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6

 

 ずいぶんと長いあいだ、眠っていたらしい。

 

 窓から差し込む日差しはすでに傾き、白いカーテンが、まるで淡い灯火でも(くる)んだように橙色を透かして揺れている。

 どこからともなく生徒たちの楽しげな声が届いてきて、ああ、もう放課後なのだと気づいた。

 お言葉に甘えたとはいえ、あまりにもぐっすり眠っていたようだ。

 

 私は寝ぼけ眼で辺りを見回す。

 ゆっくり瞬きを繰り返すたび、乾いた瞳に潤いが戻ってきて、他の五感とともに辺りの景色が鮮明に結び直された。

 

 厚い石造りの壁。薬品と香草のにおい。

 

 そうか。医務室で半ば押し切られるよう寝かしつけられて、そのまま意識を手放したんだった。

 

「……懐かしい夢だったな」

 

 ぽつりと呟く。

 右腕を目の上にかざし、差し込む光を遮るようにして、もう一度そっと目を閉じる。

 


 つ。

 


 疲れた〜〜〜〜!


 

 心理的にも、情報的にも、どうしようもなく疲れる夢だった。

 もともと私は、テスト前や試験直前になると、緊張からか悪夢を見やすい性分だ。やれ羽ペンを忘れただの、杖を落としただの、そもそも試験会場に辿り着けないだの。〝疲れる〟レパートリーには事欠かない。

 

 でも今回は、ただの悪い夢想ではなかった。

 まさしく、過去そのものの追想……だからこそ、疲労感の質が違う。輪をかけてひどい。

 

 でも。

 栄養剤を打ってもらったことと、久しぶりにまともな寝具で体を休められたこと。あとは看護機械人形(メディスフィア)のマッサージの賜物か。

 

 この三つのおかげで、身体は驚くくらい軽かった。

 

「起きたのネ」

「うわぁお!?」

 

 突然、真横から声をかけられて、反射的に跳ね起きる。

 バッ、と左を見れば、そこには夢の中よりも年月を重ねたグランマリュエ先生が、丸椅子に腰掛けて、悠々と魔導書を読んでいた。

 

「グランマリュエ先生!? ど、どうなさったんです? お加減は……」

 

 グランマリュエ先生は、六年経った今でもロズリンに籍を置いていた。

 とはいえ、現在は体調を崩して療養中のはずで、温室の管理も、彼の親戚筋にあたる女性が臨時で引き継いでいる。 

 

 先生は魔導書をパタ、と閉じ、膝の上へ丁寧に置いた。

 そして私と目を合わせて、静かに一つ頷く。

 

「ま、ネ。具合はだいぶヨロシ。もともとワタシも過労がたたったのでネ。休めば治るヨ。今日はリリーの様子を見に来たのネ」

 

「えっ……」

 

 私の……?

 

 キュン、と胸を押さえた私に、グランマリュエ先生は「違う違う」と手を振った。

 

「温室にいるリリーの方ヨ」

「あ、ああ……」

 

 そうだった。臨時の管理人である女性の名前も、リリーさん。

 生徒たちからは、その心根の温かさから「ホワイト先生」という愛称で親しまれている。ちなみに彼女の髪色は、私の金髪とは対照的な艶のある黒髪だ。

 

 グランマリュエ先生はもう一度頷く。

 

「けど、ちょうど良かったネ。ソーンヴェイルくんが来てるとかで」

「う゛っ、ぐ……」

「ベネットくん、どうしたの。マンドラゴラでももう少し綺麗な声を上げるケド」

「あ、い、いえ……、お気になさらず……」

 

 今度は違う意味で胸を押さえる羽目になった。

 まるで、無造作にビー玉をばら撒いたカーペットの上を歩かされている気分だ。どこでトラップを踏んで痛い目を見るのか、まったく予測がつかない。怖すぎる。

 

 グランマリュエ先生は続ける。

 

「話を戻すケド。どうも彼、臨時講師としてここに赴任してきたみたいなのネ」


 その一言に、私は呼吸が止まりそうなほど驚いた。

 

「はい!? それ、本当なんですか?」

 

「確かヨ。で、我々教師陣にも説明があるらしくてネ。今日の放課後、まさに今から、ミーティングルームで職員会議。ベネットくんにも連絡、きてるはずヨ」

 

 私は慌てて、自身の魔導端末――魔力通信式スマートデバイス《モアフォン》を探す。

 

 それこそ、昼間の召喚魔法の確認作業で使ったあと、ちゃんと胸ポケットに戻したはず。……あれ、ない。えーと、どこにしまったっけ。このローブ、やたらポケットが多いというか……あ、飴……。

 

 がさごそと服をまさぐる私を見て、グランマリュエ先生が見かねたように指をさす。

 

「サイドテーブルをご覧なさいな」

 

 言われるままに目を向けると、ベッドの横。サイドランプの脚元に、私のモアフォンがちょこんと鎮座していた。

 その、手のひらサイズのクリスタル板からは、通知ウィンドウが次々と浮かび上がっては消えている。

 

 確認すると、グランマリュエ先生の言っていた通り、職員招集の連絡がしっかり届いていた。

 が、それ以上に目を引くのは、今なお届き続けるティアナ先生……もといティアナからの怒涛のメッセージ。

 

『リリー、今どこ?』

『すごいのよ』

『すごいイケメンがいるのよ』

『リリーの同級生なんですって?』

『どういうこと』

『詳しく教えて』

『なんなら間を取り持って欲しいの』

『違うからね。これは色恋の意味じゃなくて。そのままの意味よ、会話が続かなくて凄く気まずいのよ』

『早く来て』

『この人、生きてる?』

 

 アシュレイって、人見知りだったっけ……?

 むしろ、猫を被って流暢に喋り倒し、好青年を演じて人の懐にスルリと入るのが得意なタイプだったはず。

 

 訝しさのあまり、眉間に自然と皺が寄る。

 それを見たグランマリュエ先生が、「ベネットくん、大丈夫? 具合は本当に良くなったのネ?」と、優しく声をかけてくれた。

 

 私は頷く。

 

「はい。問題ありません、もちろん」

 

「それじゃともかく、行こうかネ」

「はい」

 

 ベッドから降りると、グランマリュエ先生も丸椅子からすっと立ち上がる。

 先生の背中を追いながら、私は小さく魔法をかけて、ちょいちょいと身だしなみを整えた。


 医務室のデスクで作業していたハートムーア先生に軽く挨拶をし、廊下に出る。そこで、私はふと思った。


「グランマリュエ先生、その、もしかして私のことを、待っていてくださったんですか?」

 

 正直なところ、一人ではかなり心細かったと思う。

 もしかしたら、ミーティングルームの前で行ったり来たり、ウロウロしては、結局座り込んで泣いていたかもしれない。いや、そんな情けない真似は絶対しない……と、信じたいけれど。

 

 グランマリュエ先生は肩をすくめ、小さく笑った。

 

「余計なお世話かとも思ったけどネ。君たち、昔は仲の良い仔犬みたいにじゃれ合って、いつも賑やかだったのに。七年生の半ばあたりから、パタリと話さなくなったデショ?」

 

――ちょうど、私がアシュレイに一度フラれて、気まずさのあまり彼を徹底的に避けてしまっていた頃のことだ。これに関してはアシュレイは本当になにも悪くない! 私がひたすら一方的に悪い!

 

 そもそも七年生になると、進学と就職の準備のため、クラスメイトと顔を合わせる機会はぐっと減る。進路ごとにカリキュラムが分かれ、授業日や登校日もまちまちになるからだ。

 

 ただ、私とアシュレイは同じ上級学術課程――つまり大学進学組だったので、むしろ固定的に顔を合わせる場面が多かった。

 だからこそ、〝あえて話さなくなった〟のが余計に目立っていたのかもしれない。

 

 とくに、進学希望者は研究論文や魔術理論の提出が義務付けられていて、専門指導の場では否応なく顔を合わせることになる。

 その論文指導を担ってくれていたのが、目の前のグランマリュエ先生その人だった。

 

 アシュレイが『ミスタ』と呼んで純粋に慕っていたのと同じく、私もグランマリュエ先生のことを深く尊敬し、心から敬愛している。

 

 そんな人からのさり気ない気遣いが、ひどく身に染みた。

 思わず、涙腺が緩みそうになる。

 

「ぜんぜい……」

「今は君も先生なんだからネ」

「はい……そうです……」

 

 私とグランマリュエ先生は、並んで静かな廊下を歩く。

 ステンドグラスの窓から西陽が差し込み、大理石の床の上には、鮮やかな色彩がサラサラと揺れていた。まるで宝石の海の上を歩いているようだ。

 

「……それで、ソーンヴェイルくんのことだケド」

 

 コツ、コツ、と二人分の足音が響く中、グランマリュエ先生がぽつりと口を開いた。

 

「彼とは、卒業後もちょくちょく文通していてネ。お互いの近況を、まあ、細々と交わしていたのヨ。それで彼、今は第七観測局の局員なのネ」

 

 私は、知らず息を呑んだ。

 

――第七観測局。

 王国魔法省直属の特務機関。


 その任務は多岐にわたる。異常魔力の監視に始まり、禁術や失伝魔法の封印・管理、魔法災害への現地派遣と初動対処。さらには、魔術的テロ事案への危機対応まで。

 文官職と実働部隊の双方を擁し、省内で唯一〝特例行動権〟を持つ――それが、第七観測局だ。

 

 入局には、魔術技術、魔力制御、封印・結界術、解析能力……そして現場判断力のすべてにおいて、最高水準の資質が求められる。天才でなければ辿り着けない、まさにエリートたちの巣窟である。

 

 アシュレイ・ソーンヴェイルらしい配属先だ、そう思うよりも先に、胸の奥に鋭い疑念が走った。

 

「……観測局の局員である彼が、わざわざ、臨時講師として、一魔法学校に赴任してきた、ということになりますよね?」

「そネ」

「……倫理局の監査が、終わったばかりのこの時期に?」

 

 ドク、ドク、と胸が嫌な音を立てる。

 グランマリュエ先生は「ン」と頷き、「表向きは人員補填、それから教育現場の観察と研究を兼ねた巡回講師の派遣、らしいけどネ」と続ける。

 

「僕は本来、療養中で顔を出せないはずだったからネ、あらかじめ校長の方から、ざっくりと事情を聞かされていたのヨ。……ただ、これがどうも、聞くほどに妙でネ。そもそも事前通達とは名ばかりで、決定通知が急に、しかも強引に届いたらしいのヨ」

 

 ロズリン魔法学校では、三か月前の七月初旬――ちょうど夏休み(サマーホリデー)に入る直前に、魔術倫理局の定期監査が実施されていた。

 

 教員への聴取、生徒からのヒアリング、結界や施設の運用点検、授業風景の視察……。

 学校側は求められたすべての記録と報告書を提出し、約二週間にわたって行われたその監査は、全項目でA評価――つまり「問題なし」と結論づけられていた。

 

 にもかかわらず、今、この時期に、観測局から人間が派遣される?


 〝何かが起きる前〟に動くのが倫理局。

 一方で、〝何かが起きかねないとき〟あるいは〝すでに起きた後〟に動くのが観測局。

  

 本来なら、観測局がこの学校に関与する理由は、どこにもないはず。

 人員補填や巡回講師などという名目は、あくまで建前にしか思えない。


 つまりこれは、この学校に重大な危機が迫っているか……いや、むしろ、その危機を引き起こしかねない〝不穏分子〟が校内にいると、国が見なしたということ。


 そう捉えるほかない、状況だった。

 

「……」

 

 今の今まで、ウダウダと色ボケしていた自分を盛大に引っぱたいてやりたい。

 魔法災害、黒魔術師(テロリスト)、思想逸脱者……いくつもの悪い可能性が、頭の中でグルグルと渦を巻く。

 結論は出ない。けれど、その中心に居座る、ひとつの現実。


――ロズリン内部が、疑われている?


 その思考を、反射的に心が拒んだ。

 この学び舎に、そんな〝分子〟が潜んでいるだなんて、あり得ない、と。

 

 私は、この場所を信じている。

 生徒たちを、教師たちを。ここで過ごしてきた時間のすべてを。だからこそ、疑いの目など向けられるはずがない。

 

 なのにどうして、国はそんな判断を?

 なぜ観測局が?

 そして、よりにもよって、アシュレイを……。

 

 動揺は否定に変わり、否定はやがて不信となり、不信は反発へと姿を変える。

 その矛先が、無意識のうちにどこへ向かおうとしているのか、考えたくなかった。


 思案に暮れる私を横目に、グランマリュエ先生は「その反応が、ま、妥当なんだヨネ……」と、どこか複雑そうに呟いた。


 廊下を曲がり、南棟へと続く中央階段へ差しかかったところで、グランマリュエ先生は不意に足を止める。


「……先生?」


 振り返ると、先生は真っ直ぐに私を見つめた。その顔はいつも通り、無表情に近い。けれど、目と口元にほんのりと慈愛の色が滲んでいる。

 

「ソーンヴェイルくんは六年の間、ロズリンを訪れたことはなかったネ。順当に考えて、そんな暇は無かったでしょう。彼はよく出来た生徒だった……けども、観測局に入るまで、どれだけ大変な思いをして、どれだけの研鑽を積んで、どれだけの難題を自分に課し、それをどう乗り越えてきたのか。……なんて、手紙に書かれていなくとも分かるのヨ」

 

 グランマリュエ先生はふっと目を伏せて、少し寂しそうに笑った。

 

「六年ぶりに訪れた愛すべき古巣で、彼は針の筵のような思いをする。僕はそれがなんだか、悲しくてネ」

 

 私はハッとした。


 もちろん、アシュレイはなにも悪くない。

 彼は観測局の人間として、命を受けてここに来た。それはつまり、機関の、ひいては王国の意思に従って動いているということだ。

 彼自身に、警戒や敵意を向けられる謂れなんて、本来どこにもないはずなのに。


 それでも教師(わたし)たちは、立場上、どうしても彼を〝観測局の人間〟として見てしまう。

 彼が何の目的でこの学校に来たのか、その一点が気にかかって仕方ない。

 本人の意思とは関係なく、その背後にある組織の意図を、つい探ろうとする。


 でもそれは、もしかしたら、とても悲しくて、すごく残酷なことなのかもしれない。


 せっかく戻ってきた母校で。

 温かな歓迎より先に、猜疑の目を向けられることになるなんて。


「僕は、ま、『療養中』なんでネ。ソーンヴェイルくんのことは、ただの元・ロズリン生のソーンヴェイルくん、で良いわけなのヨ。いやぁ、気楽ネ」

 

 グランマリュエ先生はおどけたように肩をすくめた。

 そして、止めていた足を再び踏み出し、「引き止めて悪かったネ」と瞳で私を促す。

 

「ベネットくん。君がどうするかは、君が決めなさい」

 

 階段を登りながら、先生はそう言った。

 

「はい」

 

 私ははっきりと頷く。先生に言われるまで気付けなかった、自分の浅はかさを、心の底から恥じながら。

 

 アシュレイ・ソーンヴェイルのことを、私はよく知っている。

 ずっと、知っていたじゃないか。

 魔法を愛し、敬い、その光と影を誰よりも理解し、識った上で、それでも共に息をしたいと、魔術の手を取った人。

 

 ならば私は、彼を()()見よう。

 魔法と、魔術と共に、より良く生きるために、ここに来た人だと。


 



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