べられないなら食べられないで良いですから」

 まさかとは思いますが、鍋から注意をそらせるために、このタイミングで話しはじめたのじゃないかと思わず疑ってしまいます。

「……いや、その、お皿の片隅にピーマンが山積みになっているのも雇用者として、なにより大人として威厳に関わるかなーなんて」

「こっそりやる方がよっぽど大人としての威厳が感じられません」


    ◇  ◇  ◇


 太陽が空の上で赤々と燃えていました。

 そして、わたしは麦藁帽子を被りました。

 これは、露店で農家のおかみさんから買った物で、ちょっとだけ形がいびつでしたが、見た目より丈夫で、なによりかわいらしいので気に入っているのです。

「似合うじゃない」

「そうでしょうか」

 照れ隠しに否定しましたが、ほめられると嬉しいものです。

 籠の中にお弁当と布を入れる間にも、頬が緩みっぱなしでした。

「うん、かわいい、かわいい」

 そう笑っているネリアさんは完全装備でした。

 白いブラウスに黒いタイツを合わせて、足元は歩きやすそうな革の長靴、その上から包むように薄手の外套を羽織っています。

 強い光は敵だそうです。

 いつもは高いところで一つに束ねて垂らしている黒髪も、今日は団子に丸めてつばの広い帽子の中に隠されていました。

 全体的に白を基調としているのは、本人の趣味もあるみたいですが、短剣と薬箱をベルト型の収納鞄に巻きつけながらいわく、

「黒の過程を経て、赤い哲理に挑む、白の過程に我は在り」

つまり奥義へと挑戦する錬金術師の色彩が、白色なのだそうです。

 大仰な言い方から、実際はおどけているのが分かりますが、元が綺麗な人ですから、颯爽として格好良いです。

 とてもピーマンが食べられなくて、こっそり細工していた人と同じ人だとは思えません。

「じゃあ、行きましょう」

 ネリアさんが籠を担ぎました。もう一つはわたしが持ちます。

 今日は朝からよく晴れた夏らしい一日で、あんまりに陽射しが強すぎると、雲の子も近寄りがたいのでしょうか、ちょっとしか見られません。

 出かけるにはぴったりでしたが、暑くなりそうです。


 工房のある通りから広場の馬車だまりまでは歩いて、そこから辻馬車を拾って半時間ほど、目的の浜辺に到着しました。

「すごい……。綺麗です、とっても」

 他に言葉がありません。

 わたしの暮らしていたシュメイカー島の海岸は、切り立った崖とごつごつとしたいそが続くばかりでしたから、見渡す限りに白い砂浜が続いている光景は、心に迫ってくるものがあります。

 一言で言えば、わたしは感動していました。

 大袈裟おおげさなと笑われるかと思いましたが、あにはからんや、ネリアさんも感心している様子で、わたしたちはしばらくの間、二人してじっと、空と海の風味の異なる二種類の青と、その間に横たわる一筋の白線を眺めていました。

 とはいえ、いつまでもそうしているわけにもいかないのは確かです。

 わたしたちは目的を果たしにかかりました。

「さてと、今日欲しいのは海浜植物の一種なんだけど、とりあえず、それはあたしが探すから、適当に砂とか貝殻とか、流木や木の実、海藻みたいな漂着物なんかを集めてちょうだい。シャーリーが気になったり、興味のある物を端から放り込んでくれれば良いから」

「そんなことで良いんですか?」

「ええ。採取にもそれなりの知識と経験が必要よ。

 いきなり、アレを探せコレを見つけろと言われても難しいでしょう。

 というかされたら立つ瀬がないわ。

 だから、今日のところは浜遊びのつもりで――なんなら、砂や波で遊んでいてくれても良いくらいなんだけれど、どうする?」

 それは流石にちょっと寂しいです。

「だと思った。好きに集めてくれた物の中からの取捨選択は、あとでやったら良いことだから。

 それに、思いがけない物が紛れ込まないとも限らないし、

 今そこにある素材から作れるレシピを頭を働かせて組み立てるのも、錬金術師の腕の見せ所ってね」

 なるほどです。食品庫の中身から今晩の献立を考える要領ですね。


    ◇  ◇  ◇


 危機というものは、前触れなく訪れて、人を驚かせるのが好きなようです。

 今晩の食卓に磯蟹かにの塩茹でを並べようと考えて、砂浜を無心に歩く小さな蟹を「逃すまいぞ、晩ご飯」と熱心に追いかけていたわたしは、周囲への注意が弱くなっていたのでしょう。

「痛い」

 何かにぶつかって尻餅をつきました。

 倒れた先は砂浜でしたが、けっこうな勢いで蟹を追い掛け回していたので、転んだ際の衝撃はなかなか強く、打ちつけたお尻がじーんと痛みます。

 ですが、すぐにそんなものは気にならなくなりました。

「ひぇっ」

 遠くの方で吹く風が扉の蝶番をきしませるようなかすれた音は、わたしの喉から出たものです。

 甲高い悲鳴を絹を裂くようなと表現しますが、さしずめ石塀いしべいを金具で擦ったような声でした。

 わたしの目の前には、遠く逃げ去っていく磯蟹の群れと、前のめりに転んだ一匹の大きな猿がありました。

 海の猿(シーエイプ)

 海に棲む巨大な猿に似た動物あるいは妖精獣です。

 雑食性で魚や海藻、水辺の小動物を食べているみたいですが、時折、陸までやって来ては、畑を荒らしたりもします。

 どうやら、シーエイプが餌――わたしが追いかけていたものとは別の蟹の群れを捕まえようと屈んでいたところに、わたしがどんっと後ろから勢いよくぶつかったようです。

 大猿は振向いて、わたしをにらみつけました。

 威嚇のほえ声。

 どうしましょう。

 すごく怒っているみたいです。

 無理もない話ですが、怒り狂ったシーエイプの、海亀の甲羅を苦もなく開く腕力で殴られたら、わたしなんてひとたまりもありません。

 謝っても許してはくれないでしょうし、本当にどうしましょう。

 いえ、違います、今はそんなことを考えるよりも、逃げるしか!


「シャーリー! 目を瞑って頭を伏せる! あと、耳をふさ……っ!」


 はじめて聞くネリアさんの怒鳴り声。

 勢いに背を押されて、反射的にうつ伏せになり、指示に従って目を閉じて、耳を塞ごうとしたところで、とんでもない音が轟きました。

 言うならば雷鳴。

 そして、すごく明るい――目をつぶっていても眩しく感じるような閃光。

 気を失わなかったのは僥倖ぎょうこうでした。

 上手くふさぎそこねた耳はガンガン言っていましたし、閉じたはずの目もかなり痛いです。

 状況を把握できているとは言いがたかったですが、それでも、今が逃げる好機だというのは、はっきりとしていました。

 涙をこらえて立ち上がり、足元で倒れ付しているシーエイプから大急ぎで離れます。

 ネリアさんのところに駆け寄ります。

 その途中に、ネリアさんは一本の筒を腰の道具袋から取り出すと、投擲とうてきする体勢をとってそれから力一杯にわたしの背後、大猿の方に投げつけました。

 すると、また一帯に雷が落ちたような音が響き渡り、一瞬、辺りの色が薄くなったことで、あの激しい光も出ていたことが判ります。

 それを、続けざまに二度も至近で食らう羽目になって、大猿はたまったものではなかったでしょう。

 やっていられないとばかりに、這う這う(ほ ほ )ていで逃げ出しました。


「さっきの。もしかして、爆薬……爆弾という物ですか?」

「爆弾と言えば爆弾だけど、爆薬ほどの威力はないわよ。

 と言うより、あんな近くで火薬の塊が爆発したら、あなた今ごろ、良くて大怪我、悪くしたら生きてなかったと思うわよ」

 さらりと恐ろしいことを言われました。

 でも、だとすると、あれは一体何だったのでしょうか。

 不思議がるわたしに向けて、ネリアさんは、いつでも投げられるように手に取っていた三本目の筒を差しだし、目の前でぷらぷらと振り回しました。

「竹の筒?」

 ぱっと見た感じ、何の変哲も無い竹の筒に見えました。

「水の属性を持つマリンバンブーを乾燥させて、そこに火と風の魔石の屑を詰めた物よ。〈雷声弾〉とか〈擬雷〉とか言われる呪具とも呼べないような使い捨ての魔法の道具で、ようは一種の爆竹ね。

 効果は見ての通り、雷が落ちたような光と音を発すること。見た目は派手だけれど、殺傷能力は一切なし。まあ、虚仮威こけおどしの獣除けね」

「嘘です。心臓が止まるかと思いましたよ」

 それと鼓膜が破れるかとも。

「あらそう。なら訂正、無防備な状態の至近距離で爆発したら、人一人を気絶させるくらいの衝撃は有るかもってところ?」

 なんで、首をかしげているのでしょうか。

「いや、初めて使ったから。まあ、無事で良かったじゃない」

 それはそうですけど、なんだかいいかげんです。

 原因を招いたのはわたし自身ですから、あんまり強くも出られませんが、なんとなく釈然としないものがあります。

 なにより……。

「蟹を逃したのだけが心残りです」

 磯蟹の塩茹で食べたかったなあ。

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