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「ところで、輝夜、お前なんか洋服持って帰れば?今まで着てるやつって全部ばあさんの服だろう。なかなかの昭和感が漂ってるぞ」
そう言われれば、サイズも合わないし、薄橙色のももひきはお年寄り仕様な気がする。
「そうだな。タンスに輝夜の洋服が山ほどしまってあるからそこから持っていこう」
「まとめて段ボールに詰めといたら、宅急便で送れるから、今着ない服も一緒にまとめといたらいいんじゃね」
そう言われて段ボール二箱分の洋服を詰めた。十代の女の子の洋服の趣味がいまひとつよくわからず、実門に選んでもらった。面倒くさかったので助かった。
化粧品もたくさんあった。昔と違って白粉や、お歯黒は必要ないようだ。ナチュラルメイク動画を参考に必要な物を適当に選んだ。
「なぁ、明日だけど、せっかくだし、有名な美術館へ寄って行かないか?」
「美術館?」
なんにしても、初体験だ。経験することは必要だし、特に異論はなかったので承知した。
私のクリスマスイブはそんな感じで過ぎていった。
ベッドに入ってから母親のことを考えた。実門に言われなければ気が付かなかったが、母は私を追いかけて、船で沖に出たのだろうか。もしそうであれば私は間違いなく母親から心配され、愛されていた。なんだかとても、いたたまれない気持ちになってしまった。
母親がこの家に戻って来たときのためのことを考えて、私は「おばあさんの家にいる」と手紙を書いて台所のテーブルの上に置いた。無事に戻ってきてほしい。そう願いを込めて、実門とともに実家を後にした。
美術館というものに初めて来た。現世には驚かされることばかりだ。
入り口にあるエスカレーターは、四十一メートルもあるらしく、これに乗らなければ光の差す先の世界には辿り着けない仕組みになっている。
私はまだ三回くらいしか動く階段に乗ったことはない。
タイミングが難しいのでなかなかはじめの一歩を踏み出せない。エスカレーターが苦手だと言うと、実門が私の手を握り、一緒に乗ってくれた。
館内は驚くほど広かった。とうてい一日では回りきれないだろう。ミケランジェロの名画に包まれた礼拝堂はまさに圧巻だった。千点を超える世界の名画を、原寸大で忠実に再現しているらしいこの美術館は、私の知らない外国の様子が描かれていた。
「必ず絵の説明読んで先に進むから、輝夜がここから出る頃には年が明けてる可能性があるぞ」
さすがに実門に注意され、できるだけスピードを上げて館内を巡った。
「すっごく面白かった」
「そか、良かった」
「古代から現代にいたる西洋絵画を、時代順とか、様式、流派に分けて系統的に展示してあって分かりやすかった。絵の中から西洋絵画史が辿れて面白かったし、外国はかなり早くから文明が発達していたんだと感じた」
「俺は芸術の事はよくわかんないけど、でっかいクリスマスツリーが見られてよかった」
なんだか話がかみ合ってない気もするけど、とにかく私は満足した。
帰りの電車で熱心にタブレットでヨーロッパの歴史を検索している私を見て。
「輝夜は、高校の卒業認定を受ける気はない?」
実門が聞いてきた。
「高校の卒業認定?」
実門は高認(高等学校卒業程度認定試験)の説明をした。
「輝夜は図書館で毎日本を読んでる。学習意欲が高いし、吸収するのが人より早いって莉子が言ってた。高認は学歴的には中卒だけど、職業の選択肢も増えるし、大学受験だってできる」
そんなこと考えてもなかった。学歴というのは本当に重要なのだろうか。知ろうと思えば、今の時代、検索すればなんだって出てくる。学校とは、紙の上で学び、時間の拘束があり、宿題もあるところ。面倒なことこの上ない。それでもこの世界で生きて行くには必要な事なんだろうか。
「学歴に対してそれほど拘っていないんだけれど、中卒だったら生きづらいの?」
私の質問に実門は考えて、悩んだ末にこう答えた。
「輝夜の興味のある分野を深く学べる。月に行きたければ、その夢に近づくことができる。六太だって、大学で工学部卒業してるだろう」
ここで、まさかの『宇宙兄弟』。
そうか……月に行ける可能性があるんだ。
「……わかった。考えてみる」
私はまたタブレットの画面に集中した。
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旅の疲れもあって姥の家に帰ったらぐっすり眠りたいと私は思っていた。
「お疲れ。いろいろあったけど、輝夜は今の輝夜でいいと思う。過去の事を思い出さなくても暮らしていける。新しい自分でスタートを切れ。俺は結構今の輝夜、悪くないと思う」
別れ際に実門が慰めているのか、励ましているのか、そんな言葉で締めくくろうとしていた。そもそも私は器だけを借りているようなもので、本来の体の持ち主の人格ではない。もちろん過去を思い出すこともこの先ないだろう。
ただ一つだけ問題がある。
「実門、今日は帰るのか?」
「え、ああ。そうだな、一応家には下宿に帰ったって言ってるから、徳島へは行ってない事になってる。急に帰ったら驚かれるかもしれないな」
私と二人で徳島へ行っていたと言えない事情がありそうだ。やはり、若い男と女が二人で旅に出るのは問題なんだろう。今も昔もそれは変わらないようだ。
「……怖い」
「え?」
輝夜の家まで実門は送ってくれたが、どうもこの家に一人でいるのは怖いと思った。今まで感じたことはなかったが、夜盗に襲われたのはつい先日の話だ。やはり、夜中に誰かに押し入ってこられたら怖いと思った。
「この家は鍵はかかるが、おんぼろだ。誰も近所には住んでいない」
「……あぁ」
「実門が泊ればいいと思う」
「あ……あぁ」
どうも乗り気ではなさそうだ。やはり疲れたのだろう。家に帰りたいのに迷惑をかけてはいけない。ここまで送ってくれたのだから有り難いと思わなければならないだろう。
「……大丈夫だ。悪者はもう警察に自首したから、命を狙われる事はないだろう」
「ちゃんと雨戸、閉めてる?鍵とか壊れてない?ってかこんな古い家だから、鍵もちゃんとしたの付いてないよな……」
「雨戸はなぜか閉まらないが、今度石蔵にでも見てもらう。大丈夫だ」
雨戸は壊れている。鍵はあるにはあるが、蹴ったら壊れそうだ。なんだか余計に怖くなってきた。
今日は寝ずに朝まで起きていようかと考えた。明日になったら、罠を仕掛ける事にしよう。
穴を掘って、竹で槍を作ろう。
実門は玄関に荷物を置くと、縁側の方へ歩いて行った。雨戸を確認しているようだ。
「なんか暗くてよくわかんないけど、壊れてんのか歪んでんのか、閉まんないな……玄関の鍵もちゃっちいし。今日泊って、明日防犯グッズを買いに行くか。センサーライトもつけといたほうがいいな。外回り暗すぎだ」
気が変わって泊ってくれるようだ。実門はなんやかんや言っても面倒見のいい男だ。
外で食べる食事と家で作る物とは違う。私の炊く米が美味しいのだ。
冷凍していたホッケを焼いて、カブと人参、油揚げの味噌汁、だし巻き卵を作った。鳴門で買った茎わかめの佃煮も一緒に夕飯に出した。
「風呂上がったら、飯が待ってるとか、殿様気分だな」
実門は嬉しそうに食卓に着いた。
「あるもので作った。一人分も二人分も手間は同じだ」
私は誰かに喜んでもらえるのは嬉しいものだと思った。




