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青春短編

聖夜の共犯者、スノードームの奇跡

作者: 玻璃ヰト
掲載日:2026/10/24

十二月二十五日、午後三時。

 世間が一年で最も浮かれ騒ぐこの時間、私の部屋の空気は、澱(よど)んで灰色に沈んでいた。


 窓の外では、粉雪が舞い始めている。ホワイトクリスマス。恋人たちにとっては最高の演出だろうけれど、部屋に一人籠城を決め込んでいる私にとっては、世界の断絶を強調する白い壁でしかなかった。


 私はベッドの上で膝を抱え、スマートフォンに表示されたSNSのタイムラインを、死んだ魚のような目でスクロールしていた。流れてくるのは、煌びやかなツリー、美味しそうなケーキ、そして幸せそうに寄り添うカップルたちの写真ばかり。クラスメイトたちの投稿も、今日は一段と華やかだ。彼氏とディズニーランドに行っている子、グループでパーティーをしている子。みんな、それぞれの「正しいクリスマス」を謳歌している。


「……はぁ」


 重たいため息が、狭い部屋の空気をさらに濁らせる。

 高校二年生の冬。青春の真っ只中。それなのに、どうして私はこんなところで、膝を抱えて一人でいるのだろう。


 視線を机の上に移す。そこには、小さなスノードームが置かれている。中の液体は濁り、プラスチックのサンタクロースは、どこか寂しげな顔で立ち尽くしている。まるで、私の心の投影みたいだ。


 原因は、分かっている。  片思い。それも、脈ナシ(たぶん)の、重たいやつ。

 相手は、隣のクラスの神崎拓海くん。サッカー部のエースで、背が高くて、笑うと目尻がくしゃっとなる、漫画から出てきたような爽やか男子。  私(地味で目立たない、図書委員の美月)とは、住む世界が違う。廊下ですれ違えば挨拶くらいはするけれど、それ以上の会話なんてしたことがない。


 クリスマスの少し前、勇気を出して彼をデートに誘おうか、なんて無謀なことを考えた時期もあった。でも、結局何もできなかった。彼が他の可愛い女子と楽しそうに話しているのを見るたびに、私の小さな勇気は萎んでいき、最終的には「どうせ無理」という分厚い殻の中に逃げ込んだのだ。


 だから今日、私は一人でいることを選んだ。無理して誰かのパーティーに混ざって、愛想笑いを浮かべながら心の虚しさを感じるよりは、この灰色の部屋で孤独に浸っている方がマシだと思ったから。


 ――ブブッ。


 枕元に放り投げていたスマホが短く震えた。

 通知画面を見ると、「彩花」の文字。同じクラスで、中学からの親友だ。彼女は私とは正反対の、明るくて行動力のあるタイプ。今日も彼氏とデートのはずじゃなかったっけ?


『美月ー! 生きてる?』


 相変わらずのハイテンションなメッセージに、少しだけ口角が上がる。


『生きてるよ。瀕死だけど』


 そう返信すると、すぐに既読がつき、次のメッセージが飛んできた。


『やっぱりね(笑)あのさ、今から出てこれない?』


 え? と思う間もなく、続けざまにメッセージが届く。


『彼氏が急なバイト入っちゃってさー、ドタキャンされたの! 最悪でしょ? 一人じゃ寂しいから、付き合ってよ! 駅前のカフェでケーキ食べよ!』


 ……なるほど。彩花もクリぼっちの危機ってわけか。

 普段なら面倒くさがる私だけど、同じ境遇の友人の誘いを断るほど薄情ではない。それに、このまま一人で腐っていくよりは、彩花の愚痴を聞きながらケーキを食べる方が、精神衛生上良いかもしれない。


『分かった。すぐ準備する』


 私は重い腰を上げ、クローゼットを開けた。


 一時間後、私は駅前の巨大なクリスマスツリーの前に立っていた。

 約束の午後五時。空はすっかり暗くなり、街はイルミネーションの光で溢れ返っている。行き交う人々は皆、幸せそうな笑顔を浮かべていて、一人で立っている自分がひどく場違いに感じられた。


 私は、少し気合を入れて選んだ白いダッフルコートの袖を握りしめた。中には、普段はあまり着ないワンピースを着ている。どうせ彩花と会うだけなのに、心のどこかで「クリスマスだから」という意識が働いてしまった自分が少し恥ずかしい。


「美月ー! ごめん、待った?」


 人混みをかき分けて、彩花が走ってきた。赤いチェックのマフラーが、彼女の元気さを象徴しているようだ。


「ううん、今来たとこ。……彼氏、大変だね」

 私が言うと、彩花は「そーなのよ! まじありえない!」と大袈裟に嘆いてみせた。でも、その表情はいつものように明るく、本当に落ち込んでいるようには見えなかった。


「ま、気を取り直して行こ! 予約してるカフェがあるんだ!」

 彩花は私の腕を強引に引っ張り、歩き出した。


 連れて行かれたのは、駅の喧騒から少し離れた裏通りにある、お洒落な隠れ家風のカフェだった。入り口には大きなリースが飾られ、温かい光が漏れている。

 カランコロン、とドアベルが鳴り、店内に足を踏み入れる。甘いケーキの香りと、コーヒーの芳ばしい香りが、冷えた体に心地よかった。


「いらっしゃいませ。二名様ですか?」 「あ、はい。予約してた佐藤です」 「佐藤様ですね。奥のテーブル席へどうぞ」


 店員さんに案内され、店の奥へと進む。ここは少し照明が落とされていて、落ち着いた雰囲気だった。

 そして、案内されたテーブルを見た瞬間、私は息を呑んだ。


 そこは四人掛けの席で、既に先客が一人、座っていたのだ。

 窓の外のイルミネーションを、少し退屈そうに眺めている横顔。

 短い髪、通った鼻筋、そして、見慣れた部活のウィンドブレーカーではなく、落ち着いたネイビーのPコートを着た姿。


 神崎拓海くん。


 私の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。思考が停止する。え、なんで? 彩花と二人じゃないの?


「……あ、お疲れ」

 私たちの気配に気づき、拓海くんが振り返った。私と目が合うと、少し驚いたように目を見開き、それから、どこか照れくさそうに軽く手を上げた。


「……え、神崎くん?」

 私が絞り出すような声で言うと、隣で彩花がニヤリと笑った。


「ごめんねー美月。実は、拓海くんも呼んでたの」


 彩花の言葉に、私はパニックになった。どういうこと? 彩花の彼氏は?


「ほら、拓海くんも今日暇だって言うからさ。三人の方が楽しいでしょ?」


 彩花は悪びれる様子もなく言い放ち、私を拓海くんの隣の席に座らせ、自分は向かい側に座った。

 私の隣に、憧れの彼がいる。その距離、わずか数十センチ。彼の腕が、テーブルの下で私の腕に触れそうなくらい近い。彼の体温や、微かに香る柔軟剤の匂いが、私の思考回路を完全にショートさせた。


 そこからの時間は、まるで夢の中にいるようだった。

 彩花はいつもの調子でマシンガントークを繰り広げ、拓海くんはそれを「へえ」「すげえな」と、穏やかな笑顔で聞いている。私はといえば、緊張で喉がカラカラになり、運ばれてきたクリスマス限定のケーキの味もよく分からなかった。


 でも、少しずつ冷静になってくると、彩花の不自然な行動に気づき始めた。

 彼女は、やたらと私と拓海くんに話を振ってくる。「そういえば美月、図書室で面白い本見つけたんでしょ? 拓海くんも本好きだよね?」とか、「拓海くん、次の試合いつだっけ? 美月も応援行きたいって言ってたよ」とか。  私が普段、彩花にしか話していないようなことばかりだ。私は赤面し、否定も肯定もできずに曖昧に頷くしかなかった。拓海くんは、そんな私を見て、優しく微笑んでくれる。


 そして、一時間ほど経った頃だろうか。彩花が突然、スマホを見た。


「あっ! やば、お母さんから電話だ。ちょっと出てくるね!」


 彩花はそう言って、慌ただしく席を立った。そのまま店の外へと出て行ってしまう。


 残されたのは、私と拓海くん、二人きり。

 テーブルの上のキャンドルの光が、揺らめいている。周囲の客たちの話し声が遠のき、世界の中心に私たち二人だけが取り残されたような、静寂が訪れた。


「……彩花ちゃん、元気だね」

 沈黙を破ったのは、拓海くんだった。彼は、少し困ったように、でも温かい声で言った。


「う、うん。いつもあんな感じで……ごめんね、急に呼び出されたりして」  私が俯きがちに謝ると、彼は首を横に振った。


「ううん、全然。俺も、特に予定なかったし。……それに」

 彼は言葉を切り、視線を少し逸らした。


「……佐藤さんが来るって聞いたから、来たんだ」


 え?  今、なんて?

 私は弾かれたように顔を上げた。彼の耳が、少し赤くなっているのが見えた。


 彩花は、十分経っても戻ってこなかった。

 スマホを見ると、彼女からメッセージが届いていた。


『ごめん! なんか急用ができちゃって、先に帰るね! 二人でゆっくりしてって! お代は払っといたから!』


 確信犯だ。

 最初から、彼氏のドタキャンなんて嘘だったんだ。私を連れ出すための口実で、この状況を作るための、彩花の完璧なシナリオ。


 怒りよりも先に、感謝と、そして巨大な緊張が押し寄せてきた。親友が作ってくれた、一生に一度かもしれないチャンス。これを逃したら、私は一生後悔する。


「……彩花、帰っちゃったみたい」

 私がスマホの画面を見せると、拓海くんは「そっか」と短く言った。驚いた様子はなかった。もしかしたら、彼も薄々気づいていたのかもしれない。


「……出よっか」  彼が静かに言った。


 私たちは店を出て、再び寒空の下を歩き出した。

 先ほどまでの「三人の中の一人」という安心感はなくなり、「二人きりの男女」という意識が、冷たい風よりも強く肌を刺す。


「寒くない?」

 隣を歩く彼が、気遣わしげに聞いてくれる。


「う、うん。大丈夫」

 本当は緊張で指先まで冷え切っていたけれど、強がって見せた。


 私たちは、当てもなく街を歩いた。イルミネーションが輝く大通りを避け、少し静かな公園の方へ。

 会話は、ぽつりぽつりと途切れがちだった。でも、その沈黙は、カフェでのそれとは違って、不思議と心地よかった。雪を踏みしめる二人の足音だけが、静かに響いている。


 公園の中央にある、大きな噴水の前で、彼が足を止めた。噴水は凍りつき、ライトアップされて幻想的な氷のオブジェになっていた。


 彼は、噴水の縁に腰掛けた。そして、隣をポンポンと叩いて、私を促した。

 私は、心臓が口から飛び出しそうになりながら、彼の隣に座った。

 肩と肩が、触れるか触れないかの距離。彼の体温が、コート越しに伝わってくる。


 彼は、しばらく黙って氷の噴水を見つめていた。白い息が、夜空に溶けていく。

 私は、彼の横顔を盗み見た。まつ毛の長さ、鼻筋のライン、少し尖った喉仏。ずっと遠くから見ていたパーツが、今は手を伸ばせば届く距離にある。


「……俺さ」

 彼が、静かに口を開いた。


「佐藤さんのこと、ずっと見てたんだ」


 時が、止まった。

 雪が降る音さえも聞こえなくなった。


「図書室で、いつも一生懸命仕事してる姿とか。教室で、彩花ちゃんと楽しそうに笑ってる顔とか。……あと、たまに廊下で目が合うと、すぐ逸らしちゃうとことか」


 彼は、私の顔を見ずに、少し照れくさそうに続けた。

 私の心臓は、もう限界だった。彼が言っていることが、信じられなかった。私の片思いじゃなかったの?


「俺、サッカーしか能がないし、気の利いたこととか言えないけど……」  彼は、意を決したように、ゆっくりと私の方を向いた。その瞳は、真っ直ぐに私を捉えていた。


「佐藤さんのことが、好きです。……良かったら、俺と付き合ってくれませんか」


 世界から、全ての音が消えた。

 残ったのは、私の耳の奥で鳴り響く、激しい鼓動の音だけ。


 涙が、溢れてきた。

 悲しいわけじゃない。嬉しくて、信じられなくて、胸がいっぱいで。

 私は、何度も何度も頷いた。声にならなかった。


「……うん。……私も、ずっと、神崎くんのことが、好きでした」


 やっと絞り出した声は、涙で震えていた。

 彼は、少し驚いたように目を見開いた後、安堵したように、くしゃっと笑った。

 私が見たかった、あの笑顔。


 彼は、そっと手を伸ばし、私の頬を伝う涙を拭ってくれた。その指先は冷たかったけれど、触れられた場所から、熱い何かが全身に広がっていった。


「……メリークリスマス、美月ちゃん」

 彼が、初めて私の名前を呼んだ。


 空を見上げると、雪が強くなっていた。

 でも、もう寒くなかった。

 私の隣には、彼がいる。そして、ポケットの中のスマホには、この奇跡を演出してくれた、最高の親友からのメッセージが入っている。


 私の灰色のスノードームは、いつの間にか、温かくてキラキラした光で満たされていた。


 後日談。

 あの日、彩花は店の外に出てすぐ、拓海くんに「あとは任せた!」とメッセージを送っていたらしい。そして、寒空の下、近くのコンビニで時間を潰しながら、私たちの成功を祈っていたという。


「もー、あんたたち遅すぎ! 凍え死ぬかと思ったわよ!」

 翌日、学校で会った彩花は、そう言って文句を垂れたけれど、その顔は誰よりも幸せそうだった。


「ありがとう、彩花。……本当に、ありがとう」

 私が心からお礼を言うと、彼女は照れ隠しのように私の背中をバンバンと叩いた。


「べ、別にあんたのためじゃないから! 私が、二人のニヤニヤした顔を見たかっただけだから!」


 嘘つき。

 最高の、嘘つきだ。


 私は知った。青春は、一人で抱え込むものじゃない。時には誰かの手を借りて、強引にでも扉をこじ開けた先に、想像もしなかった景色が広がっていることを。


 私の今年のクリスマスプレゼントは、彼氏だけじゃない。

 この、お節介で、強引で、世界一優しい「共犯者」の存在そのものが、何よりの贈り物だったのだ。

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