30.紫黒の烏と銀の花嫁
烏族が所有する、急峻な山がある。その中腹に、このような場所があるとは誰も思わない。そこには、切り開かれたような平原が広がっていた。
雲一つない晴天の中、明霞と颯懍の結婚式が行われた。
烏族が婚姻する際には、いつもこの場所で執り行われるのだ。
祭壇が設置されただけの簡素なものだが、烏族が全員集まるこの光景は圧巻だ。もちろん、「烏」たちもその中に含まれている。
外部の人間を迎え入れた際は、その父母や兄弟姉妹のみ参列が許されているので、皇族を代表して仔空もこの場にいた。
「苦労して来た甲斐があるな……」
仔空がこの場所に辿り着いた際、言った言葉だ。
参列する者は、この険しい山を登らねばならない。そこらの山とは比べ物にならないほど傾斜が急で、中腹までとはいえ、かなりの体力が削られる。
ただ、烏族にとっては造作もない。皆が飄々と登っていくので、仔空は相当きつかったらしい。
だから、苦しさを乗り越えての絶景に感動したのだ。それは、明霞とて同じこと。
ただし、登ったのは最初の、まだ緩やかな場所だけ。傾斜がきつくなったところからは、颯懍に抱えられての登山だ。自分の足で登ると言ったのだが、それでは日が暮れると言われ、断念した。
そして、厳かに式が執り行われる。だが、ひととおりのことを済ませてしまえば、あとは飲めや歌えの大宴会が始まった。
豪華な食事や飲み物、食器類なども、全てここまで運んだというのだからすごい。
テーブルと椅子があるのは、主役の二人のみ。参列者は地面に直接座り、食事などもその側に置かれている。
「皇族からすると、ありえないだろう?」
「そうですね。でも……」
明霞は、名実ともに夫となった颯懍に向かって、柔らかい笑みを浮かべる。
「皆との距離が近くて、楽しいです」
「……そうか」
颯懍も優しく微笑む。
実際、本当に近い。境界線は目の前のテーブルひとつなものだから、皆が二人に気軽に話しかけてくる。
「いやー、ほんっとめでたいなぁ!」
「結婚した後も、明霞の飯が食いたいなー」
「まったくだ!」
「あんたたち、何言ってるの! これからは、旦那のためだけに腕をふるうんだよ! 甘えるんじゃない!」
そんな会話も、あちらこちらから聞こえてくる。楽しくないわけがない。
「私はこれまでどおり、皆さんのお食事を作りたいのですが……」
「皆、舌が肥えてしまったからな。明霞の料理が美味いせいだ」
「そんなこと……」
『あるわよ! 明霞はお料理上手だわ!』
「そう? ヤーに言われると、自信がつくわ」
式の間はおとなしく参列していたヤーだが、宴会が始まるとすぐに明霞のところへやって来て、以来ずっと側にいる。
そんなヤーのために、春燕が「烏」用の食事をテーブルまで持ってきてくれ、ヤーはそれをつつきながら二人の会話に加わっていた。
ちなみに、シェンも颯懍の肩にいるのだが、彼は静かにしている。時々、颯懍が食事を与え、それを嬉しそうにつついていた。
見渡す限り、笑顔に溢れている。
(なんて幸せなのかしら……)
これほど大勢の人間が笑顔になっている光景など、見たことがない。
そして、何十羽もの「烏」たちが集まっている様も、そうそう見られるものではない。
明霞が銀の乙女に覚醒した際も、烏族の「烏」が一斉に集まったが、あれは例外中の例外だった。
他の烏族の結婚式では全ての「烏」が集まるわけではなく、今日、全羽が集まっているのは、次期長と銀の乙女の結婚式だからだ。
「……姉上」
声がした方を見て、明霞は満面の笑みになる。
「仔空!」
他の烏たちに捕まっていた仔空だが、ようやく二人の元へとやって来た。
「姉上が幸せそうで、とても嬉しいです」
「仔空、ありがとう。仔空がいてくれたから、私は挫けず、頑張ってこられたの」
「姉上っ……」
仔空の顔は、すでに涙でくしゃくしゃになっている。
皇宮にいる時は、涙など見せられない。見せるとすれば、居住区画のいち使用人部屋だけ。それは、明霞がかつていたところだ。
しかし、今は気持ちを抑える必要はない。ここには、弱みを見せても構わない味方しかいないのだから。
『仔空ったら、泣き虫ね!』
「……姉上、ヤーは何と言いましたか? たぶん、揶揄われているのでしょうが」
仔空からすると、カァカァという鳴き声にしか聞こえないはずだが、なんとなく雰囲気でわかるらしい。
春燕を通訳として挟んではいたが、さすが意気投合した間柄だけはある。
「……泣き虫ねって」
「……今は否定できません」
『あら。でも、そんな仔空が私は好きよ!』
「そんな仔空が好きだって」
ヤーの言葉を伝えると、仔空が嬉しそうにヤーの方を向いて「私もだよ」と微笑んだ。
「そういえば、もうすぐ哉藍殿下の皇太子任命式ですね。颯懍殿と青龍皇国へ向かわれると聞きました」
「そうなの。哉藍殿下からご招待いただいて……」
明霞がそう言って颯懍を窺うと、彼は神妙な顔で頷く。
「断ってもよかったのですが、絶対来てくれとしつこくて。雲嵐陛下に許可を取るのも大変だったのです。本当に困ったお人だ」
「烏族を招待するのだからと、我らにも招待状が届いたのですよ。さすがに陛下は動けないので、義兄上が出席することになりました」
「そうですか、浩然殿下が……」
「本当は、私も行きたかったのですが」
皇族が国を出る機会などあまりない。だから、自分も行きたかったのだろう。仔空は残念そうな顔をしている。
そんな仔空を慰めるように、ヤーが仔空の肩に移動した。
『戻ってきたら、青龍皇国のこと、いっぱい話してあげるわ!』
通訳すると、ますます羨ましそうな顔になり、明霞は苦笑する。
颯懍は穏やかな笑みを向け、励ますように言った。
「皇子殿下がお二人も国を出るわけにはいきません。浩然殿下が出席できるのも、安心して任せられる仔空殿下がいるからこそです」
「……颯懍殿にそう言っていただけると、自信がわいてきます」
「仔空ったら」
会えば会うほど、仔空は颯懍を慕っていった。
姉の夫だからというのもあるが、烏族の次期長として、そして一人の男として、尊敬できるからだ。
大切な二人が親しげに話しているのを見ると、明霞も嬉しくなる。
「明霞」
「春燕!」
今度は、春燕がやって来た。
春燕には式の準備やら何やらで、本当に世話になった。彼女がいなければ、立ち行かなかっただろう。
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