白雪姫 ~鏡に映ったもの~
白雪姫が王妃によって殺害された。
本物の親子のように仲が良かった二人の運命を残酷に終わらせたのは一枚の鏡であったと言う。
「お義母様誕生日おめでとうございます」
悲劇は白雪姫が王妃の誕生日プレゼントを渡すことから始まった。
異国の技術で装飾された鼈甲の持ち手はエキゾチックで溜息が出るほどに美しかったが、王妃やパーティー参加者を驚愕させたのは嵌め込まれた鏡の方であった。
「大学の研究室で作成された最新式の鏡ですの」
鏡と一言で言っても、二種類に大別される。
一つは単純に金属を磨いただけのもの。銅鏡等が代表例で、はっきり言って鏡の用途を為さないものが多い。何となく自分が映っているのがわかるが、ひょっとしたら別人の顔かもしれないと言う程度のもので、水面と大差ない程度のものも珍しくない。
もう一つは、ガラスの裏面に水銀を利用して錫を付着させる錫アマルガム法を用いたものだ。こちらは単純な金属を磨いた鏡とはレベルが違う反射率を誇り、よりはっきりと映ったものを認識することができた。
当然、後者の鏡は高級品であるが、貴族や王族ともなれば大きな姿見の一つや二つは珍しくない。
白雪姫のプレゼントである大きく広げた掌サイズの鏡程度では、この場に相応しくないとすら言えるだろう。
が、白雪姫が言うように、その最新技術を用いられた鏡は、この国有数の資産を持つ貴族達を驚愕させた。
元来、姿を映す鏡は神秘的なものであった。反射と言う理解できぬ現象に人知を超えた神の存在を想うからこそ、銅鏡レベルの鏡ですら脅威と感激を覚えた。
ならば、白雪姫のプレゼントは正に神の領域に近しい鏡だと言えた。
鏡面が映し出す光景は、まるで肉眼で見るが如く現実を映し出しているではないか。
「詳しいことはわかりませんが、銀を使った新しい鏡ですの」
所謂『銀鏡反応』を利用した最新式の鏡の素晴らしさに、女性陣は感嘆の息を漏らし、そのパートナー達は『余計な出費が増える』と内心で顔を顰める。
そして、王妃は鏡に映る自分の顔を見て愕然とした。
「これが――私?」
鏡面に映る自分の顔は、数分前までの自認とはあまりにもかけ離れているではないか!
なんだこの目尻のシワは!
どうしたって言うんだ肌の粗さは!
化粧では誤魔化しきれないこの老い!
鏡に映っていたのは年齢相応の老けた中年女性に過ぎないではないか!
自分の表面からとっくの昔に若さは過ぎ去り、『今日もお美しいですね』と言う周囲の称賛が『(年の割には)今日もお美しいですね』と言う意味だったことを魂に刻み込まれたような痛みが胸に走る。
「はい。お綺麗ですよ、お義母様」
王妃が漏らした言葉に白雪姫が笑顔で答える。
手の中の鏡に映る自分の姿を見るまでは、素直に信じられる言葉であった。
ウツクシイ。
カワイイ。
キレイ。
王妃は隣国の王女として産まれてあらずっとそう言った称賛を受けて生きてきた。そしてその言葉を真実にするために努力を重ねてきた。もう四〇に近いが、自分だけは昔と変わらない美しさだと自他共に認めていると信じてきた。
だが、鏡に映るのは若作りに必死な初老間近の女ではないか!
ぱりん。とガラスの割れる悲鳴が上がった。
「ああ!」
気が付けば王妃の手中に鏡はなく、床の上には割れた鏡の破片が散らばっている。
「なんてことを! ごめんなさい!」
咄嗟に謝罪の言葉を叫びながら、王妃は生まれて初めて落としたものを自分で拾うためにしゃがみ込んだ。義理の娘のプレゼントを壊してしまうなんてなんてことだ! 一番大きな鏡の破片を広い、二度と戻らないその姿に心が強く傷んだ。
「お儀母様! 危ないですよ! 鏡はまたお贈りします!」
そんな王妃の横に寄り添うように白雪姫が腰を下ろし、鏡を拾うのを止めるように言った。
優しい子だ。改めて彼女の人柄を感じながら横に並んだ娘の顔を王妃は見つめる。
きめの細かい肌。
張りのある唇。
長いまつげ。
麗しい髪。
なんて美しいんだろうか。
鋭利に尖った鏡の破片に映る姿と変りなく白雪姫は若く綺麗だ。
「ねえ、白雪姫。世界一美しいのはだあれ?」
「もちろん、お義母様です」
嘘や偽りのない白雪姫の言葉に、王妃は壊れそうに笑うと手にした鏡をぎゅっと強く握りしめた。
白雪姫が誠実でなければ、王妃は絶望を受け入れられたかもしれなかった。
嘘で誤魔化してくれれば、王妃は自分を騙す道を選べたかもしれなかった。
或いは嘲笑でもあれば、侮蔑でもあれば、王妃は白雪姫の美しさを許せたかもしれなかった。
だが、だが、白雪姫はあまりにも優しく、それ故に王妃は彼女の美しさに耐えることができなかった。
肉ではなく骨で固定するように万力の力を手に籠めると、鋭い痛みと熱さが掌に走る。
「じゃあ、私より美しい人はあってはならないわね」
白雪姫の喉に鋭利な鏡が突き刺さり、まるで世界が凍り付いたように静寂が訪れる。
が、それも一瞬のこと。
王妃が白雪姫の喉から鏡を抜き取ると、冒涜的な笛の音と共に血が噴き出した。何が起こったか理解できない白雪姫は目を白黒させ、パーティーの招待客達は王妃の突然の凶行に悲鳴を上げた。
そんな喧騒を少しも気にする風もなく、王妃は一筋の涙を流しながら鮮血に塗れた鏡に問いかけ――
「鏡よ鏡。世界で一番美しいのはだあれ?」
――映し出された自分の顔に満足そうに微笑んだ。




