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紫黒の烏と銀の花嫁  作者: 九条 睦月


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23.それぞれの思惑

「皇都まで十分ほどという場所で、再び尾行がついた。第二皇子と側近を下ろした後は、二手に分かれたようだ。一方はあちらに、もう一方はこちらに。こちら側はすぐに撒いたが、あちらは宿までついていった。尾行していた者たちは、おそらく青龍皇国の影だ。それにしては能力が低いことから、私兵だと思われる」

「わかった。ご苦労だった」


 烏からの報告を聞き、颯懍ソンリェンは吐息する。


(私兵、か。……もしかすると、第一皇子が寄越したのかもしれない)


 会合での哉藍セイランの様子や口ぶりから察するに、兄弟仲は良くないのだろう。

 だが、哉藍セイランからは、兄を押しのけてまで王になろうという強い権力欲のようなものは感じられなかった。

 それでも、そうせざるを得ないものが彼にはある。


(青龍皇国の第一皇子は、悪い意味で潔癖だ。そして、身分至上主義。身分の高い者が低い者の能力を搾取することは当然だと考えている。現に、彼が上に立つ組織では、汚職が多いと言われている)


 哉藍セイランは、それを実感しているのだろう。そして、それでは国のためにならないと危機感を募らせ、立ち上がった。


「元々、そういった欲も少しはあっただろうが」

「そういった欲、ですか?」


 つらつらと考え事をしていた颯懍ソンリェンは、ハッとして我に返る。

 彼の側には、僅かに首を傾げる明霞ミンシャの姿があった。


(そうだ。明霞ミンシャがいることを失念していた)


 会合場所から巣へ戻って来て、勝峰ションフォンに諸々を報告した後、今後の話をするために明霞ミンシャと一緒に執務室に入ったのだ。

 部屋に入る前に哉藍セイランたちを送り届けた烏から呼び止められ、そのまま中に入って報告を聞いたせいだろう。彼女の存在をすっかり忘れていた。


(いや、だからとはいえ……)


 執務室では、大抵気を張っている。烏の仕事に油断は禁物だからだ。

 勝峰ションフォンと一緒にいる時だけは例外とも言えるが、それでもあまりないことである。にもかかわらず、誰かと一緒であることを失念するなど──


颯懍ソンリェン様?」

「あ、あぁ、すまない。明霞ミンシャが一緒にいたことを忘れていた」


 そう言った後、しまったと思った。

 存在を忘れていたなど、失礼すぎる。もし春燕チュンヤンがこの場にいれば、目を吊り上げたことだろう。

 しかし、明霞ミンシャは気分を害するどころか、ふわりと優しく微笑んだ。


「……怒らないのか?」

「怒る? どうしてですか?」

「忘れていた、など……」

「忘れてしまうほど、気を許してくださっているのでは……?」


 申し訳なさそうな顔をする颯懍ソンリェンの様子を見て、明霞ミンシャがおずおずと尋ねる。


(忘れてしまうほど、気を許している……?)


 言われて気付いた。


(そうだ。俺はもう、これほどまで彼女に気を許しているんだ)


 明霞ミンシャはもう、こちら側の人間。巣を大切に思い、「烏」を愛する、烏族の一員。

 彼女は、外からやって来たというのに、最初から「烏」の言葉を解する稀有な人間だった。

 強引に居場所を奪われ、追いやられ、それでも健気に前を向こうとする真っ直ぐな心根が、「烏」の中でももっとも扱いが難しいと言われたヤーの心を捕らえた。そんな「烏」を相棒にしても、彼女は何も変わらなかった。

 毎日屋敷を美しく保ち、美味しい食事を作り、洗濯や繕い物など細々とした家事をこなしながら皆に尽くす。彼女が作る食事を楽しみに、彼女の微笑みを目当てに、烏たちは仕事で無理な場合を除き、必ず巣に帰ってくるようになった。

 そんな明霞ミンシャだから、いつの間にか、自分でも気付かぬうちにそう思うようになっていたらしい。


「あぁ、そうだな。気を許している」

「……よかった」


 ホッとしたように笑う明霞ミンシャに、颯懍ソンリェンの顔にも笑みが浮かぶ。


「烏のお仕事では役に立てませんが、せめて一緒にいる時は……安らぎを感じていただきたいのです」


 妻として、そうありたい。

 その言葉は、まだ言えないけれど。


 颯懍ソンリェンは穏やかに微笑み、明霞ミンシャの頬をするりと優しく撫でた。まるで、夫が妻を愛でるかのように。

 明霞ミンシャの頬が、みるみるうちに朱に染まる。


「ありがとう、明霞ミンシャ

「いえっ……」


 颯懍ソンリェンは一つ咳払いをし、思いのほか甘ったるくなってしまった空気を一掃する。そして、濃紅こいくれないの瞳を強く輝かせた。


「あの男はすぐに動く。再び皇宮に呼び出されることになるだろうが、その時が勝負だ。……覚悟はいいか?」


 その言葉に、明霞ミンシャは静かに頷く。


「はい。すでにできております」


 颯懍ソンリェンは頷き、執務室から見える空に視線を遣る。明霞ミンシャはその隣で、同じ空を見上げるのだった。

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