おとしごろ
はぁー、何なんでしょうか、お年頃とは?
それの意味って知っていますか?
……
ああ、そうですね、調べたら良いですね。ここは自分の部屋ですから、辞書くらいありますし。それでは、調べましょう。
……
はいはい、分かりました。ええと、幾つか意味があるようですけど、その中の一つに女性が結婚する適齢期とありました。
うん、まあ、私は結婚するにはまだ早いかもしれません。けれどもです、そういったことに興味を持ってもおかしくない年齢ではあります。なのに、相手がいません。まったくもって口惜しい。
それにですね、良い相手が見つからないのは、私が悪いわけじゃないんですよ。私自身の容姿は及第点。炊事洗濯はお手の物ですし、性格も申し分ない……たぶん。ですから相手がいないのには、別に明確な問題があるんです。それは我が家にある取り決めの一つ。
『魚釣りの上手な人としか結婚はもちろん、付き合ってもならない』
これです、これ。このせいで私は不幸な人生を歩まないといけなくなったんです。
私の家は窓を開ければ潮風を感じられるほど、海に近い場所にあります。で、家から見える所に防波堤とそれに沿ってテトラポッドが並んでいるんですけど……
そこで、魚を釣り上げた人でないと、私はお付き合いをしては駄目だと、家族みんなが言うんです。ひどい話でしょう。
ここの防波堤は魚が釣れないと有名で、近場の人はまずここに魚を釣りに来ることはありません。無駄骨だと知っているので。
時々、それを知らずに遠方からやって来た人が釣りをするのを見かけますが、全員ため息をついて竿をしまいます。それくらい、ここは釣れないんです。
でも、魚はいるんです。現に今も私のお祖父ちゃんは、そこに釣りに行っています。窓から外を見れば、テトラポッドの先っちょから柄杓を使ってコマセを撒いているのが確認できます。コマセというのは撒き餌のことです。これで魚を寄せるんですけど、他の人だと、コマセをしても釣れません。お祖父ちゃんは釣りますけど。
だから、なんです。うちの家族はみんな釣りが上手いので、私が付き合う相手も釣りが上手くなくてはいけないそうです。
そんなの無視して付き合えばと思うかもしれませんが、それは無理です。釣りをしないような人と付き合おうとすれば、家族総出で妨害行為に及ぶでしょう。経験談です。あの時のバッシングといったら、もうトラウマです。
ちなみに私も釣りは上手です。バシバシ釣ります。だからそういう意味では、ここの防波堤で魚を釣り上げてくれる強者がいれば、その人が良いんですけどね、私も。
……
ん、だれか防波堤に釣りに来たようです。遠目なので、細かい所は見えないですが、男の人で年も若そうです。
さて、どうでしょうか。この人は私の期待に応えてくれるのでしょうか?
まあ、どうせ無駄なんでしょうけど。もう、期待はしません。ぬか喜びは不快です。今まで散々味わいました。
へえ、あの人、テトラポッドの隙間に釣り糸を垂らしたようですけど、これは穴釣りですか。
……うわー、地味ですねー。まあ、一応、観察はしておきましょうか。
ん? て、あれ、竿、引いてませんか? いや、引いてますよ、間違いなく。
男の人がリールを巻くと、針に一匹の魚が掛かっているじゃないですか。私はすぐに家を飛び出しました。
この恋、逃がしてなるものか、です。
「釣れますかー?」
防波堤に着くと、そう私は切り出しました。まずは、無難に攻めます。がっついてはいけません。
「うん、そうだね。釣れるよ。ここは良いね、人が少なくて。穴場だよ」
と、男の人は返してきました。
うーん、地味な釣りをしているだけあって、外見も多少地味な印象を受けますが、総合的に見ると悪くないです。年齢は私より五、六歳上ってところですか。大丈夫、問題なしです
そういえば、この人は私がこちらに向かってくる間にも、一匹釣り上げていました。入れ食いじゃないですか。
――断言します。この人は上手です。
その証拠に、少し先でコマセを撒きながら釣りをしている私のお祖父ちゃんですけど、こちらを気にした素振りを見せません。いつもであれば、私が釣りの下手な男の人に近づくと、ふざけるなよって感じで睨んだあげく、柄杓を振りかぶってコマセを投げつけてくるんですけど。
ふふふ。良いですね。お祖父ちゃんからもOKサインがでたということですね、これは。
「ここが穴場? それは違いますよ。ここは釣れないから、この近くの人はみんな来ないんです」
「あ、そうなんだ。簡単に釣れるから穴場を見つけたと思ったんだけど。今日、運が良いだけなのか」
「いいえ、あなたの腕が良いんです」
その言葉を聞くと、男の人は苦笑して、
「いやいや、僕は餌をつけて垂らしているだけだよ」
と、謙遜しました。
いいえ、そこが大事なんですよ。私はそう思います。口にはしませんけどね。
その後しばらく、私たちは他愛もない会話を続けました。その間にも男の人は魚を釣り上げて、持ってきたクーラーボックスが一杯になるほどです。さてと、それでは時間を見計らって仕掛けないといけません。狙いは日が暮れた頃に怖い話作戦です。
――夕刻、男の人が竿をしまい、帰る身支度をしている途中、私は一つの話題を振りました。
「ここが、魚が釣れないって言われているのは理由があるんですよ」
「へえ、何?」
男の人は片付けをしながら、私の話に耳を貸してくれます。
「それは以前、ここで釣り人がテトラポッドの隙間にはまって、行方不明になったんです。探しにくいんですよね。テトラポッドの中って。水流が複雑で。で、死体も上がらずにそのまま」
これを聞いて片付けをしていた動きが止まる、かと思ったんですが、男の人は淡々と片付けを続けています。私の話に相槌は打ってくれますが。私は話を続けました。
「それからです。魚が釣れなくなったのは。同時に釣り人の幽霊が出るって噂が出だしたのも。この辺りでは、死んだ釣り人の呪いで魚が消えたなんて言われているんですよ」
幽霊が出ると言うと、男の人は微笑を浮かべて、
「なるほど、それは怖い。だったら日が暮れる前に帰らないとね」
男の人は、クーラーボックスを担ぎました。
「あ、信じていませんね。本当ですよ。当時の新聞にも載ったんですから」
「へえ、そうなんだ。だったら信じるよ。ごめんね」
と、言いながらも、男の人は至って平然としています。
そうですか、そうですか、信じてくれますか。だったら、信じた上で、気にしてないんですね。ここで死人が出たことも、幽霊も。
魚の詰まったクーラーボックスも普通に持ち帰ろうとしていますし。嫌ではないんでしょうか。人が死んだところの魚なんて。
……いやいや、良いじゃないですか。実に良いです。私に相応しい相手です。これならば、家族全員に紹介しても大丈夫でしょう。歓迎されること間違いなしです。
「また、ここに釣りに来ますか?」
と、私は聞いてみました。
「うん、そうだね。来るよ。この釣り場は僕に合っているようだから」
でしょうね。確かにここはあなたに合っています。
――後日、男の人はまた釣りにやって来ました。前と同じく入れ食いで、次々に釣り上げています。さぞかし新鮮な良い餌を使っているのでしょう。
ここはどこよりも餌選びが難しい釣り場なんですよ。
本来なら、この場所は誰でも簡単に釣ることができたんです。死人が出るまでは。
けれども、死人が出て以降は、全く釣れなくなりました。釣り人の呪いで魚が消えた? いやいやそんなわけではありません。
ただね、魚が味を占めただけなんです。