4
結果的に、『処置』が必要だったのは、私のほうだった――と言えるかもしれない。
「ああ、この子ね、もう下手に魔導輸液は使わないほうが良いかも。古い詩でよく言うでしょう、『眠れ若人、夢路こそ魔の泉なり』。若い魔術師は寝て治せ、ってね。あはは。えーと、キアン・モーズリーくん、五年生。ヴェルウィン・ホロウ寮に所属、と……なるほどね、あの寮は芸術家肌の生徒が多いと言うか、まぁ、折に触れて突拍子もないことをするよね。こんなこともあるある。いやないに越したことはないんだよなぁ、僕だって疲労困憊だよ。ベッドで寝たーい。てなわけで、外泊申請を出しておきます。今夜は念のため、医務室でお預かりということで」
校医のハートムーア先生は、黒革のバインダーに目を落としながら、いつもどおりの調子で滔々と喋り続ける。
魔導カルテは魔力感応式だと聞く。術者の魔力に反応して文字が浮かび上がるため、筆記具は不要らしい。
例の男子生徒――キアン・モーズリーは、いまや医務室のベッドの一つに横たわっていた。
看護機械人形に毛布をかけられ、甲斐甲斐しくマッサージまでされている。
医務室は、ロズリン魔法学校のちょうど中央に位置している。
厚い石造りの壁には薬品棚がずらりと並び、魔法薬や液浸標本、色とりどりの結晶を詰めた瓶が整然と収まっていた。
アーチ状の天井からは、薬草を束ねた香具やランタンが等間隔で吊るされ、医務室特有の匂いと温度が漂う。緊張するような、落ち着くような、独特の空気。それは生徒だった頃も、教師になった今も変わらない。
ハートムーア先生は、一通りの確認と記録を終えると、校章が刻まれたバインダーをパタンと閉じた。
次いで、顔を上げてから「それよりも、リリー先生ですよ」とにっこり微笑む。
彼が目を細めると、左目の泣きぼくろがより印象的に映える。私は思わずどきりとした。
「ん? え? 私ですか?」
まさか矛先がこちらに向くとは思わなかった。つい素っ頓狂な声が出てしまう。
ハートムーア先生は「そう、あなた」と軽く肩をすくめ、自身の目の下を人差し指でツとなぞりながら言った。「最後に寝たのはいつです?」
私はつられるように、自分の両目の下を押さえ、ごにょごにょと口ごもる。
「仮眠は、取っているんですが」
ハートムーア先生がピシャリと言い放つ。
「仮に眠ることを、世の中は睡眠と定義しませんな。その様子じゃ軽く一週間は寝てないでしょ。は〜い一名様ご案内、いらっしゃいませロズリン魔法学校医務室、とぉっておきのフカフカベッドへ。ついでに栄養剤も打っときましょう。あのね、昨今の魔術師がなんで死ぬか知ってます? 聞いてびっくり、だけど納得。過労ですよ、か・ろ・う。あなたは一度、自分の顔色を鏡でちゃんと見た方が良い」
ハートムーア先生がパチンと指を鳴らすと、木製のフレームが音を立てて寄ってきて、カタカタと自動で組み上がり、最後にバサッと布が広がる。
なるほど、簡易担架の出来上がりだ。
「ほぉ〜……」と、つい見惚れた次の瞬間、背中に軽い衝撃が走る。
私は、ぽすんと、その担架の上に倒れ込んでいた。
「え、ちょ、ちょ」
振り返ると、私より小柄な看護機械人形が二人、ふんすと立っていた。どうやら彼女たちが私を押したらしい。
看護機械人形の顔は仮面を模した穏やかな造りで、瞳の部分には丸い紫色の魔晶石がはめ込まれている。
ただ、そのつぶらな視線が、今は刺々しく感じてしまうのは何故だろう……。
「ま、待ってください、私、午後は魔力制御基礎IIの授業が……!」
担架に押し込まれ、よいせ、よいせとベッドまで運ばれながらも、私は慌てて訴える。
私が専ら担う科目は『防衛魔術』だけれど、副担当として『魔力制御基礎』も受け持っている。
専任の担当教諭、ゼベル先生の補佐としてだ。
そのゼベル先生になんの連絡も入れていないし、私だけ医務室でのんびり寝こけるわけにはいかない。
けれど、ハートムーア先生はケロッとしていた。
「ああね、それ副任のコマでしょう。大丈夫大丈夫、あの首から魔導具ブラブラお化けは一人で難なくこなしますよ。その当のゼベル先生も心配していたしね。いや職員同士のグループチャット内でも議題に上がるくらいだから。『最近のリリー先生は頑張りすぎてて偉いけどちょっと心配〜』、って」
私は愕然とした。
「…………私…………そのグループチャット…………知りません…………」
「ああ、うん、あなた入ってないから」
――〝今〟はね。ほら昨夜? 一昨日? 一瞬だけ校内の魔導通信網に謎の異常波形が混入したとかで、セキュリティ保護のために既存の情報交換ツールは一括自動移行したでしょう? グループチャットに関しては私的な扱いだから、また新しく作り直したんだけど。まだ全員に招待コードを送れてなくて……あれ、聞いてる?
ハートムーア先生がなにか言っているが、私にはよく聞こえない。
看護機械人形にベッドへ優しく押し込まれ、シャッ、と白い染色結界布のカーテンで囲われる。
場を区切られ、日差しを遮られ。落ち着く薄暗さの中、丁寧に毛布をかけられて、肩からふくらはぎまでをゆるやかに解されると、もう意識を保つことが難しい。
なにより。
――私……ハブられていた……。
初恋の人に再会した混乱が冷めやらぬ中、教員内で自分が仲間外れにされていたショック。
それをトドメに、私は意識を失った。