黙視録 第2章 3節
お読み下さってありがとうございます。更新が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
大学に進学した。親の言うAランクの大学ではなかったが、自分の学びたい大学に行けて嬉しかった。
親がいない生活に心の底からホッとした。ようやく息が出来た。
親の圧を受けながらの生活は自分に取っては窮屈だった事を知った。
まずは大学の学生寮に入った。寮生同士でバカをやるのが楽しかった。寮の規則で3年生になった時退寮になった。
アパートを借りるため、久しぶりに親と会った。
親は就職は楽勝だろう(俺のおかげ)とか、優秀であればすぐに決まる(俺のようにな!)と副音声付きで笑った。
俺は心のなかで嗤った。
楽しい大学生生活は就職活動という現実で幕を閉じた。
新卒者の採用を無くし、ほんの僅かな椅子を恐ろしい数の若者で奪い合うのだ。
まず書類選考が通らない。日本の最高学府である東京大学出てもコンビニバイトしている世の中だ。受かるわけがない。
楽しかった学生生活は段々と暗くなっていく。
大学4年生になり、仕送りが雀の涙になった。
食べるものがないこと、お金がないことは心を貧しくさせた。
やさぐれて飲み屋街の道で知り合った、あまり素行の良くないヤツラとほどほどの距離で付き合うようになった。彼らは本当に悪いヤツから寂しいからいるヤツまで色々だった。俺は本当に悪いヤツラからは距離を取り、虚しさを埋めるためにいるヤツラとつるむようになった。
干渉されない距離と常識から外れない程度の無茶が俺の世界を広げた気がした。簡単に稼げる援助交際の仕方を教えてもらった。舐められないために一緒に護身用の果物ナイフを買った。何かの時のハッタリを効かせるために切れ味の良い物を選んだ。
体を売り、お金を稼ぐことで何かが遠ざかりどうでも良くなってきた。
その何かが何なのかは分からなかった。最初はババア気持ち悪いんだよと吐いていたけれど今では作業に成り果てた。
お腹いっぱい食べれて、お金もあって、外見を整えるためにそこそこオシャレもした。垢抜けたせいか、逆ナンパもされたけれど、興味もなければ割に合わないと考えている自分に驚いた。
初夏になり、ビアガーデンのバイトをした。
仕事はキツイが楽しい上に賄いがあるので、出来るだけ出勤した。
7月も後半になった。
その日は夏日だったせいか、いつもより忙しかった。
21時30分あがりの女子バイトたちが賄いを食べながらキャッキャと話しをしていた。楽しそうにしているのに、たまに暗い話題をしている。無理矢理明るく振る舞っている姿に悲しくなった。
22時過ぎ、片付けと清掃が終わりホールは終業した。更衣室で制服のエプロンとクリーム色のシャツを脱ぎ、リュックに入れた。持ち帰って洗濯するためだ。
同じ時間帯であがった男数人で社員さんが仕込みの合間に作ってくれた賄いが配膳されるのを待つ。待ち時間にバイト同士ポツポツと話をした。
「その白いシャツ、安っぽくなくていいね」
「生地厚いから暑いんだけど、汗を吸ってくれるから」
疲れて会話は続かない。
遅くまでありがとうと社員さんが大盛りの焼肉丼をくれた。俺は会釈をしてありがたく頂いた。お肉もご飯も多くて嬉しい。幸せだ。
忙しくて疲れていたせいか、みんなイスにどっかりと腰をかけ、ゆっくりと賄いを食べる。みんな無言だった。
ほとんど食べ終わった頃、携帯で掲示板を確認する。携帯でインターネットが出来るというのが売りだったが、悪い仲間とつるんだり、出会い系でお小遣い稼ぎをするにはもってこいだった。
「返信ある」
俺も返信をする。疲れてゆっくりしていたせいか、時間は22:50少し前だった。俺は食べたものを片付け挨拶をして外に出た。
「タクシーが捕まればいいけど」
俺の心配は不要のものだったらしく、あっさりとタクシーに乗れた。
タクシー運転手に行く先を告げ、相手の女に再度返信する。女は今仕事帰りだからチェックインして外で待つと返してきた。仕方がないので、ホテルと反対側の道路で停車する事を伝えた。
ラジオから今月末、最後の時を迎えるなら何が食べたいかというような内容だった。俺も何にしようかと考え、特に食べたいものがないことに愕然とした。
目的地に着き、タクシーが停車すると40代の女が助手席の後ろの窓を叩いた。A君? と確認した後に福沢諭吉が印刷されたを一万円札を1枚握らされ、タクシー運転手にも新渡戸稲造の五千円札を渡した。
「今日中に片付けなきゃいけない仕事が入っちゃって。これで許して。またお願い」
それだけ言って、 女はホテルに帰っていった。俺は幸運に喜んだ。疲れているのに、疲れる肉体労働をしなくて済んで素直に嬉しかった。運転手に〇〇方面に向かってと伝え、帰ることにした。
非常に疲れていたのだ。
多分、数分寝ていたのだと思う。携帯が鳴り、俺は目を覚ました。
さっきの女から返信が来ていた。
「仕事終わりそうだから来て? ざけんなよ、ババア」
俺は断りの返信をすると、即座に女から文句の返信がきた。
「面倒くさ。運転手さん、さっきの所戻って」
「よろしいのですか?」
「うん。なんかうるさいし、あること無いこと書かれてもうざいし、禍根を残したくないし」
俺は返信を再度読んだ。自分の中で何かが壊れた音がした。気がつけば唇を噛み、ボロボロと泣いていた。
「好きで社会のクズになったわけじゃない。好きでこんなのしてるわけじゃない」
俺だって、未来を夢見たかったよ。夢を語れる自分で在りたかった。こんなリスキーで汚れた自分になりたくなかった。
自分を売るのも自己責任。ちゃんとした仕事に就けないのも自己責任。何をやっても自己責任。
自己責任ってなんだよ?
責任って、自由とセットじゃないのかよ? 自由もないのに責任だけ求められるって何だよ?
俺の耳に布越しで聞いているかのような不明瞭な運転手の心配そうな声と女性シンガーが夢をあきらめないでとラジオから流れて来るのが聞こえた。
夢なんて、見れねーよ。
運転手が大丈夫ですか? と何度も聞いてきた、気がする。
大丈夫じゃねーよ。
助ける気もないのに心配なんてするなよ。
余計に惨めになる。
ああ、子どもの頃に想像していた大人の俺はどこに行ったのかな?
ああ、もうどうでもいい。
何もかもがうるさい。息苦しい。どうでもいい。
俺は携帯をリュックに仕舞おうとし、そこに果物ナイフがあることに気がついた。
刺せば少しは静かになるかな。
俺は鞘を外し、後部座席の真ん中に右手をつき、センターコンソールに軽く身を乗り出し、左手で運転手を刺す。
肉を刺した衝撃で俺は夢から一気に醒めた。
運転手と目が合った。お互いに驚いているのがわかった。俺はゆっくりと左手に目線をやる。運転手の肘より少し上の脇にナイフが深く刺さっていた。更にゆっくりと目線を柄に向ける。赤い左手が恐ろしく、俺は慌ててナイフから手を放し、右手に体重をかけ、後ろに逃げた。自分のしたことが恐ろしすぎて、俺は絶叫し、ごめんなさい、ごめんなさいと頭をかきむしることしか出来なかった。
運転手が一方通行の道路の右側に車を停車する。
無我夢中で荷物を持ち、降りようとしてサイドブレーキに付いた左手の跡に気づいた。咄嗟にコレを拭かなければいけないと思った。何か拭くものを探し、助手席に黒いカバンとその下にあるタオルが目に入った。右手でカバンとタオルを取り、邪魔なカバンは開いたままになっていたリュックに無造作に突っ込み、血を拭いた。赤くなったタオルもリュックに隠し、運転席の後ろのドアから逃げた。
俺はわけがわからず走り出した。しばらくして冷静になり、半開きのリュックの口を閉めた。見覚えのない公園で手と顔を洗った。
めちゃくちゃに走ったので、家から遠くへ来ていた。
道路標識で地下鉄の駅が近い事を知った。多分、地下鉄に乗って家に帰ったと思う。そんな記憶がある気がする。
生きた心地がしなかった。人を刺した感触と血の臭いがいつまでも取れなかった。
やってしまったことの大きさと重さに恐怖が勝って逃げてしまった。なぜ、逃げずに応急処置をしなかったのだろうと手を洗いながら自問自答した。
手当てをしに戻ろう。救急車と警察を呼ぼうと決意した。
「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う」
俺は自分に言い聞かせるように何度も呟き、タオルとラップと携帯電話をビニール袋に入れた。夜も遅いので交通機関は終わっている。俺はかなりの時間をかけて歩いて向かった。
現場に近づくにつれて、物々しくなっていった。最初は救急車を誰かが呼んでくれたのだと安堵し、俺がそっと息を吐いた途端周りの声が聞こえた。
「強盗殺人だって」
「恐いね」
どうやって帰って来たのか、全く覚えていないが、俺は家に帰っていた。テレビをつけ、ニュースを見る。そこで殺してしまった人の名前と年齢を知った。
「ごめんなさい」
罪の重さに俺は泣くことしか出来なかった。
ノストラダムスの予言通り滅びがやって来てくれることを願ったが、願いも虚しく8月になってしまった。
弱い俺は罪から逃げるように彼の黒いカバンとタオルをシンクで燃やした。入っていたお金は戒めとして貴重品袋に保管した。
何度も何度も思う。
なぜ、あの時逃げてしまったのだろう。
あれから数十年が過ぎた。
俺は大学を卒業し、親元には帰らず、かといってこの地に留まるのも怖くて、行ったことのない地方の会社に就職した。
当然、人間らしい扱いはされなかったが、それが罰だと思った。
その地方で結婚し、娘が一人出来た。独立して会社を起こし、従業員もいる。
誰がどう見ても幸せな人生。だけど、俺はいつだって怯えている。
あの時のお金は会社の机にしまっている。
罪を忘れないように。
気を抜かないように。
レールから落ちたら二度と這い上がれない。
みんなみんな、自分の生活というレールから落ちないように必死に足掻いている。
落ちるのが自分だけなら良い。当然なのだ。
けれど家族、従業員。大切なものが出来てしまった。彼らを道連れに落とすことは出来ない。
地獄に落ちたら、絶対に這い上がれないのだから。
「お父さん、塾のテストクーイズ!
天網恢恢疎にして漏らさずとはどんな意味でしょう?」
「……良い行いは報われ、悪い行いは必ず裁かれる」
「正解! 老師の言葉なんだって」
娘が幸せそうに笑う。幸せは恐怖と不安を増幅させる。
神様、お願いです。
最期まで見逃して下さい。
この牢獄の中で少しでも人の役に立つ事をしますので。
俺ひとりなら、どんな罰でも受けますので。
どうか、娘と妻の未来を守らせて下さい。
薄氷の上の、自由に死ぬことも許されない牢獄で彼に詫び、赦しを請う。
検視と検死。
俺は穏やかに病院で病死をしなければいけない。それ以外は許されない。
罪を犯し、逃げた罰は重い。
きっと地獄は人の足元にあるのだ。そして、いついかなる時も見張っているのだ。
俺に安住の地はない。
改めまして、お読み下さってありがとうございます。
この暗さ、今までのお話の中で一番の暗さだと思います。
このお話を書くと決めたのは彼が死にたい、死ねないとじっとタオルを見つめているのが何度も見えました。死ぬかもしれないと思いました。生命は悲しい事に軽いのです。大事にしなければすぐに失われてしまいます。色々な事件の被害者のご家族のインタビューを拝見拝読して、何度も何度も考えました。罪は裁かれるべきだし、償うのは当然です。決して擁護するつもりはありません。ですが死なないでほしかったのです。もしそれが被害者のご家族に不愉快な想いをさせてしまったなら本当に申し訳ありません。
最後まで暗くなってしまいました。
お読み下さった皆様に幸せがたくさん振り注ぎますように!
また次のお話でお目にかかれますように。ありがとうございました。




