14.王の書簡
勝峰の執務室に向かったのは、颯懍と明霞、春燕、そして各々の相棒である。
「長、王からの書簡とは、いったいどのような?」
「当代の王は無精者だな。これを見てみろ」
勝峰が、雲嵐からの書簡を颯懍に渡す。ひととおり目を通した後、颯懍は同意するように頷いた。
「兄様、内容を教えてください」
颯懍は硬い表情で、その問いに答える。
「嫁いだ娘のご機嫌伺いだとさ。勝手に追い出したくせに、今更何を言っているのか」
「まったくだ。妃と末娘が無断でやったこととはいえ、たいした咎めもなかったしな。結果的には己の決定も同然となるのだが、わかっているのかいないのか。しかも、妹が姉に会いたいと言っているなど。自分で追い出しておきながら、会いたいなどありえぬ。明らかに矛盾しているというのに、その希望を叶えようとは……。妃と娘くらい制御できずにどうするか!」
勝峰はおかんむりである。
滅多なことで動じず、心穏やかな彼らしくない。勝峰のこんな表情は初めて見る。
明霞は、颯懍から渡された父からの書簡を読み、眉を顰めた。
(お義母様と麗花が私に会いたいだなんて、嘘に決まっているのに。そんなことさえお父様はおわかりにならないのかしら? いいえ、違うわね。勝峰様の言うとおり、面倒くさがったんだわ。断るとうるさいから、とりあえず希望を通したといったところね……。それにしても、何の用なのかしら? 本当に今更だわ)
「明霞、大丈夫?」
「……大丈夫よ。ありがとう、春燕」
『嫌なら無視すればいいのよ』
「ヤー、それはできないわよ」
心配する春燕とヤーに、明霞は苦笑しながら首を横に振る。
本当は、そうできれば一番いいのだが。
「勝峰様、私はどうすればよろしいですか? 私はすでに烏族の者、長の決定に従います」
明霞が顔を上げてそう言うと、勝峰は満足げに首肯した。
「さすがは明霞だ。嫁に来てくれたのがそなたで本当によかった。まったく、颯懍は何をもたもたしとるのか。さっさとまとまればよいものの」
「まったくもってそのとおりです、勝峰様!」
勝峰の言葉に激しく同意する春燕に、明霞は慌てる。
「今はそんな話ではないでしょう!」
『そんな話よ。そうそう、明霞が皇宮に行くのよね? なら、颯懍も一緒に行くべきだわ』
ヤーの言うとおり、ご機嫌伺いに出向くのはこちら側一択である。
皇族が皇宮を離れることは外交以外ほとんどないし、そもそも、皇族であれ烏の巣へ立ち入ることは許されない。
「ヤーの言うとおりだ。明霞を一人でやるわけにはいかぬ。正妃と第二皇女は何をしでかすかわからぬからな。大事な嫁に何かあってからでは遅い。……よいな、颯懍」
「ですが……」
「ですが、じゃないわよ、兄様! 初めての里帰りに夫が同行しないでどうするのよ!」
『そうよそうよ!』
「いや、そうはいってもまだ……」
『諦めろ、颯懍』
颯懍の無駄な足掻きに止めを刺したのは、シェンだった。
皇宮に行くなど、そして王や妃に謁見するなど、面倒なことこの上ない。それに、ご機嫌伺いなど実に白々しい。
だが、正妃と第二皇女が何をしでかすかわからないという勝峰の言には一理ある。もし明霞が一人で赴き、彼女たちによって心身ともに傷つけられでもしたら……。
(おそらく、俺はひどく後悔するだろうな)
『ねぇねぇ、私も一緒に行くわよ。当然だけど』
『離れて見守るだけなら構わないのではないか』
『そうだな。ヤー、外でおとなしくしてろよ』
『シェンもイェンもうるさいわよ! 私は明霞の相棒なんだから、側にいるに決まってるじゃない!』
『いや、それは……』
『いやいやいや、ないわー。お前、言うこと全然聞かないし!』
『はぁ? イェン、あんた生意気!』
『なんだよ、ほんとのことだろ!』
ギャーギャーと言い争う「烏」たちをよそに、明霞はこの場を静かに見守っていた。口を挟む余地がないとも言うが。
ここで明霞が言えることは何もないし、とにかく長の決定に従うだけだ。
しかし、ほんの微かな希望が胸をよぎる。
(颯懍様が一緒に来てくださるなら、これほど心強いことはないのに)
ともに来てほしいという願いと、迷惑をかけたくないという思いに揺れる。
そんなことをぼんやり考えていると、ふと颯懍と目が合った。が、その視線はすぐに逸らされる。
(やっぱりご迷惑よね。颯懍様にとって、私はただの居候のようなものだし)
内心しゅんと項垂れていると、いつもより早口で、しかも小声で言われた。
「明霞はどうなんだ? 俺が一緒にいた方がいいのか、それとも……」
「!」
聞き取りづらかったが、何とか聞こえた。
颯懍は、明霞の意思を問うている。つまり、明霞が望めば、ともに来てくれるということ──。
明霞は颯懍に向き直り、何度も頷きながら言った。
「私は! 颯懍様と一緒ならとても心強いです! 一緒に……来てほしい。私と一緒に皇宮に行ってくださいませんか?」
思いのほか大声で叫んでしまい、他の面々は目を丸くしている。
「そ、そんな大きな声を出さなくても……」
「皇宮は、私にとって安心できる場所ではありません。味方は仔空だけ。ですが、仔空だってギリギリのところで頑張っている状態で、私のことで煩わせるわけにはいかないのです。本当は、私に一人で戦える力があればいいのですが……残念ながら、私ではあの二人には太刀打ちできないのです。とても情けない話なのですが……」
「二対一なら、勝てなくても仕方がない。それに、あの二人の場合、単純に「二」でもないだろう」
「颯懍様……」
『それじゃあ、颯懍も一緒に行くってことで決まりね。私とシェンも控えているから、ドンと構えていればいいわよ、明霞!』
いつの間にか、明霞の側に来ていたヤーが元気よくそう言って、明霞の手の甲を軽くつつく。さらに、明霞の肩に飛び乗って、彼女の頬を一度だけ優しくつついた。
「ほぅ、ヤーがここまで懐くとは。たいしたものだな、明霞」
勝峰が髭を撫でながら楽しげに笑う。そして、最後に大きく頷いた。
「よし。それでは、明霞について行く者は、颯懍、春燕としよう。もちろん、他の者も影としてつけるから安心せよ。シェンにイェン、ヤーは控えではなく、側にいるように。周りに存分に睨みを利かせるがよい」
『御意』
『了』
『さすが勝峰ね! 誰一人勝手なことはさせないわ!』
鼻息荒いヤーに他の二羽は呆れているが、明霞からすれば、張り切っているヤーが愛らしくてたまらない。
表情を緩め微笑む明霞に、他の三人も安堵したように微笑んだ。
「最初から素直に行くって言えばいいのよ。本当は心配でたまらないくせに」
こそっと囁く春燕に、颯懍はそっぽをむく。
「本人が望まなければ、邪魔なだけだろう」
「……なんで望まないなんて思うのか」
「なんだ?」
「いーえ、何でもないわ」
はたから見れば、明霞が颯懍を頼りにしていることは明らかだし、なんなら好意も伝わってくるのだが。
(兄様ったら、こういうことには疎いというか、鈍いというか。しかも、自分の気持ちの変化にも気付いていないわよね、きっと)
先が思いやられる、と溜息をつく春燕だが、こればかりは周りがあれこれ言ってもどうにもならない。
「この件については、また後日改める。もう下がってよいぞ」
勝峰から声がかかり、三人は頭を下げる。
「それでは失礼いたします」
「お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「待て、颯懍だけ残れ」
「承知しました」
颯懍を残し、他は退出する。
閉じられた扉を少しの間眺め、明霞は背を向けた。
(お二人はいつもお忙しそうだわ。私にも何かお手伝いできればいいのだけれど……)
使用人の真似事はできても、それだけだ。今の自分では、間接的にしか力になれない。それがもどかしい。
(颯懍様にまだ認められていないからといって棚上げしていたけれど、やっぱりいけないわ。今からでも、伴侶としての務めを学び、実践していかなくては)
その件については、一番最初に勝峰から言われていた。だが、颯懍にその気がないうちは、と引いていたのだ。
烏族の内部事情まで知ることは、夫に妻と認められてから。そんな風に悠長に構えていたが──
(颯懍様は、夫として皇宮について来てくださるはず。私はいつまでも受け身でいてはいけない。自分の意思で、颯懍様の妻として隣に立てるようにならなければ。例え、認められていなくても。だって……私自身がそうしたいのだから)
楽しい毎日、穏やかな生活。十分な幸せを与えてもらった。
その恩を、少しずつでも返していきたい。
明霞の心に、強い炎が立ち上った。
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