07.相棒
いつもより長めです。
「そんなことがあったのね」
すでにラオと言葉を交わしていたことを聞き、春燕がなるほどといったように頷く。颯懍は無言だったが、内心では驚いていた。
(すでにラオと話していたのか。彼女は仕方ないとして、ラオからも一言もないとは……)
颯懍を驚かすつもりだったのか、揶揄うつもりだったのか。おそらく両方だろうが。
曲者揃いの「烏」たちをまとめる長は、一筋縄ではいかない。勝峰でさえ、時にはしてやられてしまうほどなのだから。
「ラオが皆に口止めしたんでしょうね。イェンから何も聞いてないもの。兄様だって、シェンから聞いてないでしょう?」
「あぁ」
「イェン? シェン?」
「あぁ、烏族は一人につき一羽、相棒の「烏」がいるのよ。使役烏というのだけど、使役するというよりは相棒と言った方がいいわ。彼らは私たちの手足となって動いてくれるとともに、心の支えにもなってくれる存在だから。私の相棒はイェンっていうの。兄様の相棒がシェン」
「そうなのね」
春燕の話を聞いて、明霞は羨ましくなってしまった。
(心の支えにもなってくれるだなんて、本当に頼もしい。烏族の仕事は治世の暗部を担うものだから、心の負担も大きいでしょう……。だからこそ、一番近くで支えてくれる相棒が必要なのね)
そんなことを考えていると、春燕が思い出したようにパンと手を叩いた。
「いけない! 私、お茶の用意をしてくるわね。それと兄様、私のいない間に明霞を泣かせたら承知しないから!」
「なんでそうなる!」
「だって、兄様の言い方には棘があるんだもの。女性には優しく! いつも言ってるのに全然聞かないんだから。そんなに不機嫌な顔をしていたら、それだけで怖がらせてしまうわ。仏頂面を何とかできないのなら、せめて優しく丁寧に話すこと! わかった?」
「……」
「に、い、さ、ま?」
「わかったわかった! もうさっさと行け」
シッシッと手を振る颯懍を軽く睨み、明霞には笑顔を向け、春燕は部屋を出て行った。足音が遠ざかると、颯懍は肩を落とし、息を吐く。
颯懍は疲れたような顔をしているが、濃紅の瞳はどこか柔らかい。なんだかんだ言って、仲の良い兄妹なのだろう。それも羨ましい。
「なんだ?」
「え? ……も、申し訳ございません!」
じろじろと見すぎてしまった。
颯懍と視線が合い、なんだと尋ねられて初めて気付く。
(不躾で失礼だったわよね。ご機嫌を損ねてしまっていたらどうしましょう……)
明霞は深く頭を下げ、身体を固くした。緊張で心臓がドクドクと音を立てる。
「ちょっとお異母姉様! まだ終わってないの? 本当に使えないんだから! 私が戻ってくるまでに終わらせておくよう言ったでしょう? どうしてできてないのよ!」キンキンと頭に響く甲高い声。
「こちらへ来なさい」と冷たい声の後には、床に何かが叩きつけられる音がする。義母が鞭を取り出したのだ。
「お母様、今日は私がやるわ。私の命じた仕事をこなせなかったのだから、私が罰しなければ」ニィと歪む異母妹の口元。
怖い。人を傷つけることに何の躊躇もないこの二人が、誰より何より恐ろしい。
明霞が強く瞳を閉じた瞬間、強引に上を向かされた。明霞の目に、美しい紅が映る。
「あ、あ……」
何と言っていいのかわからない。どうすればいいのかわからない。言葉が、出てこない。
颯懍の強い視線に捕らわれ、全く動くことができない。仮に動けたとしても、視線を反らすことは難しい。
何故なら、颯懍の指が、明霞の頤にかけられているからだ。
「何故謝る? お前は、謝るようなことは何一つしていない」
「で、ですが……颯懍様をご不快にさせてしまい……」
「不快になどなっていない。……俺は怒っているわけじゃない。この顔は生まれつきだ」
「そ……そうでしたか」
颯懍は明霞の頤から手を離し、フイと顔を背けた。行き場をなくしたその手で頭を掻く。見事な紫黒の髪が、大きく揺れた。
「お前が簡単に頭を下げる理由や、その背景を知らぬわけじゃない。だが、安易に謝るな。理不尽に慣れるな。自らの誇りを捨てるな」
「……」
「お前は俺を見ていただけだ。それでどうして謝らねばならない? 謝る必要がどこにある? ないだろう?」
「……はい」
声が震える。
泣いてはいけない。しかし、込み上げるものを堪えることができなかった。
頬を伝うひと雫、明霞は慌ててそれを拭う。
その時だった。
「痛っ!」
「颯懍様!」
一陣の風が吹いたかと思うと、黒い影が颯懍目がけて突進し、彼を攻撃したのだ。
『何泣かせてんのよ!』
「おい! ご、誤解だ、ヤー!」
『誤解されるような言い方をするのが悪いんでしょ! このっ、このっ!』
「痛い! やめろ、ヤー!」
明霞は目の前に光景に唖然としていた。
いつの間にやらヤーが颯懍の周りを飛び回り、彼の頭や身体をつつき回していたのだ。鋭い嘴でつつかれるなど、さぞ痛かろう。なのに、ヤーは一切容赦がない。
『ったく、この馬鹿! 朴念仁!』
「俺は間違ったことは言っていない!」
『ものには言い方ってもんがあるでしょう! 春燕にあれほど口酸っぱく言われていたのに!』
どうやらこの「烏」は、明霞のために怒ってくれているようだ。
颯懍は、ヤーを避けるためにあちこち駆け回るものの、ヤーは攻撃の手を緩めようとしない。
(私の涙のせいで誤解させてしまったんだわ! 違うの! 悲しいのではなくて……)
明霞は興奮しているヤーにも聞こえるよう、大声で叫んだ。
「私は! 嬉しかったのです!!」
その瞬間、颯懍とヤーの動きがピタリと止まった。
ヤーは首を傾げ、明霞に尋ねる。
『え? 泣かされたのに嬉しいの? なにそれ? 明霞ってそういう性癖があるの?』
「せっ……」
なんてことを言うのだ、この「烏」は。
明霞は顔を真っ赤にして、ブルブルと首を横に振った。
「ち、違うから! 颯懍様は正しいことをおっしゃってくださったの! 理不尽に耐えるのはおかしいって! 悪くないのに謝るなって! 私、それが嬉しかったの!」
『明霞……』
ヤーは明霞の元へ飛んできて、肩にとまる。そして、嘴で優しく彼女の頬をちょん、とつついた。
「でも、心配してくれたのよね? ありがとう、ヤー」
『あ、当たり前でしょう! あなたはここへ来たばかりの新参者だもの。私が守ってあげなきゃいけないって……そう思ったのよ』
そう言って、ヤーは明霞から顔を反らす。
照れているようで可愛い。明霞から思わず笑みが零れた。
そんな二人に、颯懍は目を見張る。
(「烏」の言葉がわかるだけでなく、認められるとは……)
相棒として認められるには、様々な要因がある。
強さであったり、優しさであったり、誠実さであったり。それは「烏」の個性や性格による。
ヤーは気位が高く、指示に従う人間も限られる。特に同性には厳しく、相棒を選ぶなら男だろうと皆が思っていた。──それなのに。
「ヤーは優しいのね」
『そうよ。私は優しいの』
「ふふ。綺麗で優しいなんて、女の鏡ね」
『それこそ当たり前でしょう? 私の名前は「雅」なのよ!』
「その上、頼りになるって春燕が言っていたわ」
『そう! 私は頼りになるの。美しい上、仕事もできて頼りになる。完璧ね!』
「すごいわ」
『仕方がないから、これからは私が明霞を守ってあげる』
なかなか相棒を決めようとしなかった気位の高い「烏」が、ついに決めた。それが、まさか巣にやって来てまだ間もない皇女とは──。
(いや、「元」皇女か。それに、彼女は元々そんな扱いはされていなかった)
正妃とその娘に虐げられていたからこそ、理不尽に慣れ、頭を下げることに慣れすぎてしまっていた。そんな場面を、颯懍も幾度も目にしていた。
何も感じないはずはない。
烏として、仕事に私情は挟まない。どんな理不尽なこと、どんな残酷な場面に遭遇しても、心を無にし、非情に徹しなければならない。それでも、心の奥底では煮えたぎるものがある。
だから、その思いがつい口をついて出てしまったのかもしれない。
(だが、その感情をそのまま相手にぶつけるなど、大人げなかったな)
しかし、明霞は言ったのだ。
「嬉しかった」と。
そう言って、笑みを見せた。
(おかしな女だ。まったくもって、皇女らしくない)
肩を竦め呆れながらも、颯懍の口元は緩やかな弧を描いていた。
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