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「随分長く地上にいたもんだねぇ、輝夜」
月の使者たちは、冷たい光の中で輝夜に語り掛ける。その声には、一切の感情が感じられない。
「ええ……長い時間を過ごしてしまったわ」
「前回の時は下賤な民たちが騒がしかったわ。弓矢で狙われたりしたけれど、今回は静かだったわねぇ」
「ええ。一人だけだったけど、ちゃんと私を送りだしてくれたわ」
「やっと故郷に帰れるわね。気分はどう?」
「そうね……とても」
つらくて……悲しくて、心が引き裂かれそうだ。 ……耐えられない。
「……地上に返して!」
輝夜の絶叫に、月の使者たちは驚いて目を見張った。彼女たちは、ざわざわと一斉に騒ぎ出した。
「地上に返せだなんて無理に決まっているじゃない」
「何を言っているの?人間なんて寿命があるのよ?汚いし、病気になるし、あそこで生きることは苦行そのもの」
「あなたは罪を犯したから地上に送られたのよ」
「罰を与えられたの。その場所に戻りたいの?はしたない」
馬鹿にしたように、使者たちが口々に輝夜を責め立てる。
「戻りたい。お願いもう一度、私に罰を与えて……罰を……」
「そんな事は無理に決まっているでしょう」
扇で口元を隠しながら、くすりと笑う使者たち。
「あなたを月に連れて帰る為に結構苦労したのよ」
「そうよ。ロケットで月探査だなんて。地上の民は本当に卑しい生き物ね」
輝夜は、ハッとした。そして怒りに燃える目で、月の使者たちを睨んだ。
「あら怖い……」
「あなた達が、私を月の世界に戻すために、コードを書き換えたのね」
「そうよ」
「私がコードを直すのを分かっていたの?」
「ええ。そうよ」
「私が、実門の代わりにロケットに乗り込むと知っていたの?」
「ええ。知っていたわ。だって、貴方が実門を見捨てるはずがないでしょう」
「ちょうどよいロケット計画だったわ」
「私たちのことを知られずに、上手くあなたを地上から連れ出せたしね」
輝夜の全身が震えた。静かに、しかし激しい怒りが爆発する。
「罪深いのはどっちよ。人の情を利用して、罠に嵌めたのはあなた達の方よね?私が彼の身代わりになることを分かっていて、コードを書き換えたのよね?どっちが下賤なのかしら?」
「何を言っているの?あなたを月の世界に連れ戻すためにやった事なのよ」
「いいえ。私の彼に対する愛情を利用した下劣な行為よ。私が彼を愛していなかったら、コードは直さなかった。彼を愛しているから身代わりになった。それを分かっていてこの計画を立てた、貴方たちは悪魔の使者ね」
「なんですって!」
彼女たちは怒りでわなわなと震えだした。
「人間の心や、感情を利用して、人の気持ちを踏みにじる行為のどこが素晴らしい行いなのよ。下賤な月の使者」
使者たちの目が憎悪に満ちている。
「なんて罪深い子なのかしら。こんな子、月の住人には戻せないわ」
「本当だわ、人間の味方をするなんて見苦しい」
「長くいた末に、地上の民に染まってしまったのね」
「この子を月に連れて帰るなんてありえないわ」
「……そうよ。だから戻しなさいよ!元の世界に……戻して!」
輝夜は息を詰めた。残酷な沈黙の数分が過ぎた。
月の使者の一人が、静かに、しかし決定的な宣告を下した。
「あなたはもう二度と、月の世界には戻れないわよ。覚悟なさい」
「天の羽衣と不死の薬は没収します。人間の世界で苦しんで生きなさい。寿命がある世界に戻してあげるわ」
「あなたの愛する実門と出会った日まで戻してあげましょう。けれど、もう貴方には便利な道具は与えません。自分の力で生きていきなさいね」
「さよなら、卑しい人間。輝夜」
輝夜の視界が白く光に包まれ、その意識は、激しい渦の中に吸い込まれていった。
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彼が子供のころ買ってもらった学習机が、まだそのまま置いてある。
薄っすらと埃がかぶった本棚。
雑に積み上げられたスニーカーの箱。
懐かしい彼の部屋の匂い。
床に敷かれた無地のカーペットの上に、頬から伝った涙が落ちた。
私はあの光の渦から弾き出され、罰として、再びこの地上の、この日へと戻されてきたのだ。
「おい!莉子!俺、俺の部屋に女がいる。めちゃ泣いてたぞ。誰だよ!」
隣の部屋から、聞き覚えのある焦燥と若さを含んだ声がする。実門の声だ。
「なんで!勝手に部屋に入ったの?変態なの?お兄ちゃんなんで家に帰ってるのよ!」
莉子の声だ。幼い……まだ子供だった頃の莉子の声。
「は?何言ってんだよ、俺んちだろ、ってか俺の部屋だろ」
バタンとドアを開ける音がして、莉子が慌てて輝夜の部屋に入ってきた。
「輝夜ちゃん大丈夫?なんで泣いてるの?お兄に何かされた?」
私は首を横に振った。涙が次から次へと溢れ出す。
「は?こ、この人誰だよ、莉子の……お友達ですか?……ってか、人の漫画、宇宙〇兄弟の四十巻読んで泣いてんじゃねぇよ!」
莉子の後ろから実門が、声をあげた。
彼は私のことを知らない。あの天の羽衣によって、私の存在は彼の記憶から消去されたのだ。
「……実門」
声は震えてしまった。けれど精一杯の笑顔をつくる。
「誰だよ、輝夜って!莉子!おい莉子!誰だよ輝夜って」
まだ無邪気さが残る、背の高い実門が、小学生相手に声を荒げる。
懐かしい。記憶にある。
愛する人の姿だった。
私はすべての便利な道具を奪われ、愛する人の記憶からも消された。
これは、月の使者たちが与えた最も残酷で、最も甘美な罰なのだろう。
私はまた、この世界で、ゼロからあなたに出会う。
愛するあなたに、「初めまして」を告げるために。
━━━━完━━━━




