2012年8月2日
0時を過ぎた深夜、寝苦しさのあまり僕は目を覚ました。
秋も中ごろに差し掛かっている。普段なら、やや寒さを感じるほどだ。なのに、なぜだろうか。今日は妙に蒸し暑い。
僕はベッドから起き上がると、冷蔵庫に向かった。汗を掻いたせいで、寝巻きが体にまとわりついて気持ち悪い。
冷蔵庫を開けると、思わずため息が出た。何か冷たいものをと期待していたのだが、中は空っぽだった。
それもそうだ。アパートに一人暮らしのサラリーマンだと、冷蔵庫を活用する機会はあまりない。仕事帰りにその日必要なものだけを買って帰るだけだ。
ビールくらいはまとめ買いしておくものだと思いながら、僕はコンビニへ行くことにした。
寝巻きを脱ぎ捨て、先日もう必要ないとタンスにしまった半袖のシャツを引っ張り出す。携帯電話を手に取り、シャツのポケットにしまうと、外に出た。
あれ? 道中、僕はあることに気付いた。携帯電話の日付が狂っている。
今日は2010年10月23日のはずだが、携帯電話の日付は2012年8月2日になっていた。おおよそ2年弱、時間が進んでいる。
……故障、か? まあいい、後日、買った店に問い合わせてみよう。それにしても暑い。本当に8月2日だとしてもおかしくない暑さだ。
10月後半にしては不自然な暑さだが、異常気象という言葉にはもう慣れている。こういう日もあるのだろう。
コンビニに着くと、ドアを開いた。その拍子に冷気が僕の体を通り抜けて行く。さすがにこれだけ暑いと、この季節でも冷房を入れるようだ。僕は少しだけ立ち読みして涼んだ後、缶ビールを1本手にして、レジに置いた。
会計の途中、店員の制服が半袖であることに気付いて、僕は眉をひそめた。いつもなら制服は長袖だったはず。今日が特別暑いからといって、冷房もつけているのに、わざわざ半袖に着替えたのだろうか?
僕は普段なら受け取らないレシートを受け取ると、コンビニを出た。そして、レシートに目を通す。レシートの日付は2012年8月2日だった。携帯電話と同じ日付。
……一体、どうなっている?
―――――――――――
コンビニを出てから僕は家に戻らずに、公園のベンチに座って考えた。今日が2012年8月2日だということについて。
落ち着かせる意味も込めて、缶ビールに口をつけた。ところが、口にビールが流れ込んでくることはない。すでに飲み干していた。舌打ちをして、ベンチ横のゴミ箱に空き缶を投げ入れる。カランカランと空き缶は音を立てた。
「おや、こんな時間に人がいるなんて珍しいこともあるものだ」
少し先から声が聞こえてきた。僕はその方に顔を向けると、外灯に照らされてスーツ姿の初老の男が立っているのが見えた。男はこちらに近寄ってくると、僕の隣に座った。
「私は今日ここで待ち合わせをしているのだが、まさかこんな夜更けに人がいるとは思わなかったな。が、構いやしないか、人がいても。今さら見られて困るものではないしな」
男はそう口を開くと、夜空を見上げた。僕もつられて見上げると、視界に満月が入った。それはどこか妙な満月だった。
模様が違う、のか。兎が餅をついているとはよく聞くが、今見ている満月にそのような模様は見当たらない。
「……月に宇宙人が住み着いてから、情緒ある月は過去のものになってしまったな」
隣に座っていた男が、唐突に想定外のことを言った。
宇宙人? この男は何を言い出すのか?
いや、待て。この男の顔、どこかで見た気が。そうだ、テレビの討論番組などでよく見かける有名な科学者の人だ。若干、テレビよりも老けて見えるが間違いない。以前、番組で宇宙人が存在しない理由を理路整然と説明していたのを、僕は思い出した。
それにしても、宇宙人が月に住み着いたとは……そのせいで、月の模様は変わったとでも? 詳しく聞いてみよう。
「あの、月に宇宙人って?」
「何だ、知らないのか。連日連夜、ニュースでやっているだろう」
そう言われても、目を覚ましたら時間が二年ほど進んでいた自分が知るわけはない。
「まあ、いい。簡単に説明すると、少し前に月で宇宙人の存在が確認された。宇宙人はもとから月に住んでいたのではなく、どこからかやってきたものだと考えられて、今は人類が総力をあげて、コンタクトを図っている」
知らないうちに時間が二年過ぎたと思えば、今度は宇宙人。僕は一つの答えを出した。これは夢だ、と。
夢なら慌てる必要はない。目を覚ますまで、隣の科学者と会話でもして時間を潰していればよい。
「これからどうなりそうなんですか?」
「人類としては友好を掲げて接していくつもりだろう」
「そうですか。それはよかった」
「……よいかどうかは、相手次第だな」
そう言った科学者の口調は重かった。
「相手次第って?」
「今、月の土地を売っていた会社が、月の土地を買った者たちから訴えられている。理由は自分たちが買った土地を宇宙人が無断拝借している、ということらしい」
月は誰の土地でもないので、勝手に月の土地を売る会社が存在していたことは知っていた。それにしても、月の土地の所有を巡って争うなんて夢のない話だ。
「どんなものかもしれない宇宙人相手に友好を謳っている影で、小さな争いが起きている。しかも人間同士の間で、だ」
科学者は言葉に力を込めるが、この話から、何を伝えたいのか僕には理解できない。
「ええと、あまり意味が……」
「人間を人間として扱ってくれるのは人間だけだということだ。それなのに、人間同士でさえも争い、いがみ合うのが現状だ。友好とはね、とても難しいことなんだ」
科学者は再び夜空を見上げた。今度は満月ではない。遠い空で揺ら揺らと動いている光球を見つめている。
「それにマスコミたちは連日、私の家に押しかけては、これまで私が宇宙人は存在しないと主張してきたことに対して、現在の心境はどうなのかと尋ねてくる」
科学者は立ち上がった。光球がこちらに近づいてきている。
「私だって知っていたさ。宇宙人が存在することくらい」
光球が目の前までやってきた。光球の正体は光り輝く宇宙船だった。
「さてと、それじゃ私はいくよ」
鈍い音と共に宇宙船のドアが開かれて、そこから若い女性が姿を現した。
「え、あ、ちょっと?」
この宇宙船は何なのか、僕は科学者に追いすがろうとして立ち上がると、科学者は振り返った。
「私もね、宇宙人なんだよ。人間の振りをして、宇宙人は存在しないと言ってきたがね。人間がそう思ってくれていた方が、私たちはこの星で安心して住むことができたんだ」
科学者は自分が宇宙人であると告げた。僕は呆気に取られて言葉を返せない。
「今、思えば妙な話だな。宇宙人である私が宇宙人は存在しないと主張し、宇宙人を見たことのない人間たちが宇宙人は存在するとテレビで討論していたことは」
科学者は笑みを浮かべた。僕はまだ聞きたいことがあったが、上手く口が回らない。あたふたしていると、それを見透かしたかのように、科学者が先に口を開いた。
「私はね、元々住んでいた星がなくなってしまったから、地球まで逃げてきたんだ。だがね、今からこの地球からも逃げる。これがどういう意味か分かるかい?」
「意味って、ええと……それは月に宇宙人が住み始めて、皆が宇宙人の存在を知ってしまい、住み辛くなってきた……とか」
僕の答えに、科学者は寂しげに首を横に振った。
「私の星がなくなってしまったのはね、とある宇宙人に侵略されたからなんだ」
「え?」
男は満月を指差した。そして、宇宙船の中に消えた。
――――――――――
朝、目覚めると、僕は携帯電話を見た。
2010年10月23日。
……夢か。そうだよな、当然だな。
僕はいつもと同じようにスーツに着替えて、会社に出勤し、働いて、その帰りにコンビニで夕飯と缶ビールを買って帰った。変化のない同じ毎日。
アパートに着くと、とりあえずテレビをつける。そこでは討論番組をやっていた。討論内容は宇宙人が存在するのかしないのか、というもの。
夢と同じ科学者が若い女性の助手を引き連れて、宇宙人は存在しないと主張している。
思わず僕は窓を開いて、夜空を見上げた。
今日は満月。
……今はまだ、兎が餅をついている。
これ作ったのがかなり以前なので、現在月の土地の売買がどうなっているのかは知らないです。
あと、もともとのタイトルは2012年7月30日だったのですが、「あれ、その日満月じゃなかったのか」と気づいて、2012年8月2日に変更しました。