私の夫の「善処する」は本当に善処してくれます
私が夫ウォルツと結婚し、ランバート侯爵家に嫁いでから、もう半年ほどになる。
この私フリージアの生家は伯爵家ではあるけど、経営は思わしくなく、領内にいくつかある鉱山の利権を差し出すことで、この婚姻は成り立った。おかげで家を立て直す目処が立った。
つまり、私たちの結婚は純然たる政略結婚。愛など介入する余地もなく、この半年、食事や会話はするけど、夫婦らしいイベントは皆無に近かった。
実家とランバート家を結びつけることができた時点で、私はこれ以上を望むべきではない。それは分かっている。だけど一度ぐらい……。
夜、私と夫は向かい合って食事をしていた。
夫ウォルツは上品な光沢のある金髪を六、四ほどで分け、目は切れ長、気難しさが服を着ているような顔つきだった。まだ若いのに、侯爵家後継ぎとしての貫禄は十分。すでに父であるご当主からは領主としての権限と本邸を任されている。
夫はステーキのお肉を、美しい所作で、まるでメトロノームのような正確なリズムで食していく。食事を楽しむため食べているというより、食事の時間だから食べている、といった風情だ。
そんな夫を、私はちらりと見た。
一度ぐらい、この人と夫婦らしいこと、いいえ恋人らしいことをしてみたい。
思い切って頼んでみよう。
私は塔の頂上から飛び降りるような心持ちで、夫に問いかけてみた。
「ねえ……あなた」
「ん?」
夫のナイフとフォークが止まる。
「お願いしたいことがあるんだけど」
「なんだろうか」
夫の表情は変わらない。
私は慎重に言葉を選ぶ。夫の機嫌を損ねないように……。
「私たち、結婚して半年ほどになるでしょ? だけど一緒に出かけたりとか、そういうことってしたことないじゃない? だから、一度ぐらい一緒にデートをしたいなって……」
私は慌てて付け加える。
「あ、もちろん、あなたが忙しいのは重々承知だし、無理はしなくていいの。あくまで、願望というか、希望だから……」
夫はしばらく無言でいたが、こう言った。
「善処するよ」
そのまま食事が再開される。
善処する、か。これが「とてもそんな暇はない」という意味であることぐらい私にも察しがつく。
残念だけど、仕方ない。
それに夫にもはっきり断らないだけの優しさはあるのだと分かって、少しホッとした。
会話が途切れてしまったので、私はふと、日頃から思っていたことを口にする。
「そういえば食堂のこのテーブル、なんだか他の家具とは違う温かみがあって、私好きだわ」
私の気のせいでなければ、夫の表情がかすかに変わった。
「ただの安テーブルだ」
夫はそう言って席を立ち、書斎に向かった。
***
翌朝のことだった。
夫は突然こう言ってきた。
「週末、デートしよう」
あまりに唐突な出来事に、私はきょとんとする。
「デート……?」
「ああ。週末の一日、朝から君とデートをしたい」
あまりにまっすぐな眼差し。
「でも、お仕事の方は……」
「昨日だいたい片付けた。もちろん、急を要することが起きれば、そちらを優先させるがその可能性は極めて低いと見ていいだろう」
淡々と説明してくれた。この人が私のために、仕事を片付けてくれたなんて。
「だけど、デートの件はあくまで“善処する”だったはずじゃ……」
「……? 善処するというのは、“上手く処置すること”という意味だったはずだが……。それとも、もしかして君が都合が悪いか?」
私は首を横に振る。
「いえっ、嬉しいわ! ぜひデートをしましょう!」
デートしたいと頼んだ翌日に、夫とのデートが決まってしまった。
待ちに待った週末、いつもより早く目を覚ます。
私はベージュ色の波打つセミロングの髪をウキウキ気分で整え、水色のドレスを着込む。
そんな私を青いスーツの夫は優しくエスコートしてくれた。
午前中には演劇を見て、お昼にはカフェで昼食を取り、午後は美術館を巡る。
夜には顔が利くというレストランに連れていってもらった。
お料理はとても美味しかった。
私は夫に率直な感想を述べる。
「今日は楽しかったわ。ありがとう、あなた」
「楽しんでもらえたなら、なによりだ」
夫はあくまでも真顔である。
「それにしても、急遽決まったデートだったのに、完璧なコースだったわね」
「もし君とどこかに行く機会があったらこうしようと、シミュレートだけはしていたからね。それが役に立った格好だ」
夫の表情は変わらない。
だけど、私は夫のことを今までずっと誤解していたのかもしれない、と気づくには十分すぎる言葉だった。
***
貴族の婦人が集まるサロンにて、こんなことがあった。
今貴族女性の間では“ラフィード”という鞄職人が作るハンドバッグが流行している。
サロンに集まった面々の多くが、ラフィード製のバッグを持っており、その話題で大いに盛り上がった。
ただし、私はラフィードのバッグを持っておらず、「すごいわね」「いいデザインだわ」と言うことしかできなかった。
そのことで馬鹿にされるなどのことはないのだが、やはり一人の女性としては彼女たちに追いつきたいと思ってしまったのも事実だ。
そこで、夫ウォルツにこんなことを頼んでみた。
「今、婦人の間で、ラフィードっていう鞄職人のバッグが流行っているんだけど……」
「うん、それで?」
「私も一つ欲しいなぁ、と思ってしまって……。ただ、ものすごく人気だし、私だけじゃ手に入れるのは難しいの。だから、もしあなたにも手に入れる機会があったら、手に入れてもらえないかな……って」
社交界では流行を追う、お洒落をする、も仕事の一つであることは事実だ。
私のおねだりは決して貴族女性として逸脱した行為ではない。
とはいえ、口に出すのはデートの誘いの時以上に勇気が要った。
すると、夫は――
「善処するよ」
こう言ってくれた。
夫の「善処するよ」は、少なくともリップサービスではない。
もし、どこかの店でラフィード製のバッグを見つけたら、きっと買ってきてくれる。
そんな期待を胸に抱くことができた。
***
次の日の夕方。
夫がなにやら素敵なバッグを抱えて帰宅した。女性物とおぼしきデザインだけど、決して華美ではなく洗練されており、男性が持っていても十分絵になる。
「あら、いいバッグじゃない。新しく買ったの?」
「何を言ってるんだ。君のために買ってきたんだ。ラフィードのバッグが欲しかったんだろう」
「え!?」
よくよく見てみると、確かにラフィードのバッグだ。刻印もされている。
しかも、出回ってないタイプのものだ。
「ラフィードとは知己の仲でね。今日、彼の工房に行ってきて、バッグを売ってくれないかと言ったらこれを売ってもらえたよ。ラフィードは特に出来のよかったものは、しばらく市場に出さないでいるそうだが、それを譲ってもらえることになった」
「えええ……?」
「彼には以前援助をしたことがあり、無料でいいとのことだったが、私としてもプライドがあるのでね。きちんと相場の価格で購入させてもらったよ。というわけで、プレゼントだ」
「あ、ありがとう……」
バッグが欲しいと頼んで「善処する」と言った翌日に手に入れてしまうなんて。
しかも、誰もが欲しがるであろうレア物。
ありがたかったけど、ちょっと善処しすぎかも、とも思ってしまった。
とはいえ、この日プレゼントされたバッグのおかげで私はサロンでも一目置かれる存在になり、このバッグをずっと使い続けていくことになるんだけどね。
***
子供の頃から私は本をよく読む。
小説、随筆、詩集、学術書……さまざまだ。
本から得た知識で、夫を助けることができたことも幾度となくある。
だけど近頃は、本の置き場に困ってしまっていた。
邸宅に備えられた本棚は私の読書量に比べると小さく、このままでは埋まってしまうのも時間の問題だ。
私は食事の時、それとなく夫に相談してみた。
「最近、本の置き場に困ってしまって……」
「君は本をよく読むからな。分かった、善処する」
出ました、善処する。
夫がこれで本当に善処してくれるというのはもう分かっている。
だけど、バッグの件のように、あまりに希少価値の高い本棚を買ってきてしまわれても戸惑ってしまう。
「でもね、安くていいの! 普通、普通の本棚が一番!」
急いで付け加える。つい声も大きくなった。
「ああ、分かっているさ」
この瞬間、夫がほんのかすかに笑ったような気がした。
***
次の日の朝、庭から聞き慣れない音が響く。
木材を切ったり削ったり……これは大工仕事の音だ。
なんで大工さんが……。夫がなにか依頼でもしたのかしら。
庭を覗くと、そこにいたのはシャツとスラックス姿で大工仕事に精を出している夫ウォルツだった。
わずかに残っていた眠気もすっかり吹き飛ぶような衝撃だった。
「何をしているの?」
「本棚を作ってるんだ。自分で作ってしまえば材料費だけで済むからね」
腕まくりをして、木材を切っている夫の姿からはいつもとは違う種類の頼もしさを見出すことができた。
「あなた、そんなことできたの?」
「まあね。子供の頃から大工仕事は趣味だった。実は食堂のテーブルも私が作ったんだ」
「えっ……!」
「だから、嬉しかったよ。君が温かいと言ってくれた時は」
夫がわずかに目を逸らし、表情もほころんだ。
『ただの安テーブルだ』と言った時の夫の心境を想像すると、私の心もほころんでしまう。
鞄職人ラフィードと知り合いなのも、この大工趣味が高じてのことかもしれない。
やがて、本棚は完成した。
市販のものに勝るとも劣らない――いいえ、間違いなく勝っている逸品だった。
おかげで本を読むのがますます楽しくなった。
時折、夫が仕事の都合で長期間邸宅を離れる時は、本棚を抱き締めるように触って夫を想った。
***
ある日の午後、私と夫は二人で紅茶を飲んでいた。
あまりに静かで、穏やかで、優雅な空気。だからこそ、私はここに一石を投じてみたくなった。
不意に、目の前に座る夫にこうささやく。
「あなた、愛してるって言ってくれない?」
夫は一瞬硬直したが、すぐにいつもの気難しい表情に戻る。
「私はそういうことは口にしない方がいいと考える主義でね。できれば行動などで伝えたい。口にしてしまうと、どうしても陳腐になってしまうからな」
「ええ、分かっています。あなたには本当によくしてもらっているから。でも、どうしても聞きたいの。ダメ?」
夫の目が泳いでいる。もう少し押してみよう。
「お願いします」
逃げられないと悟ったのか、夫は観念したようにつぶやいた。
「……善処するよ」
夫が善処してくれたのは、それから三十分後のことだった。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




