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紫黒の烏と銀の花嫁  作者: 九条 睦月


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19.信頼

 それから、謁見の間に戻り、どんな話をしたのか覚えていない。気が付けば、帰りの馬車の中だった。

 行きと同様に、颯懍ソンリェン明霞ミンシャ、シェンとヤーは同じ馬車、もう一台に春燕チュンヤンとイェンが乗っている。

 ヤーは巣へ戻ったように見せかけて、皇宮に潜んでいた。いつもは皆が黙っていても彼女だけはしゃべっていたりするのだが、今はそのヤーでさえ黙りこくっていた。


(私……あれから自分が何をどうしたのか、ほとんど覚えていないわ。何事もなかったように振舞えていたかしら? 颯懍ソンリェン様や春燕チュンヤンからは特に何も聞かれていないし、大丈夫だとは思うけれど……)


 窓の外を眺めながら、明霞ミンシャは考えを巡らせる。

 ──麗花リーファの要求に、どう応えるべきなのか。


 明霞ミンシャだけでどうこうできる話ではない。かといって、こんな私的な話を颯懍ソンリェンにしてよいものかどうかわからない。

 春燕チュンヤンに話したとしても、結局は颯懍ソンリェンに打ち明けた方がよいと言われるだろう。

 明霞ミンシャだってそれはわかっている。しかし、その勇気がなかなか出てこない。


颯懍ソンリェン様の手を煩わせたくない。でも、麗花リーファの言うことを聞かなければ、仔空シアの身が危険だわ。……どうしよう。どうしたらいいの……)


 すると、手の甲をツンと軽くつつかれた。見ると、ヤーが物憂げな顔で明霞ミンシャを見つめている。


(そうだわ。ヤーは……あそこで何があったのかを知っている。私たちの会話も聞いていたはずだわ)


 あの部屋に飛び込んできたのは、ヤーだった。

 麗花リーファには烏族の「烏」ではないと言ったが、それはヤーの身を守るためだった。


(ヤーがどうやってあの場所を突き止めたのかわからないけれど、来てくれたおかげで気持ちを立て直せたわ。本当に助かった。すぐに奥の方へ行ってしまったけれど、それはきっと麗花リーファたちを油断させて、目的を探るためだったのでしょう)


 だから、あそこでなされた会話は全て聞かれている。

 ヤーは何も言わないが、明霞ミンシャはそう確信していた。


(ヤーは、あの会話を颯懍ソンリェン様にお話するのかしら? ……するわよね。私だけでどうにもならないことは、ヤーだってわかっていると思うもの)


 まるで明霞ミンシャの真意を見定めるかのように、じっと見つめるヤーの羽をそっと撫でる。ヤーは気持ちよさそうに目を閉じるが、すぐにまた、真っ直ぐな視線を向けてくる。


(私からお話するのが一番なのよね。それはわかっている。だけど……こんなことを相談して、本当にいいのかしら? 烏族にとって害にしかならないのに。私、颯懍ソンリェン様に愛想を尽かされてしまうかもしれないわね……って! あぁ、私は自分のことしか考えていない! 嫌われていないとはいえ、好かれてもいないのだろうし、そんなことは二の次じゃない! 仔空シアのために、私がきちんとお話しなくては。例えそれで、烏族から追い出されることになっても)


 ヤーの羽を撫でる手が小さく震える。それを隠すように、明霞ミンシャはヤーに優しく微笑みかける。その様子を、向かいに座る颯懍ソンリェンが静かに見つめていた。


 *


 烏の巣に戻って来た後も、どこかうわの空な明霞ミンシャに、春燕チュンヤンは何か言いたげな視線を寄越す。が、明霞ミンシャはそれに気付く余裕などないし、気付いたところで応えることはできなかっただろう。

 いつもの春燕チュンヤンなら多少強引に、だが明霞ミンシャの負担にならないよう上手く聞き出すところだが、今回はそうしなかった。その代わり、彼女は兄に何度も目配せをする。

 颯懍ソンリェンはそれに対し何の反応も見せなかったが、兄妹の間で通じ合うものがあるのか、春燕チュンヤンが言葉を発することはなかった。


「疲れたでしょう。今夜はゆっくり休むといいわ」

「待って。まだ勝峰ションフォン様にご挨拶とご報告を……」

「挨拶は明日で大丈夫。報告は私と兄様でやっておくから問題ないわ」

「でも……」


 ともに勝峰ションフォンのところへ行こうとする明霞ミンシャを押しとどめ、春燕チュンヤンは彼女を部屋へ連れていき、早く休むよう言い聞かせる。そうせざるを得ないほど、明霞ミンシャの様子は明らかにおかしいし、また顔色も酷いものだった。

 ここまで言われてしまうと、明霞ミンシャも引くしかない。春燕チュンヤンの言いつけを守り、早々に休む準備を済ませ、寝台に横たわった。


颯懍ソンリェン様と春燕チュンヤンは、勝峰ションフォン様にあのことを報告するわよね……。春燕チュンヤンのあの様子だと、たぶんもう知っているわ。だからこそ、私からきちんと説明しなければと思ったのだけれど……)


 明霞ミンシャは頭を振り、ゆっくりと寝返りを打つ。


(でも、今の私じゃそれは難しいと判断されたのだわ。……なんて情けないのかしら。私がもっとしっかりすべきなのに。本来は、あの時のことを全てお話して、判断を仰がなくてはいけない立場だというのに。……麗花リーファの望みが叶えられるはずなどない。私はあの時、はっきりと拒絶すべきだった。けれど……)


 仔空シアを犠牲にはできなかった。手を出されるのがたった一人の弟だというなら、それがいかに許されないことでも呑むしかない。例えそれで、全てを失ったとしても。

 明霞ミンシャの意思は変わらない。だが、身を引き裂かれるように心が痛い。


(ここは、私を受け入れてくれるたった一つの場所なのに)


 いまや、烏の巣は、明霞ミンシャにとってどこよりも大切な場所であり、故郷となっていた。

 「烏」を含め、住人の全てを愛していた。だからこそ、はっきり拒絶できなかったことが辛い。


(私のしたことは、烏族に対する裏切りだわ)


 強く唇を噛みしめ、再び寝返りを打つ。眠れなくて何度もそうしているうちに、完全に目が覚めてしまった。


「ダメだわ。どうしても眠れない……」


 明霞ミンシャは身を起こし、窓辺に近づく。すると、コツンと小さな音が鳴った。


「……ヤー?」


 ヤーや他の「烏」が明霞ミンシャの部屋へやって来た時は、窓や扉をつついて知らせるのだ。しかし、夜にやって来ることはまれである。来るとすれば、ヤー。だが、それにしては控えめな音だった。

 明霞ミンシャはそっと窓を開ける。すると、そこにはシェンがいた。


「シェン? どうしたの?」


 シェンは、嘴にくわえていた紙を明霞ミンシャに渡す。


『これを』

「読んでいいの?」


 コクリとシェンは頷く。そして彼は、明霞ミンシャが紙を開くのを確認すると、そのまま飛び去ってしまった。


「あ……」


 仕方なく、明霞は広げた紙に視線を落とす。


<庭にいる>


 あまりにも簡潔すぎる内容に、目を丸くした。

 明霞ミンシャは庭の方を見るが、すでに外は暗くなっているためよく見えない。


 庭にいる。

 シェンが持ってきたのだから、相手は言わずと知れている。


颯懍ソンリェン様……!」


 明霞ミンシャは大急ぎで着替えをし、部屋の外に飛び出していった。

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