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俺は31歳になった。
今は北海道にいる。
民間の企業に就職して、ロケットの開発を手掛けていた。
俺たちは無人の探査ロケット『故郷』を月に飛ばす。
いろんな企業からの協力も得て、総額230億かかっているプロジェクトだ。
俺はその開発チームのメンバーだった。
国産ロケットを作って飛ばすというビジョンを掲げるベンチャー企業は多い。日本は外国に比べ、ロケット開発に充てる費用は桁違いに少ない。ここまでこれたのは奇跡に近いと思っている。
『故郷』は国産ロケットだ。日本の夢を背負っている。
今回の打ち上げに失敗するわけにはいかない。
「アメリカから彼女が来てるんだって?」
同僚が少し揶揄うように俺に聞いた。
「ああ。『故郷』の打ち上げを観に来てる」
輝夜は休暇を取って、日本に帰ってきていた。
「めちゃくちゃエリートの彼女なんだろ?」
「そうだな。俺がいつも彼女の後ろを追っかけている感じだ」
今回、この計画が成功したら俺は輝夜にプロポーズする。
指輪も買った。
『結婚しよう。君しかいない』というつもりだ。
輝夜は美しい大人の女性になっていた。道を歩けば誰もが振り返るその端麗な容姿は、隣を歩く自分が恥ずかしく感じるほど人の目を惹いた。
輝夜は関係者の名札を吊り下げて、俺のPCを後ろから見ていた。大事なプログラムがモニター画面いっぱいに並んでいる。。
「三度目の正直というやつだな」
二度、打ち上げは延期になっていた。
「延期、延期だったな。けど、今回は気象条件もいい。必ず成功させるよ」
打ち上げまで一時間を切った。
俺はタブレットを持って車に乗りこんだ。最終確認の為に発射台近くまで行くためだ。今更、何もする事はないが最後に『故郷』をそばで見たい。
打ち上げ30分前、緊張する。何百日もこいつと一緒に仕事した。この『故郷』はその体にあらゆる技術を詰め込み月まで飛んで行く。
少し名残惜しい気持ちになる。
打ち上げが成功したら世界のトップニュースに上がるだろう。タイムリーに動画を観ているファンたちもたくさんいる。
「成功するように祈ってくれよ輝夜」
輝夜は俺のタブレットをじっと見つめている。俺がこのプロジェクトにかけていることを輝夜は知っている。
「実門……これ……」
輝夜がプログラミングのコードを指さした。輝夜が指さすコードを読む。なにか、おかしい……
「……!」
AIも使い、何千回と繰り返し確認している。そんなはずはなかった。あり得ないミスを輝夜が見つけた。
俺はタブレットを握りしめ、車を走らせながら発射台へ向かっていた。
「成功するように祈ってくれよ輝夜」
そう言って笑いかけた俺にタブレットを、輝夜はまるで獲物を見つめるように鋭い眼差しで睨みつけていた。
俺がこのプロジェクトに人生を賭けていることを、彼女は誰よりも知っている。
「実門、これでは駄目だ」
輝夜がプログラミングのコードの、ある一点を指さした。
俺はモニターを覗き込み、その箇所を読んだ。心臓が凍り付く。
「……まさか!」
AIによる何千回もの確認を潜り抜け、極めて巧妙に仕込まれた改竄。
このままではロケットは制御を失い、間違いなく発射は失敗に終わる。
駄目だ。発射までもう30分を切っている。
手動で書き換えなければ間に合わない。
「まずい!時間がない!」
俺は車を飛び出し、走った。コードは手動で書き換えなければ、この状況は覆せない。輝夜も俺の後を追ってきている。
俺はロケットの内部ハッチを開け、直接コードを書き換えるためのアクセスポートへ駆け込んだ。
「輝夜、お前は先に戻れ!俺がコードを書き終えたらすぐに車に乗り込む。発射十分前までなら、まだ間に合う!」
なぜこんな事が起きたのか。
自分のミスではないのは確かだ。誰かが意図的に、この国の夢を潰そうとしている。
しかし、そんなことを考えている暇はない。
「実門、基地に戻れ。後は私がやる」
輝夜が叫んだ。その声は、かつてないほど強く、そして諦めを秘めていた。
「何言ってるんだ!無理に決まってるだろう!大丈夫だ、輝夜は先に戻ってくれ!」
俺は怒鳴った。
しかし、輝夜は動かない。
「無理だ。実門では間に合わない……私なら倍のスピードでできる」
そうだ。彼女の処理能力は、人類のそれを遥かに超えている。
彼女こそが、この絶望的な状況を覆せる唯一の存在だ。
「行け!早く戻れ!発射中止はない!輝夜、戻れ!」
俺が再び叫んだ瞬間、輝夜は持っていた鞄から白い布のようなものを取り出した。
輝夜がその布――天の羽衣を、迷いのない手つきで俺にふわりと掛けた。
その瞬間、空気が、時間すらも一瞬にして変わったように感じた。
俺の体から、焦燥と不安が消え失せていく。
理解が、腑に落ちるように、急速に頭の中を巡る。
そうだ……
大丈夫だ。
この極限の状況を救えるのは、彼女の驚異的な処理能力だけだ。
ロケットを失敗させるわけにはいかない。
俺は、生きて、この成功を見届けなければならない。
そうだ、輝夜ならできる。
「できるか?」
「まかせて。実門は先に脱出して。あと13分よ」
輝夜はすでに、プログラムの書き換えに取り掛かっていた。その横顔は、美しく、そして覚悟に満ちていた。
「君になら安心して任せられる」
「ええ。大丈夫よ。私ならできるわ」
「ああ。頼んだぞ……」
俺はロケットを背にし、走り出す。
車に向かって。
最後の瞬間、あの光り輝く笑顔が、一瞬の幻のように見えた気がした。
「ええ。愛しているわ、実門」
俺は振り向かなかった。
振り向けば、この一瞬の決意が崩れ去り、二度とそこから離れられないと知っていたからだ。
発射までの秒数が読み上げられる。
管制室に戻った俺の耳に、秒読みの声が響く。
「……3、2、1、0!」
ゴオオオオオオオオオオオオ!!
爆音と共に、大地が、建物が、激しく揺れる。白煙が空を覆い尽くす。
そして、炎の尾を引いたロケット『故郷』は、力強く、月に向かって天空を切り裂いていった。
打ち上げ、成功。
管制室は歓喜に包まれた。皆が万歳をし、抱き合い、肩を叩き合う。
「おい!お前泣いてんじゃん!おめでとう!」
「実門、頑張ったよな!成功だ!」
歓声が、俺の耳には遠く、くぐもって聞こえる。
俺の頬には、とめどなく熱い涙が流れていた。
恥ずかしい。なぜ俺はこんなに泣いているんだ。
このロケットの成功は、俺の夢の成就だ。
これほど嬉しいことはないはずだ。なのに、胸が張り裂けそうなほどの喪失感が、歓喜の波の下で俺を襲う。
俺は腕で涙をぬぐった。
ふと、発射台近くに誰かを置いてきたような、大切な何かを置き忘れたような、身を引き裂かれる感覚に襲われた。
その「何か」が何なのか、どんな顔をしていたのか、なぜそこにいたのか、俺の記憶は何も答えてくれない。
ただ、俺の夢を乗せて夜空を駆ける光を見つめながら、理由もなく、魂が泣いていた。
確かにとても大切な誰かがいたはずだったけれど……
もう、その記憶は俺の中のどこにもなかった。




