12
ブルルルルルー、ブルルルルルー
スマホが振動した。
「か、輝夜!」
実門は急いで電話に出た。
「お、おう。どうした」
できるだけ平静を装い、今、輝夜のことを考えていたことを悟られないように電話に出た。
「実門、こっちに帰ってくるのか?今は春休みだと莉子が言っていた」
「いや……お前が何か用事があるなら、帰ってやらなくもないが」
なぜか偉そうな返事をしてしまう。
「いや、帰ろうと思っていた。うん。春は休みが長いから、ってか何かあった?」
「ちょっと困ったことになっている。うちに警察が来た」
警察?ってまさか徳島の件か。
すっかり忘れていたが、輝夜は人身売買でオークションにかけられた被害者である。記憶をなくしているせいで、当時の事は何も覚えていないだろうから、警察に事情を聴かれても、何も話ができないだろう。それを彼女はちゃんと警察の人に伝えられるだろうか。そして彼女の話を信じてもらえるだろうか。
「今からそっちに帰るから。心配するな。俺が帰るまで警察に呼ばれても一人で行くなよ」
実門は電話を切ると急いで帰る準備をした。
-------------------------
今、輝夜の前に座っているのは私服警官の石上だった。
年のころは三十歳前後だろうか。きちんとしたスーツ姿ではない、普通のおじさんの服装だった。
けれどどこか空虚な様子や儚げに見えるその姿は、高位貴族ではないかと思わせるような気品を漂わせていた。清潔感があり、整った美しい顔をしている。
私は、彼が中納言石上麻呂足だろうと直感した。
前世、彼には「燕の子安貝」を持ってくるよう頼んだ。
結婚の条件として無理難題を出した五人の貴公子の内の一人だ。近い場所で手に入れられ、最も地味な品を頼まれたにもかかわらず、転落事故に遭い大けがを負ってしまう。彼だけは自ら真面目にお題に取り組んだのに、恥をかき最後は命を落としてしまった男だった。
私は今回もそうなる(命を落とすような)ことだけは避けなければならないと思った。
「覚えていないなんて通用するはずないですね。それは貴方も重々承知の事かと思います」
彼はそう言いながら輝夜の家の中をジロジロ見回した。まるで家宅捜索でもされているかのように隅々まで確認している。
彼は東京の『少女人身売買オークション事件』の捜査をしていると言い、私の元を訪ねてきた。
私はもちろんその事件の被害者の一人だ。ただし記憶はない。そもそも話すことは何もない。だって知らないんだから。
「覚えていない物は仕方がないだろう。流氷会の幹部だという人の顔写真を見たところで、誰だか分からない。私を買ったというこの政治家の人の事もさっぱりだ。何時間話をしたとしても思い出さないだろう」
彼は流氷会のメンバーだという男の写真を持ってきていた。この中に見覚えがある者はいないかと言われる。写真は警察で撮られた物のようだったので、もう捕まっていることは間違いなさそうだ。
「貴方の母親の事は、自分でどう考えているのですか?事件に巻き込まれた可能性があるんですが」
「私は何らかの事故に遭ったようだ。そのせいか記憶が混乱していて精神が錯乱していて、霜月以前の記憶がない。母親の事も忘れてしまった。だから何も感じない。すべての事を忘れてしまった」
殺されかけたという驚愕の体験のせいで、精神的な苦痛を味わい、全ての記憶を失ったことにしているんだから、それで押し通すしかない。
石上は深くため息をついた。もう一時間ほど彼と話をしているが、私は「覚えていない」の一点張りでらちが明かない。彼もいい加減うんざりしているだろう。
「それでは、最後の質問になります」
やっと帰ってくれるのかと私はほっとした。
「君は、かぐや姫だね。竹取翁 讃岐造の養女、なよたけの迦具夜姫」
輝夜は彼の言葉に息をのんだ。驚きで体が床から十センチほど跳ね上がってしまったかもしれない。なぜ知っているんだ。
鋭い視線を走らせた石上の表情は、その後「やはりそうだったか」という安堵のそれに変わっていく。
「気が付いているかもしれないけれど、俺は君よりずいぶん先に死んだ。そう中納言石上麿呂足だ。無理難題を吹っ掛けられて、籠から落ちて、最後はあっけなく、いとも簡単に命を落としてしまった情けない男だ」
石上は皮肉な笑い声と共に右の眉を上げた。この男にも前世の記憶があるのか……
「覚えているよね?」
短い一言に、努めて感情を消そうとしている様子を私は嗅ぎ取る。
私はうなずくこともできずに、ただ石上の話を聞くしかなかった。
「この世界に自分が転生した時、僕はすでに警察官だった。事件の捜査にあたっている最中にビルから落下して僕は大けがを負ったらしい」
私は黙って聞いていた。
「数日間生死をさまよって、気が付いた時には人格が入れ替わっていた。平安の世にいた僕が何故か令和の警察官になっていた。自分は別の世界から来たと主張したとて、現実は変わらなかった。ただ気がふれた怪しい男だと思われただけだった」
「ほう……」
「元の時代に帰りたいと願おうが叶わない。ここで生きて行くしかない。他の選択肢はなかった」
彼の言葉は、自分も同じ経験をしているので私には理解ができた。話の先を促す。
「ある日、僕の前に倉津と名乗る爺さんが現れた。彼は前世で俺に子安貝の取り方を伝授した爺さんだった。現世の彼は町の大衆食堂で働くただの爺さんだったが、僕には彼が倉津麻呂だということが分かった。きっと彼も転生したんだと思った。しかし彼には前世の記憶がなかった」
私は頷いた。
「不思議なものだな。運命のようなものだろうか、私の前にも次々と前世で会ったことのある人物が現れる。しかし前世の記憶がある者はいなかった」
「この世界に来てから、竹取物語を読んだ。前世で俺が死んでしまった後、君はどうしたのか気になっていたからね。君が月からやって来た月の都人で、また月に帰らなければならないこと、ゆえに当時誰とも結婚ができなかったこと。全ての謎が解けたよ」
「そうだ。私は誰とも結ばれることはなかった」
物語として読まれている竹取物語を解読する人間たちがいる。皆、誰も救われない哀しい物語だという感想を持つだろうと私は感じた。
けれど、私としては前世でそれなりに楽しい日々を送ったと思っている。天上の月の世界、それは素晴らしいものだった。しかし地上での翁や嫗、貴族たちや帝との出会いは何事にも代えられぬかけがえのない思い出となった。
「記憶を持つ者と持たない者、違いは何だと思う?それは前世で志半ばで死んでしまった者とそうでない者の差だ。何事もなく天寿を全うした者は、現世に生まれ変わったとしても普通の人生を歩める。だが俺たちは誰かの体を乗っ取って生きながらえているわけだ」
石上が無念のうちに死んだとすれば、その責任の一端は自分にある。しかし私にはどうすることもできない。
開き直ることにした。
「というが、それが何だというのか。最後までやり遂げられなかった無念が、私たちの記憶を残したままこの世界に蘇らせたというのだな。……だからといって石上は不満があるのか?この時代の日本も生活してみるとなかなか面白いものではないか」
石上は私の言葉に苛立った様子で、眉間にシワを寄せた。
「千年もの時を経て、僕はこの世界でかぐや姫と再会したんだ」
「なるほど……して、貴殿の望みは何だ」
私は立ち上がり、石上の傍まで行くと彼に立ち上がるように促した。前世の記憶がある者とない者が混在している。
しかし、だから何だというのだ。




