空
空を飛ぶってどういうことですか
『空の花』
夏の空は、どこまでも青く澄んでいた。
赤い複葉機が、その広大なキャンバスをゆっくりと昇っていく。
エンジンの低い唸りと、風を裂く音だけが世界を満たしていた。
七海は、ドアの縁に立っていた。
風が頬を叩き、ノースリーブのシャツがはためく。
背中にはパラシュート、胸には鼓動。
足元を見下ろせば、街も山も点のように小さい。
彼女は一度だけ深呼吸した。
肺の奥まで冷たい風を吸い込んで――そして、笑った。
「行くわよ」
声は風にかき消され、誰の耳にも届かない。
それでも七海は、迷いなく飛び出した。
――世界が、ひっくり返る。
風が全身を打ちつけ、肌を裂くような冷たさが走る。
だが、痛みよりも先に来たのは歓喜だった。
空が、自分を抱きしめている。
青が、光が、音もなく彼女の中に流れ込んでくる。
「こんなに自由なこと、あるんだ……」
風に乗った声が溶けて消えていく。
ゴーグルの奥で目尻が濡れた。
それは恐怖ではなく、ただ生きているという実感の涙だった。
七海は両腕を広げる。
指先から、風がすり抜けていく。
落下の感覚は、もう怖くない。
むしろこのまま、空の一部になれたらいいとさえ思った。
しかし、背中のパラシュートの重みが現実を思い出させる。
この瞬間は永遠ではない。
人は空を愛しても、地上に帰らなければならないのだ。
七海は静かにコードを引いた。
「……」
風の音が柔らかく変わる。
白い布が花のように開き、身体が空中でふわりと止まった。
赤い複葉機が遠くで小さく旋回している。
夏の陽射しの中で、白と青と赤が溶け合うように広がっていく。
「また、飛ぼう。」
七海は呟き、微笑んだ。
それは約束のようでもあり、祈りのようでもあった。
空は、ただ静かに彼女の声を受け止めていた。
そしてその日、
空に咲いた白い花は――
しばらくのあいだ、消えずにそこに浮かんでいた。
終わり
飛んだ後でも私は私




