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 アシュレイは「少し拝見しても?」と、書類の端にそっと指を添えた。私は「もちろん、どうぞ」と頷く。

 彼がそれを手に取り、じっくりと目を通していく様子を、私はそっと見守った。

 

 守らねばならなかった。

 周りの教員(ハイエナ)たちから。

 

 いまやアシュレイは〝観測局からきたうさんくさい人形みたいな青年〟ではなく、〝自分たちの負担を圧倒的に減らしてくれる救世主〟と化していた。

 

 じり……じり……と私たちの周りに教員たちが集まってくる。私は目で牽制し、ときに首を振って威嚇した。ダメです、ダメです。この人は私の補佐。わ・た・し・の、ほ・さ! しっしっ!!

 

 アシュレイは一通り書類を読み終えると、こちらを見て告げる。


「魔力測定記録を自動集計する構成術式も組みますか?」

 

 組む…………。

 

 しかしその瞬間、ハイエナたちが動いた!

 

「ソーンヴェイルくん、属性魔法論担当のライルズです。ところでさっき言ってたグラフの件だけど、属性転調の癖なんかも反映できる?」

「ソーンヴェイルくん、うちの四年生が課題で魔導測距環の回路を全部吹き飛ばしましてね!? 再調整したいんですが、人手が──」

「ソーンヴェイル氏、熱応答式の触媒保護シート、展開できたりする? 式書ける? ねぇ式は書ける!?」

 

 おい、やめろ!

 

 やいのやいの、机の周りで押し合いへし合いする教員たちからアシュレイをかばいながら、私は声を張り上げた。

 

「校長……! アップルトン校長ーー!!」

 

 さすがにもう回復しているだろう、うちのトップを頼るしかない。気が弱くて、お茶目で、茶葉に目がない、そんな人だけど……それでも! うちの指揮系統で一番上なのだ。ビシッと止めてくれるはず!


 トップの姿はすぐに見つかった。

 

「ソーンヴェイルさん、間もなく実施される学校行事の終了後、教育庁に提出する〝式典運営記録〟というものがありまして……」

 

 混ざるな。

 

 アシュレイはそんな周囲の様子に、しばらく目を白黒させていたが、不意にふっと、表情を緩めた。


「……お役に立てそうですか?」

 

 立てるーーっ!

 

 教員たちが見事にハモったその直後、新しい紅茶を携えて戻ってきたホルステッド先生が、ハッと鼻で笑う。冷たい響きだった。


「やけに殊勝で、献身的じゃないか。……どんな理由があってのことだか」


 周囲の教員たちは、自分たちがつい数分前まで同じことを思っていた事実をあっさり棚に上げ、ギンッ……! と一斉にホルステッド先生を睨みつける。

 どうやら彼らの記憶は、五分単位で更新されるらしい。


 アシュレイは、その言葉にわずかに目を伏せた。


「……私もかつて、ここで学ばせてもらいましたから」


 銀糸のような睫毛が、少し震える。どこか憂いを帯びたその表情は、思わず抱きしめたくなるほど、どこか切なくて、寂しげだった。


「アシュレイきゅん……」


 カチャッ。


 ホルステッド先生がまたカップを取り落とす。


 いや、きゅん……でパリン……じゃないよ! 割らないでよ! それも私のカップじゃないか! お気に入りのやつ! 銀の星模様の可愛いやつ!

 

 そ、それに、私だってまだ、『アシュレイ』って名前では呼んでいないのに……。

 

「ソーンヴェイルさん!」

 

 私は勢いよくアシュレイを見据えた。

 

「ソーンヴェイルさんは私の! 私の補佐なんですから! 他に目移りなんかしたら絶対、絶っっ対駄目ですからね!」

 

 みんな調子の良いこと言っちゃって。いや、正直言うと嫌いじゃないけど、それとこれとは話が別だ。

 アシュレイは()()〝補佐の臨時講師〟である。彼には彼の時間があるし、余計な仕事まで請け負う義理なんかない。羨ましがるくらいなら、最初から手を伸ばしておけば良かったものを……。それでもあげないけど!

 

「はい」

 

 アシュレイが素直に頷く。

 その顔は最初、少しの驚きを浮かべていたが、次第に目元がふわりと和らぎ、まなじりが紅くなり、夢かうつろか蕩けるように微笑んだ。

 

「……はい。勿論です。ベネット先生」

 

 ピタ、と、謎に外野の喧騒が止む。

 なぜ? いや、そんなことはどうでもいい。


――今しかない! 

 

 私はアップルトン先生に畳みかける。

 

「校長! 本日の職員会議の議題は、ソーンヴェイルさんの着任報告と担当科目、それから補佐内容の周知で間違いありませんか?」


「え゜? あっ、えーと……生徒への情報開示についても触れておいた方が良いかなっ! 身分や所属は最小限で、あくまで〝臨時講師〟ということで通してもらえると……」


「かしこまりました。他には? 設備使用や情報取扱に関しての、制限あるいは優遇措置の確認など、特記事項はありますでしょうか?」


「あっ、はいはい! ソーンヴェイルさんには地下宝具室への立ち入り許可が出ています! 王国認定防衛魔術師資格の保有者だからね。ベネットくんと同じで!」


「承知いたしました。……皆さん、今のやり取りで必要事項は共有されましたね? それでは、以上をもちまして、本日の会議は終了ということでよろしいでしょうか……!」

 

「良いと思いまーす、ふぅ、胃が痛くなる会議だったね。皆んな、帰ろう帰ろう。帰れる人は」

 

 アップルトン先生がぽやん、と空気をぱやぱやさせている間に、私はアシュレイの腕を「失礼!」と掴む。

 

「それでは、私たちはこれで失礼します!」

 

 これで逃げ切れる!

 

 ……と思いきや、教員(ハイエナ)たちは存外しつこかった。

 

「待ってベネット氏! 独り占めは良くないと思わないか!?」

「人手が足りないのはこっちも同じなんですよー。そりゃ今の君に比べたら暇そうに見えるかもしれないけどさ」

「リリー先生〜、またティーカップ、一緒に買いに行きましょうねぇ。私も食器を見たいから」

 

 私はティアナ先生にだけウィンクを返す。

 そして、壁際で静かに佇んでいたゼベル先生に、目でそっと謝意を送った。今日の午後、授業をまるごとお願いしてしまったのだ。先生は一つ、頷いてくれる。

 そのまま、アシュレイの腕と彼のバッグをまとめて引き寄せ、南側の壁の一部に突進する。

 

 が、尚も追い縋る教員たちに、内心で悲鳴を上げかけたその時。


 彼らの足元に、シュルシュルと細い蔓が巻きついた。さらに、踏み出そうとする者の目の前には、ポンッ! と大きな花が咲いて、行く手を塞ぐ。

 

「ベネットくん、行きなさい。ソーンヴェイルくん。またゆっくり話そうネ」

 

 困ったときのグランマリュエ先生である。

 

「はい」

 

 アシュレイが頷いたのを確認してから、私は壁に()()()ドアノブに手を伸ばし――勢いよく開け放った。


* * *


――目の前には、学園の全景が、まるで絵画のように広がっていた。

 

 ビュウ、と横から吹きつける風に、私は思わず髪を押さえる。なるほど、今日はここに繋がったらしい。――学校でいちばん高い場所。時計塔の最上層、アーチ型の開口部に囲まれた、吹きさらしの展望台だ。

 

 手すり越しに周囲を見渡し、状況を確認しているうちに、私は知らず、眼下の光景に息を呑んでいた。

 

 赤く尽きゆく空の下、尖塔の林立する校舎群が静かに佇む。鋭く天を突く屋根には灰青色の鉛板が葺かれ、各所の窓には細やかな装飾(トレーサリー)が刻まれていた。

 

 石造の回廊が棟と棟をつなぎ、十字形に切り分けられた中庭の中央では、噴水が西陽を浴びてきらきらと飛沫を跳ね上げている。

 円形に広がる実技演習場と、透き通るガラスの温室。その屋根から垂れる蔓草の合間に、魔法灯が一つ、また一つと灯りはじめる。

 

 さらに遠く、湖は夕焼けを映して、豊麗と広がっていた。入り組んだ入江の輪郭に沿って、金の光が細い絹糸のようにきらめき――その向こうでは、なだらかな山並みが、すでに青紫のシルエットを描いて、夜とのあわいで揺れている……。

 

――綺麗だな……。

 

 ミーティングルームの出入り口は、非対称構造だ。出口はいつも〝時間的にもっとも効率のいい場所〟へ自動で繋がる。例えば、授業が迫っていれば、教室の裏廊下に。資料が必要な場合は、資料塔の裏口に。副校長に呼ばれていれば……そう、なぜか副校長(かのじょ)の教室前に直結する……。 

 

 今回の出口がこの展望台だったということは、私の中にあった『誰にも追いつかれない場所へ』という強い気持ちが〝結果〟となったのだろう。


 

「……あっ」


 まだアシュレイの腕にしがみついたままだったことに気付き、私は慌てて彼から身を離した。

 

 けれど、当のアシュレイはまったく気にした様子もなく、さっきまでの私と同じように、ただ黙って学校の全景を見つめている。

 その横顔は、どこか見惚れているようでもあり、まるで、思い出に触れているようにも見えた。

 

「……職員室(ミーティングルーム)って」

 

 アシュレイが呟く。

 

「こうなってたんだ……」

 

――そう。

 

 そう……!

 

「……そうなんです! 驚きましたよね、私も最初は本当にびっくりしました。ミーティングルームって、生徒だった頃はほとんど無縁でしたし、そもそもどこにあるかも知らなくて……、あ、ソーンヴェイルさんは今日、どうやって入りました!? どの彫刻が動いた!?」

 

 気付けば、言葉が先にこぼれていた。

 

「私はフクロウです。フクロウが瞬きをしました!」

 

 次いで、胸に不思議な熱が込み上げる。

 アシュレイは、夕日に眩しそうに目を細めながら、ふっと微笑んで答えてくれた。

 

「私は狼でしたね。かなり通路の奥まで行かされたので……正直、このまま消されるのかと疑いました」

 

「け、消され……、物騒だな……! あ、や、で、でも、私も最初案内していただいたとき、からかわれてるのかなと思いました。あれ、魔力認証式になっていて、教職員として魔力を登録していないと入れないんです。しかも〝いつ〟〝どこが〟入り口になるかもその時々で変わるから、動く彫刻も違って……私も全部は把握できていないんですよね。あ、一番珍しいのはリスだそうです。大きな葉っぱの後ろから、ちょこっと顔を出してきてくれるんですって」

 

「それは、可愛いですね」

 

「はい! でも、簡単な打ち合わせ程度なら教室や講義室で済ませてしまうことも多いし……リスの道は、思った以上に遠いかもしれません」

 

「……リスの道」

 

「そう、リスの道」

 

 私とアシュレイは顔を見合わせた。

 そしてそのまま、お互いにふっと吹き出し、声を上げて笑い合う。

 

――かつて同じ場所にいて、でもそこでは共有できなかったものを、大人になった今、こうして共に見ている。それが不思議でたまらなくて、心がくすぐったくてもどかしいような、言いようのない嬉しさがある。

 

 ひとしきり笑った後、私は目尻に浮かんだ涙をそっと拭い、アシュレイに声をかけた。

 

「それにしても、さっきは、その……大変でしたね。副校長先生がいてくださったら、また話は違ったんでしょうけど……」

 

 副校長のセレディス・クロード先生は、冷静沈着で、効率をなにより重んじる方だ。一見すると冷たい印象を与えがちなものの、実際は周囲をとてもよく見ていて、ああいう場面では必ず場をまとめてくださる。

 

 そんなセレディス先生は今、関係各所を飛び回りながら、根回しや人事交渉に奔走してくれているのだ。

 というのも、魔法社会の教員不足は年々深刻になっていて――ロズリンも、まさにその渦中にあったから。……特に、今は。


 アシュレイはふと考えるように目を伏せた後、「……副校長()、セレディス先生?」と聞いてくる。

 

「ええ」

 

 私は頷いた。

 

 私たちがこの学校に在籍していた頃と変わらず、アップルトン校長も、セレディス副校長も、今も同じ肩書きで学校を支えてくれていた。

 

「……」

「……」

 

 沈黙が落ちる。けれど、気まずいものではない。

 躊躇いのような、足先に力を込めておきながら、結局そのまま踵を下ろしてしまうような。一歩踏み出す前の静けさだ。

 お互いに言いたいことは分かっていた。ただ、どう切り出せばいいものか、それだけが分からない。

 

 考えあぐねた末に、私はひとまず、一番伝えておきたかったことを口にした。

 

「あの、ソーンヴェイルさん。昼休みの件は、本当にありがとうございました。私一人では……」

 

 言い切る前に、アシュレイは首を横に振る。

 

「いえ。どうか気になさらないでください。私がいなくても、ベネット先生なら対処できたはずです。……余計なお節介だったかもしれませんが、あの時は、つい」

 

「あ、いえ、本当に……ありがとうございます」

 

「いえ、その……どういたしまして」

 

「……」

「……」

 

 ど、どうしたものか……!

 私は頭の中で、会話の糸口になりそうなトピックを片っ端から並べていた。業務関連、雑談、過去の話題……これは真面目すぎる、それは軽すぎて、あれは少し踏み込み過ぎか、そこをわざわざ掘り返さなくても……! と、頭の中が猛回転する中。


 不意に、アシュレイが口を開く。


「ロズリン魔法学校の教員の就業時間は、午前八時から午後五時までで、間違いありませんか?」


「えっ? あ、ああ。はい。ええと、基本的には、その時間帯ですね」

 

 反射的に答えたものの、質問の意図が読めず、頭が追いつかない。

 アシュレイはぎこちなく、規則を確認するようなかしこまった口調で続ける。


「アップルトン校長も『帰ろう』と仰っていましたので、現時点では、業務時間外と判断して差し支えないと考えています」


「……そ、うですね。形式的には、終業時刻はすでに過ぎているかと」


 私自身は、このあと校内の結界点検に回る予定だったし、昼間に起きたトラブルについての一次報告書も、出来るだけ早くまとめて提出しておかなければならない。

 ……けれど、それらは〝任意対応〟という扱いになる。

  

 今、わざわざ口に出すことでもない。

 言いかけた言葉を飲み込み、私はただ、頷くだけにとどめた。


 アシュレイは私の返答を聞くと、ふう、と肩から力を抜いた。

 そして、ほんの少しだけ、照れたように笑う。

 

「でしたら、そろそろ、この口調もそぐわないかと。というか、正直、だいぶ、こそばゆい。……昔みたいに話しても良いかな?」

 

 カチリ、とどこかで金属の歯車が噛み合う音がした。

 塔の上からは見えないけれど、大時計の針がちょうど一つ、時を刻んだのかもしれない。

 

「……うん」

 

 私は素直に頷いた。

 

「うん。もちろん……もちろん良いに決まってる」

 

――アシュレイ・ソーンヴェイル。

 

 私が勝手に宿敵にし、ライバルにし、何かにつけて張り合い、無理やり因縁をつけた相手であり。

 学生時代、実技でも座学でも、一度たりとて勝てなかった、生粋の天才だ。

 

 ……さらに言えば。

 

 彼は私の初恋であり、そして私を丁寧に振った、紳士である。

 けれどそれ以前に。

 

「……おかえり」

 

 けれどそれ以前に、私は、私たちは、良き友人同士であったのだ。

 

「おかえり! アシュレイ!」

 

 私が〝ただのリリー・ベネット〟として笑いかけると、彼はまた眩しそうに目を細め、そしてどこかくすぐったそうに笑った。

 

「ただいま。……本当に久しぶり、リリー」

 

 実に、六年ぶりの再会であった。



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