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紫黒の烏と銀の花嫁  作者: 九条 睦月


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27.銀の乙女

(あの光……もしかして、明霞ミンシャなのか!?)


 離れた場所から光を確認した颯懍ソンリェンは、ようやくまとわりついていた敵を倒し、そちらへ視線を遣る。


 ザーーーッ!


 凄まじい音に空を仰げば、森に潜んでいた普通の烏や「烏」たちが、一斉に飛び立っていた。向かうは、昼間のように明るく照らされた場所──おそらく、明霞ミンシャがいるところだ。


颯懍ソンリェン!』

「すぐに向かう! 先に行け!」

『了!』


 颯懍ソンリェンの側にいたシェンも、大きく羽ばたき、空高く舞い上がる。


「何があった……明霞ミンシャ……!」


 逸る気持ちを懸命に堪え、颯懍ソンリェンは最速のスピードでその場所を目指した。彼の頭上には、数えきれぬほどの黒い物体が通り過ぎていく。


(これはいったい……)


 このような状況は、颯懍ソンリェンが烏族の一員になってからは一度たりともない。勝峰ションフォンからも聞いたことがない。

 過去にこのようなことがあったなら、彼は必ず話していたはずだが、それがなかったということは、今目の前で起こっていることは烏族でさえ誰も知らない、初めての事態。


「兄様っ!」

春燕チュンヤン!」


 春燕チュンヤン颯懍ソンリェンに追いつき、隣に並ぶ。


「……っはぁ……これって……どういう……こと!?」


 とんでもない速さで駆ける颯懍ソンリェンについて行くのは、並大抵ではない。息を切らしながらでもついて行けている春燕チュンヤンは、さすが実妹である。


「……わからない」

「兄様……ごめっ……なさい……」

春燕チュンヤンのせいじゃない。俺も……ギリギリで手が届かなかった」


 馬車が倒された時、体勢を大きく崩しながらも、春燕チュンヤン明霞ミンシャを庇い、支えようとした。が、すぐに男が扉を破壊して中に入ってきてしまったのだ。

 何とか倒そうとしたが、元から体勢が崩れている身ではどうしようもなかった。男は明霞ミンシャを見つけると、迷うことなく担ぎ上げ、攫っていった。

 初めから明霞ミンシャを狙ったのか、美しく着飾っている娘だから利用できると思ったのか、それはわからない。だが──


(理由はどうあれ、明霞ミンシャを攫うなんて……絶対に許さない)


 拳に力が入る。

 そう思っているのは、春燕チュンヤンだけではない。颯懍ソンリェンは言わずもがな、後ろからついて来る他の烏たちも思いは同じだ。


颯懍ソンリェン春燕チュンヤン! こっちよ!』


 強い光は、今はもうかなり弱まっている。だが、目的地はもうすぐそこ。

 そんな時、ヤーが二人を迎えに来た。


「ヤー!」

明霞ミンシャは!?」

『大丈夫! 間一髪のところだったけどね!』


 ヤーの言葉に、二人はホッと胸を撫で下ろす。


「うわぁっ……な、なにこれ!?」


 春燕チュンヤンが立ち止まり、悲鳴を上げた。辺りの木々に、男たちがぐったりとして転がっていたのだから、吃驚仰天である。

 だが、颯懍ソンリェンはそのまま通り過ぎる。


「ちょっ……兄様っ!」

『無理だ。止められない』


 羽音を鳴らし、イェンが春燕チュンヤンの肩にとまった。


「イェン! 明霞ミンシャは……大丈夫なのよね? ヤーもそう言ってたし、「烏」たちも落ち着いてるから、そうなんだとは思うけど」

『あぁ、無事だ』

「……ここで伸びてる奴らは?」

明霞ミンシャにやられた』

「はぁっ!? ちょっとそれ、もっと詳しく!!」


 イェンの言葉に、目を丸くする春燕チュンヤンだった。


 *


 颯懍ソンリェンが到着した場所に、明霞ミンシャはいた。

 だが、彼女を取り巻く周辺と、彼女自身の姿に、彼は目を見開いて立ち尽くす。


「これはいったい……」


 「烏」たちが、明霞ミンシャを囲むように集まっていた。全員が姿勢を低くし、頭を垂れている……ように見える。


(まるで、明霞ミンシャを崇めるように……)


 そして何より驚いたのは、彼女の姿だった。

 風に靡く髪は、白ではなく銀色に変化しており、宝石のようにキラキラと輝いている。そして、こちらを見つめる瞳も以前とは違っていた。


(なんて深く、高貴な黒だろうか……なのに、どこか……温もりのようなものを感じる)


 漆黒とは少し違う。例えるならば──黒檀。


颯懍ソンリェン……様……」


 か細い声がしたかと思うと、明霞ミンシャの身体が大きくよろめいた。


明霞ミンシャ!」


 颯懍ソンリェンは慌てて駆け寄り、彼女を支える。こちらを見つめる視線は、どこか弱々しい。


「私は……」

明霞ミンシャ……許せ!」

「っ……どうして……?」


 今にも泣き出しそうな明霞ミンシャを強く抱きしめ、颯懍ソンリェンが懺悔する。

 得体の知れぬ男たちに攫われ、どんなに恐ろしい思いをしただろうか。

 ヤーが間一髪と言っていた。命の危険にも晒されたのだろう。

 それらを思うと、こうして腕に抱いている今も、心が暴れ出しそうになる。


「お前を……守り切れなかった」

「それは……」

「俺の力が及ばず、恐ろしい目に遭わせた。……すまない、明霞ミンシャ


 ようやくわかった。


 明霞ミンシャを失いたくない。

 あと一歩で手が届かなかったあの絶望を、もう二度と味わいたくはない。


 明霞ミンシャはふるふると何度も首を横に振る。そして、訴えるように颯懍ソンリェンを見つめた。


颯懍ソンリェン様が謝ることなど何もないのです。颯懍ソンリェン様は一切の危険を顧みず、私を助けようとしてくださいました。……颯懍ソンリェン様だけではありません。春燕チュンヤンも、他の烏の皆さんも、そして……「烏」たちも」


 周りに侍る「烏」たちを見ると、彼らは皆、二人をじっと見つめていた。

 これだけの「烏」が集うことなど、滅多にないことだ。その光景は、まさに圧巻──。


明霞ミンシャ……お前はもしかして……「銀の乙女」なのか?」

「銀の……乙女?」


 颯懍ソンリェンが「烏」たちを見ると、彼らは一斉に頷くような素振りを見せた。それに対し、颯懍ソンリェンが納得したように首肯する。


「そうか……だから……」

颯懍ソンリェン様……?」


 颯懍ソンリェンは、改めて明霞ミンシャを抱きしめる。大切に、慈しむように。

 そして、彼女を横抱きにし、ゆっくりと立ち上がった。


颯懍ソンリェン様、あのっ……私、歩けます!」

「あぁ」

「だから、あの、下ろして……」

「断る」

「え……」


 颯懍ソンリェンは、侍る「烏」たちの中からシェンを見つけ出し、命令する。


「シェン、新しい馬車を手配しろ」

『了』


 シェンはすぐさま飛び立ち、ものすごいスピードで去っていく。

 そして、シェンと入れ違うように、春燕チュンヤンがこの場に到着した。


「こ、これはっ……!?」


 イェンとともにやって来た春燕チュンヤンは、この光景を目にするなり言葉を失う。だが、颯懍ソンリェンたちの姿を確認すると、腰が抜けたようにその場にへたりこんでしまった。


「なんかもう……いろいろ……情報過多なんだけど」

『頑張れ』

「いや、頑張れって……」


 「烏」がこんなに大集合しているだけでも目を疑うのに、更には、その中央で朴念仁の兄が嫁を横抱きにしている。


「こんなの、おとぎ話みたいじゃない」

『そうね。明霞ミンシャは死にそうになってるみたいだけど』


 ヤーがこちらへやって来て、おかしそうにそんなことを言う。

 なるほど、ここからでも、明霞ミンシャの様子がよくわかる。


明霞ミンシャは……私の想像以上に、兄様を好いてくれているのね」

『……とても、とても大切に想っているわ。そしてそれは、颯懍ソンリェンの方もね』

「えぇ。兄様は鈍感だから気付いてなかっただけ。とうの昔に認めていたのよ。明霞ミンシャは自分の花嫁だって。誰よりも大切に、そして幸せにすべき人間だって」


 暗闇の中でさえ、いや、だからこそ、明霞ミンシャの姿は誰の目にもはっきりと映る。

 滑らかな白い肌が柔らかな朱に染まり、澄んだ黒檀の瞳は、羞恥のためか強く閉じられていた。そんな彼女の姿を隠すように、颯懍ソンリェンの腕が覆っている。腕だけではない、その全身でもって。


「……なんて美しい銀の髪……って! もしかして……」

『そう。明霞ミンシャは、銀の乙女よ』

「銀の……乙女……。そうか、それで……」


 「銀の乙女」。

 それは、烏族にとっては女神のような存在。

 何故なら、烏族は一羽の稀有な烏と、清廉な銀髪の乙女の出会いから始まった、と言い伝えられているのだから。


「最初から「烏」の言葉が聞こえたのは、明霞ミンシャが銀の乙女だったから……」

『出会った時は、私たちでさえわからなかったのよ。でも、外の人間にもかかわらず私たちの言葉が理解できたこと、沈んだ灰色みたいだった髪色が、輝くような白に変化していったことで、やっとわかったの』

『更に輝きが増し、銀になるのは時間の問題だった』

『ちょっとイェン! 私のセリフを取らないでよっ!』

「はあああ……」


 すまし顔のイェンに、文句を言うヤー。

 彼らをぼんやりと眺め、再度視線をあの二人に戻す。


 颯懍ソンリェンは、相変わらず明霞ミンシャを抱いたままだ。そして明霞ミンシャは、その胸に顔を埋めている。


「なんにせよ……無事でよかった……」


 これから、やることは山のようにある。

 事後処理を思うと溜息をつきたくなるが、とりあえずは危機を無事に乗り切った。


「それにしても、あの第二皇子と側近、半端なく強かったわね……。あれに歯向かおうなんて、青龍皇国の第一皇子って身の程知らず」


 そんな毒をポロッと吐き出しつつ、春燕チュンヤンはこれからやって来るであろう馬車を迎えに行くのだった。

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