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紫黒の烏と銀の花嫁  作者: 九条 睦月


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13.二人の関係

 烏の巣でもっとも大きな家は、もちろん長や次期長の住む屋敷だ。

 森の奥深い場所に存在するので、周りの景色は木々ばかりである。少し離れた場所に小さな湖もあるが、屋敷からは見えない。

 一応庭もあり、綺麗に整えられてはいるが、皇宮のように美しく手入れされているわけではなかった。それでも、季節ごとの花は咲いており、何もないよりは目を楽しませてくれる。

 明霞ミンシャの部屋として与えられたその場所からは、庭がよく見えた。


 皇宮で暮らしていた者からすると、随分と物足りないだろう。

 しかし、明霞ミンシャはあの場所では皇女として扱われてはおらず、部屋も使用人部屋のすぐ近くという、美しさとは無縁の場所だった。

 そういったこともあり、明霞ミンシャはその部屋をとても気に入り、おおいに喜んだ。


 冷遇されているのは知っていたが、ここまで素直に喜ばれると、迎えた側としても嬉しいものがある。

 明霞ミンシャは烏たちの小さな心遣いも見逃さず、それに対して礼を述べ、頭を下げる。烏たちは、今や誰もが明霞ミンシャを認め、慕っていた。そしてそれは、「烏」たちも同じ。

 彼女はもうすっかり、烏の一員となっていた。


『ねぇ、明霞ミンシャ

「なぁに?」


 明霞ミンシャは、繕い物をしながらヤーに応える。

 ヤーはトトトッと飛び跳ねながら明霞ミンシャのすぐ側まで近づき、彼女を見上げた。


颯懍ソンリェンとはもう番ったの?』

「え!? ……痛っ!」

『ちょっと、大丈夫!?』

「だ、大丈夫よ。針が刺さっただけだから」

『やだ、血が出てるじゃない! 手当てしないと!』

「平気よ。これくらい、よくあることだから」

『ダメよ! ちょっとした怪我が大事おおごとになることもあるんだから!』


 ヤーはそう言うなり、慌てて窓辺に行き、そこから飛び去った。


「ヤー!」


 きっと誰かを呼びに行ったのだろう。


「大袈裟だわ。ヤーったら……」


 明霞ミンシャは繕い物が汚れないように端に避けると、汚れてもいい布を探す。針で刺した怪我くらいなら、布でも巻いておけば血は止まるし、傷も塞がる。


「どこにあったかしら……」


 思いのほか深く突き刺してしまったらしく、どんどん血が流れてくる。

 傷口を見て、明霞ミンシャはふぅと溜息をついた。


(ヤーが変なことを言うから)


 確かに、ここへは颯懍ソンリェンの花嫁としてやって来た。

 しかし、肝心の颯懍ソンリェンにはまだ花嫁と認められたわけではない。


(でも、最近はよく話しかけてくださるようになったし、時々笑顔を見せてくださる。少しずつ信頼を得られているのではないかしら)


 最初は、明霞ミンシャに会おうともしなかった。会ってもチラリと視線を寄越すだけ。話しかけることなどない。

 颯懍ソンリェンが忙しいということもあるが、お互いどう声をかけていいのかわからないということもあった。


 しかし、明霞ミンシャが屋敷内で食事を作ったり掃除をしたりと甲斐甲斐しく動くようになり、他の烏たちとも打ち解け、はたまた「烏」の言葉を解することがわかり、「烏」の中でも気位の高いヤーが相棒となったことで、颯懍ソンリェンの警戒は徐々に解けていく。

 また、仔空シアとの再会によって、明霞ミンシャから完全に肩の力が抜け、表情が豊かになった。それにつられるように、颯懍ソンリェンもいろんな顔を明霞ミンシャに見せるようになり……。


 颯懍ソンリェンの笑った顔を思い出した途端、明霞ミンシャの頬が熱くなる。


颯懍ソンリェン様の笑顔って、屈託がなくて、なんだかこちらまで嬉しくなってしまうのよね。嘘がなくて、すごく安心できて……って! 私ったら!)


 我に返り、ますます顔が赤くなる。


(番うとは……夫婦になるってことよね。私と颯懍ソンリェン様、本当の夫婦になれる日はくるのかしら……)


 例え花嫁になれずとも、烏族は明霞ミンシャを受け入れている。生きていく場所はすでに確保できているのだ。だから、颯懍ソンリェンの花嫁という立場に固執する必要はない。


「でも、私は……」


 ヤーのあんな軽口に激しく動揺してしまうくらいには、颯懍ソンリェンのことが気になっている。

 颯懍ソンリェンのことをもっと知りたい。もっと話をしたい。もっと側に──。


「……っ!」


(私ったら、なんてことを……! 受け入れてもらえる場所があって、周りの人たちは皆優しくて、親切で、毎日が楽しくて……それだけで十分じゃない! なのに……)


 一つを得られると、もう一つが欲しくなる。そして、あと一つ、もうあと一つと増えていく。


「私、ここへ来てから欲張りになってしまったわ」


 ポツリと呟いた次の瞬間、部屋の扉が荒々しく開けられた。


明霞ミンシャ!」

「え? あ……颯懍ソンリェン様?」


 颯懍ソンリェンは遠慮なく部屋に入ってくるなり、明霞ミンシャの元へ。そして、彼女の腕を取る。


「あ、あの、颯懍ソンリェン様……」

「血が出ているじゃないか!」

「……!!」


 明霞ミンシャは驚きで固まってしまう。

 指先が、熱い。

 傷ついた指先には、颯懍ソンリェンの唇が押し当てられていた。


 今、目の前で起こっていることが信じられなかった。

 明霞ミンシャは硬直したまま動けず、しかし顔はどんどん火照ってくる。

 一方、颯懍ソンリェンは特別なことをしているといった意識はないようで、平然としている。


「痛むか?」

「いえっ、あの、あのっ」

「?」


 痛みなど、どこかへ吹き飛んでしまった。

 大丈夫だと言いたいのだが、混乱してしまい、どう答えればいいのかわからない。ひたすら「あの」だの「その」だのを繰り返す明霞ミンシャに、颯懍ソンリェンは訝しげな顔をしている。


(挙動不審な私を見て、颯懍ソンリェン様が変に思うのは仕方がないけれど! でも、それこそ仕方ないじゃない!? 動揺するなという方が無理よ!)


 混乱しすぎて目が回りそうだ。

 このままだと倒れそう! そう思った時、助けが入った。


明霞ミンシャ、大丈夫?」

春燕チュンヤン!」


 春燕チュンヤンが、箱のようなものを持ってやって来る。おそらく薬が入っているのだろう。

 明霞ミンシャの縋るような視線を受け、春燕チュンヤンはギョッとした。

 指先を針で刺したと聞いたので、それ用の薬を持ってきたのだが違ったのか? もっと大変な怪我だったのか?

 知らせに来たヤーを見ると、彼女は首を傾げている。なので、兄を見た。


「なるほど」

「何がなるほどだ、春燕チュンヤン


 颯懍ソンリェンの唇が不自然に赤い。これで全てわかった。

 春燕チュンヤンは呆れたように溜息を一つ落とすと、まずは明霞ミンシャの肩を軽く叩く。


明霞ミンシャ、落ち着いて。で、指を見せてくれる?」

「え、えぇ」


 おずおずと手を差し出す明霞ミンシャに苦笑し、その手を取ると、春燕チュンヤンは手際よく手当てを始める。

 血はすでに止まっているようだが、消毒をし、清潔な布を当てて包帯を巻いた。その後、颯懍ソンリェンの方を向く。


「兄様、この部屋に入ってきて何をしましたか?」

「何をって……」


 公の場でもないのに突然敬語で問われ、颯懍ソンリェンは言葉に詰まる。

 何をしたか? 颯懍ソンリェンは、改めて自分の行動を顧みた。


(ヤーが、明霞ミンシャが怪我をしたと知らせに来て、急いでここへ来た。返事も待たずに部屋に入ったのは悪かったが、非常事態だし仕方がないだろう。明霞ミンシャは少しぼんやりして、自分の指を眺めていた。指からは血が流れていて、それで俺は慌てて……)


 己の行動を順を追って思い返し、ようやく気付く。


(俺は……何をした?)


 何もかも無意識だった。流れる血を止めねばと思った。だから──


「やっと気付いた? 兄様の行いを咎める気はないけど、明霞ミンシャはきっと死ぬほどびっくりしたと思うわよ?」


 春燕チュンヤンが揶揄うようにそう言うと、颯懍ソンリェン明霞ミンシャにしおしおと頭を下げた。


「……申し訳なかった」

「い、いえ! そんな、あの、えっと、私が怪我をしたのが悪くて、だから、颯懍ソンリェン様は悪くないのです! 頭を上げてくださいませ! 私の方こそ本当に申し訳ございませんでした!」

「いや、もっと他にやりようがあったはずなのに、何も考えず失礼なことを……」

「そんなことはございませんっ」


 やれ自分が悪かったと互いに頭を下げ合う二人を見て、呆れたヤーが明霞ミンシャの肩に飛び乗り、口を挟む。


『いつまで謝りあってるの? どっちも悪いことなんてしていないじゃない。意味がわからないわ。血を止めてもらった明霞ミンシャ颯懍ソンリェンに感謝すればいいのだし、颯懍ソンリェンの行動は、番を大切にしているからこそじゃない』


 ヤーの言葉に二人は黙りこくる。

 ヤーのもっともな言い分に、春燕チュンヤンは笑いながら何度も頷いた。


「さすがヤーね。いいこと言う!」

『いいことも何も、普通のことでしょう? でもまぁ、さすが私ってことでいいわよ!』


 得意げなヤーに、明霞ミンシャ颯懍ソンリェンも小さくふきだす。

 そのとおりだと思ったので、明霞ミンシャ颯懍ソンリェンに笑顔を向けた。


「ありがとうございました、颯懍ソンリェン様」

「いや……まぁ……怪我は、するな」

「はい、気を付けます」


 言い方は素っ気ないが、明霞ミンシャの心は温かくなる。

 驚いたが、心配故の行動。

 たいしたことはないとわかっていただろうに、急いで来てくれた。躊躇いもなく傷口に唇を当て、血を止めようとしてくれた。皇宮にいた頃では考えられなかったことだ。

 颯懍ソンリェンは顔を背けていたが、紫黒しこくの髪から覗く耳が、ほのかな朱に染まっている。それに気付き、再び体温が上がる。


(ダメ、思い出したらまた……)


 そんな二人を見て、春燕チュンヤンが悪戯心をムクムクともたげていると、開いた扉から音もなく何かが入ってきた。

 ()()は、迷いなく己の相棒の元へ飛んでいく。


「シェン、何かあったのか?」


 入ってきたのは、颯懍ソンリェンの相棒「烏」のシェン。

 理知的な瞳を瞬かせ、淡々と言った。


勝峰ションフォンの元に、王からの書簡が届いた』


 その言葉に、この場にいる全員が顔を見合わせた。

いつも読んでくださってありがとうございます。

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