19-2.信頼(2)
外に出ると、真っ暗で足が止まる。
建物の中ではうっすらと明かりが灯っていたので、うっかりしていた。
(明かりを取りに戻る? でも……)
明霞が踵を返そうとした時、少し離れた場所がぼんやりと光った。
(あれは……)
ぼんやりとした明かりが、少しずつ近づいてくる。
明霞は、それに吸い寄せられるように駆け寄った。
「走るな」
そう言われたそばから何かに躓き、体勢が崩れる。だが、明霞の身体は逞しい腕に抱えられ、事なきを得た。
「だから言っただろう?」
「申し訳ございません。……ありがとうございます、颯懍様」
これほど近くで彼の声を聞いたことがあっただろうか。
じわじわとせりあがってくる羞恥に、明霞はここが暗闇でよかったと思った。
といえど、颯懍の持つ明かりに照らされてはいるのだが。
(大丈夫。これくらいならわからないはず)
明霞は必死に心を落ち着け、颯懍を見上げる。
淡い光でもはっきりとわかる濃紅の瞳に見つめられ、せっかく落ち着きつつあった心が再び騒ぎ始める。
(落ち着け、落ち着いて、私!)
颯懍は、話があってここへ呼び出したのだろう。
何故この時間なのか、何故庭なのか、それはわからないが、話の内容が例の件であることは間違いない。
だとすると、明霞にとっては厳しいものとなる。にもかかわらず、二人きりであることに胸が高鳴る。
「明霞」
その声は、いつもと変わらず淡々としている。それでも、冷たいとは思わなかった。
淡々としていても、そこに感情があることに気付いたのはいつだったか。
花嫁とは認めないと言いながらも、見捨てずに巣まで連れていってくれた。
言葉は少ないが、いつもそれとなく気にかけてくれていた。
ちょっとした怪我に、大慌てで駆けつけてくれた。
わかりづらいけれど、情に厚い人だと思った。
冷静で、凛としていて、烏族のことを常に考え、皆を導くために努力を惜しまない人。
そんな彼に、少しずつ惹かれていった。
明霞が巣へ来てからは内勤の仕事に従事することが多かったが、まれに外の仕事に出ることもあり、その時は戻ってくるまで心配でたまらなかった。
颯懍は、いつの間にか明霞にとって、なくてはならない人になっていた。
「明霞」
「はい」
再び名を呼ばれ、明霞は応える。
(きちんとお話しなくては)
覚悟を決め全てを話そうと口を開きかけた時、颯懍がそれを制す。
「颯懍様……?」
「席を外していた間、何があったかはヤーからすでに聞いている。このことは、長、春燕、シェンにイェンも知っている。その上で、聞きたい」
颯懍の真剣な眼差しに、明霞は息を呑む。
「明霞は、どうしたい?」
そう問われた瞬間、明霞は何度も首を横に振り、絞り出すように言った。
言わなければならないとずっと頭を悩ませていたところに、こうして尋ねられたのだ。思いがほとばしり、止めることができなかった。
「私はっ……麗花の言うことなんて聞きたくありません! あんなこと、許されるはずがない。「烏」を私物化するなんて……。哉藍殿下の動向は、おそらく烏族内でも探っておられるのだと思います。でも、その情報をあの子に与えるなど言語道断、裏切り行為に他なりません。それに、父に無断で勝峰様か颯懍様と哉藍殿下が会えるようにするなど……それこそありえません! でも……っ」
改めて言葉にすると、恐ろしくなってくる。
麗花がやろうとしていることは、烏族にとっても国にとってもとんでもなく不敬なことであり、叛意とも取れる。
「仔空を盾にされると、どうしようもないな」
「……っ」
「明霞」
颯懍の声に、優しさが混じる。
彼は親指で、そっと明霞の口端を押さえた。
「そんなに強く噛むと、傷つく」
「……はい」
「……辛かったな」
「!」
颯懍の労りの言葉が、明霞の胸に深く突き刺さる。次の瞬間には、明霞は颯懍の胸に飛び込んでいた。
「颯懍様……っ」
「必死に抵抗したのだろう? ヤーが全部見ていた」
「……はい。でもっ」
完全に抗うことはできなかった。
それが情けなくて、悔しくて。
「弟に手を出すと言われれば、受け入れるしかない。俺が同じ立場でも抗えない」
颯懍は遠慮がちに腕を伸ばし、明霞の背を軽くトントンと叩く。まるで、幼子をあやすように。
「ですが……これは烏族への裏切り行為です。私はもう、ここには……」
「明霞」
その声に、ゆっくりと顔を上げる。
颯懍の表情はいつもと変わらず、冷静そのもの。しかし、その瞳はほんの少しだが、緩やかに弧を描いていた。
「お前がそこまで苦しんだということが、何よりの証拠だ。お前はもう烏族。俺たちの仲間であり、家族なんだ。だから明霞、お前がここにいることを認めない者などいない。……烏族は、信頼できない者を巣に置かない。お前は信頼のおける者。だから、ここにいろ」
“信頼”──言われて気付いた。これは、何よりも欲しかった言葉だ。
一番言ってほしかった人にその言葉を与えられ、明霞の瞳から一筋の涙が流れる。
「私……私は……巣にいたい……。皆の役に……立ちたいのです」
「わかっている」
堪えきれず、次から次へと涙が零れてくる。
はしたないと思えど、明霞は颯懍から離れることができなかった。
それでも、やっとの思いで離れようと身を起こすと、赤い瞳とぶつかった。息が止まるかと思ったが、更にありえないことが起こる。
「……!」
今度は、颯懍の方から抱き寄せられた。
彼の鼓動がすぐ側で聞こえるこの場所は、どこよりも安心できる。と同時に、途轍もなく心臓に悪い。
明霞は信じられない思いを抱えつつも、颯懍に身を委ねる。
こうしているだけで、幸せだと思った。
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