Lv15以上
そこは、鬱蒼とした森だった。
木々は高くそびえて広い葉が太陽の光を遮り、地表には薄暗さが漂う。耳を澄ませば、風が枝を揺らす音がわずかに聞こえる程度で、生物の鳴き声など気配は感じられない。
時刻は……おそらく午前中だろう。
シエルが時刻や暦などのロードに失敗しているため、正確なものはわからない。部屋の中にあった機械式の腕時計に適当に10時位に合わせる。
(……正午の影とかで、多少は補正できるかもなしれないが)
この世界が一日24時間とは限らないのでそもそも時計が使い物にならない可能性もある。
探索を始める前に、出てきた場所に目を向ける。
それは朽ちた遺跡といった感じだろうか。人工的な直方体の構造物。それが木々や蔦などにより覆い隠されていた。外観からは中が清潔で高度に文明的な空間になっていることは想像できないだろう。
周囲に溶け込んでいるから他人に見つけられて悪用されることはないだろう。一応セキュリティとして俺の生体情報がないと扉が開かないらしい。
ただ、ここを拠点にして探索を行うということはここにまた戻ってこれないといけない。
周辺を見渡すがに目印になるようなものはない。
「マップ機能みたいなものはないのか?」
「そうねぇ。元々のデータはないけど、ゼロからマッピングしていくってのなら可能ね。」
眼前に四角い画面のようなものが表示される。
「とりあえずこの拠点は赤い点で表示しておくわね。方位は地磁気がありそうだから、それを基に仮の北方向を設定して、と。」
一応それらしいことをしているように見える。だが、信頼しきるのは危険だ。
ある程度の距離を移動したら一旦戻ってマップ機能の信頼度を確認する必要があるだろう。
とりあえずの探索を始めたシンは、警戒を怠らずに森を進む。だが、視界は決して良くない。足元の落ち葉や木の根に気を配る必要がある上、未知の敵が潜んでいる可能性もある。
(……盾でも用意したほうがよかったかもな)
そんな思考が頭をよぎり、その場で立ち止まり、顔を上げる。
(樹上からなら、周囲を見渡せるかもしれない)
俺が使える魔法は身体強化と操作魔法だが身体強化といっても肉体の能力が向上するわけではなく、体の周りに膜を形成して、その膜がダメージを吸収してくれるといったものだ。膜を硬化して攻撃に使うことも可能かもしれないが、それなら武器を使ったほうがいいだろうという判断で、そういった特訓は行わなかった。
普通に木登りしていってもいいが、折角だから操作魔法を試してみるとするか。
操作魔法――訓練で身に着けたそれは自分に本来ない”腕”を操作して物体に干渉するようなものだった。
といってもあまり重量のあるものは”腕”一本では操作できないが、本数を増やすことで人ひとり分の重量を動かすことは可能だった。
シンは操作魔法を発動し、30メートルほど上にある太い枝を”2本の腕”で掴む。
(このまま、――引き上げる)
跳躍と同時に“腕”が身体を引き上げ、ワイヤーアクションのように宙を駆ける。そして、軽やかに樹上へ到達する。
その高さから見える風景は、見渡す限りの森。
どうやらここは低い山の中の森のようだ。西のかなり遠くに見える景色に平野のようなものが見える。まだはっきりとは見えないが、そっちの方向に向かうとする。
どうせ進むなら、樹上のほうが視認性は高い。どちらが危険なのかはわからないが、地上ではなく、樹上を移動することにした。
操作魔法で枝を掴み、跳躍。次の枝を掴んで減速。まるで森を駆けるスパイダーマンのように、無音で樹々を渡っていく。はじめは幾度か枝を揺らしてしまったが、5分もすれば慣れて音も消えた。
体術の応用と操作魔法の複合。訓練で試しており、今の彼にはそれができる程度のスキルがあった。
「ふふ。特訓の成果は上々みたいね。なかなか応用力もあるみたいだし。」
「まあな。いくら魔法が使えるようになったといっても身体能力自体は生身の人間のままならヒグマには勝てなかったから、色々と試したんだ」
ちなみにシエルの移動はどうしているかというと、存在するための核のようなもの、見た目は宝石のような、を腕輪に格納して装備することで一緒に行動可能なそうだ。
本来はペンダントだったのだが、チェーンがチャラチャラとするのも鬱陶しいだろうし、人目から隠すときなどに服の内側にしまったりするときなど、肌に触れてしまう可能性があるのがなんとなく嫌だった。腕輪はクラフトボックスで作成した、飾り気のない鋼鉄製の武骨なものだ。
ちなみにこの宝石は基本的には破壊不能なほどの硬度らしく、それなら致命的な攻撃をこの腕輪で防ぐこともできるかもしれない。
数分移動してまた拠点に戻ったり、違う方向に移動したりしてマップ機能の挙動を確認する。
とりあえず現時点では問題なさそうだ。目視で平野や周辺の地形などから推測ではあるものの、ある程度の情報を表現していて、それなりに使えそうだ。
――そして、マップ機能の検証を終えて本格的に西に向けて20分ほど移動を続けたところで。
シンの背筋を、何かがぞわりと撫でた。
「……っ」
動きを止める。
視界にはまだ何も見えない。しかし、何かがいる。そこに“何か”の気配が、確かに存在していた。
魔力。だろうか。
自分が操作している無色透明な魔力とは、明らかに違う。
今感じているこれは、緑色のようだが、濃密で……圧がある。
双眼鏡を慎重に取り出し、視界を下に向ける。
視線の先――地上に、それはいた。
身長はおよそ130センチ。緑色の肌に、わずかに曲がった背。尖った耳と鋭い爪、牙、そしてこん棒のようなものを携えた、いかにも“それらしい”姿。
(……ゴブリン、か?)
だが世間一般的に初心者向けと言われるゴブリンのイメージとは裏腹に、表示されたステータスは驚愕だった。
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【対象:種族不明】
**推定Lv:15以上**
**戦闘評価:No Data**
**解析不能・情報不足**
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(……は?)
しばらく思考が停止した。
(Lv15“以上”? はぁ?)
突如として現実が、ゲームや小説などのテンプレを破壊してくる。
(おかしいだろ……こんなの“最初の雑魚敵”じゃねえのかよ……)
だが、目の前のそれが放つ魔力の“質”は、たしかに自分より強い存在であるように感じられる。
シンの現在のレベルは5。ヒグマですらLv6。
レベル10以上の差――それはシエルが“撤退を勧める”ライン。
だが、相手は現在一体。周辺に他の魔力の気配は感じられない。
こちらから仕掛ける気にはならない。本能は逃げたがっていたが、まだこちらに気付いている様子はなく、移動するのもリスクがある。
森に満ちる緊張感。呼吸を潜め、身じろぎひとつせずに樹上の枝に伏せる。
ゴブリンはこちらに一切気を向けずに視界内を移動していき、そして気配を感じられない位置まで移動したようだ。
(くそ、――一旦撤退する)
シンは操作魔法を慎重に駆使し、無音でその場を離れる。
数分来た道を戻り、一旦安心だろうと足を止める。緊張とともに大きく息を吐きだした。
異世界の洗礼は、思ったよりもずっと過酷だった。