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――悪魔。

 

 異界由来の高位存在に分類される魔法生物。

 その存在原理・出現法則・目的意識が一切定義できないため、学術・宗教・法的文脈いずれにおいても、『予測不能かつ制御不能な存在』として危険視されている。

 

 悪魔は、ほとんどの場合において、人間に対し邪悪にふるまう。

 だが、その行動原理が敵意や悪意に基づくとは限らない。

 無垢な興味、あるいは、人間とは乖離した理解とその実行による結果――それが悪として現れることもあるのだ。

 

 皮肉めいてはいるが、それだけに、言い得て妙でもあった。

 

「……ていうかシビル、なんか、あなたの後ろ、うるさくない?」

 

 通話越しに、さっきから妙な異音が混ざっている気がする。

 耳を澄ませてみれば、「主任!」「主任、もうこれ魔導レーザーでいきますよ!」なんて声に、ドンドンと扉を叩くような、忙しない音まで……。

 

 シビルはこともなげに言った。


「〈実を言うと、五分後に研究開発支援ツールの技術デモが控えてるんだよね。さっきからドアに張った迎撃型結界に、魔導吸着具だの魔導衝撃波だの、みーんなバカスカシュポキュポ当ててきてさぁ。うるさいったらないよ。遠慮というものを知らんのかね〉」

 

「行ってあげて!!」

 

 『ちょうど仕事に手をつける前だった』って、それか!

 社員の方々に申し訳ない! 全部私が悪い! いくら謝っても足りない!

 

 私の叫びに、シビルは「〈えぇ〜? んじゃまず服を着るかぁ……〉」と、ガサゴソ動き始める。嘘でしょ。本当に?

 

 こいつ(うえ)着てなかったのかよ。

 

 じゃあ今までずっと下着姿で作業してたってこと? 私はどういう心でいたらいい。

 

「〈あ、リリー、マダニくんのデータは全部送っとくから。けーどごめん、ユニットが最後に受信した指令とか、送信元の割り出しまでは流石に無理だったや。すまんね。お詫びに下着見る?〉」

 

「見ない。前半に関しては本当にありがとう」

 

「〈おーん……〉」

 

 シビルはひどく寂しそうに、シューマン共振にでも同期した鯨みたいな声を上げた。どうやって出してるんだろう。なんかその声、磁場の心に響きそうだな。

 

「〈んじゃま、そんなわけで。ワタクシはそろそろ仕事に戻りますわ。あー〝セルジオ〟にもよろしく言っといて。え、続いてるよね?〉」

 

「関係はいたって良好よ」

 

「〈ふーい良かった。これで『別れる』だの『別れた』だの言われたらどうしようかと思ったよ〜、また惚気を聞かせて。仲良くね。そしてソーンヴェイルっち……〉」


 呼ばれたアシュレイが、かすかに首を傾げる。

 

 シビルは極めて真摯な声で言った。

 ……最初だけ。

 

「〈健闘を、祈るよ………………ぷふぅー!〉」

「あはは。さようなら、ヴァレンシアさん」

 

 アシュレイは非常に美しい笑顔で別れを告げたものの、しかしこめかみに青筋が見えるような、静かな憤怒をたたえていた。

 

 通話の向こうでは、いよいよ「突破ーー!!」「確保ーー!!」「主任ーー!!」「うわーー!! この人服を着ていない!!」と、轟音と悲鳴が入り乱れる。

 

 私は黙って、シビルとの通信を切った。

 

「相変わらず、すごいわね……」


 『エーテリック・ネスト』内で、シビルの奔放さに皆が手を焼いている場面は、これまでも何度か見たことがある。


 とはいえ、今回は流石に悪いことをしてしまった。

 いつも我儘を言ったり言われたりの関係だからと、急を要するとはいえ強引に助力を求めてしまったが……果たして、技術デモンストレーションは滞りなく進むだろうか。


 いや、進んでくれ。


 こちらの方こそ、今はただ、せめて健闘を祈るばかりだ。

 

 さて。

――こちらはこちらで、やるべきことを片付けなければならない。


 私は席を立つことなく向き直り、未だどことなく強張った表情のアシュレイに確認を取った。

 

「アシュレイ、あなたがまとめてくれた一次報告書だけど、不備はひとつも見当たらないわ。良ければ、このまま提出させてもらっても良い?」

 

「え? ああ、もちろん。どうぞ」

 

 アシュレイははっとしたように表情を緩め、それからにっこり笑って快諾する。

 

 私は手近にあった執務用の羽根ペンで、備考欄にさらりと一筆添えた。

 『特異事象に関する補足事項あり。詳細は校長への別途報告にて』。


 それから、引き出しの取っ手に手をかける。

 内側で、カチャン、と、私の魔力を認識した錠が静かに外れた。

 

 中には、署名専用の羽根ペンとインクが収められている。

 ペン軸には私の魔力波長が、濃紫のインクには微量の特殊な魔導鉱粉が混ぜられており、この二つと筆跡が揃って初めて、正式な『本人署名』としての効力を持つ仕組みだ。

 

 私は報告書の署名欄に『リリー・ベネット』と記入し、書類をアシュレイの前へ滑らせる。

 

「あなたの名前も書いて」

 

 アシュレイは瞳をわずかに見開き、一度瞬いた。

 

「俺にその権限はないよ。臨時講師は原則、『筆頭教員の承認下で行動する』扱いだから。署名しても無効になる」

 

 それは確かに、その通りだ。

 ただし、『備考欄に補助として名前を残す』程度の記録なら、十分に許容されている。

 

「良いから。これはあなたが仕上げてくれた報告書でしょう。〝私が全部書きました〟みたいな顔をさせないで」

 

 そして――なにより。

 

「ここには、局員(あなた)の名前が必要なの」


 アシュレイは、ほんの微かに目を眇めた。

 まるで、こちらを見定めるかのように。

 

「……分かった」


 アシュレイが頷くのを見てから、私は机の上に常備してあるインク壺と、先ほど使っていた執務用の羽根ペンを引き寄せ、彼に手渡す。

 アシュレイは受け取った筆記具で、報告書の余白に、細く、整った筆跡でこう記した。

 『補助対応、アシュレイ・ソーンヴェイル』。


「それで、私の疑いは、今どのくらい?」


 その瞬間、アシュレイが動きを止めた。

 ペン先がちょうど紙から離れる直前だったせいで、インクが黒く、名前の端で丸く滲む。


「そうだね」

 

 顔を上げたアシュレイが、静かに言った。


「今のところ、一番疑わしいのは――リリー・ベネット。貴女かな」


 ……やっぱり、そうか〜。


 おそらくアシュレイは、赴任してすぐ、あの召喚魔法の事故現場に居合わせた。

 事態が収拾し、私がキアン・モーズリーを医務室へ運んで、その後ぐーすか寝こけていたあの時分。

 彼は記録と確認を兼ねて中庭を調べ、あのブレスレットを見つけた。


 そして、すぐに気付いた。

 『これは妙だ。なにかが仕込まれている』と。


 おそらく私と同じように、画像での記録だけは残しただろう。

 第七観測局の局員なら、その〝違和感〟の種類から、何が仕込まれていたのか、ある程度の見当はついたかもしれない。

 時間が経てば自壊する――その可能性すら、念頭に置いていたはず。


 にもかかわらず、校長にも、他の教員にも報告せず、第七観測局の権限で動くこともなく。

 わざわざ、〝今このとき〟まで、誰の手にも渡さずにいた。

 

 それは何故か?


 一つは、校内に内通者がいる可能性を考え、証拠隠滅を警戒したから。

 二つは、あえて時間を設けて、犯人が自壊機能を逆手に取って動くのを見越し、証拠保全より先に、真犯人の特定を優先したから。

 

 そして、その犯人の最有力候補が、他ならぬ私、いうわけだ。


 それも正直、納得はできてしまう。

 けれど一応は、アシュレイの口から聞いておきたかった。


「一応聞くけど、なんで?」

 

 私の問いに、アシュレイは肩の力が抜けるように苦笑した。

 どこか諦めを滲ませた蒼い双眸が、こちらの視線と交差する。

 

「リリー・ベネットさん。貴女は私の性格を良く知っていると思うけど。ご察しのとおり、上からはこう言われて送り込まれたんだよ。『余計なことは言うな。笑って済む相手なら微笑んで終わりにしろ』――」

 

 私の目の前にいるアシュレイ・ソーンヴェイルは、いつの間にか、〝かつての同級生〟でも、〝良き友人〟でも、〝臨時の補佐役〟でもなく。〝第七観測局のアシュレイ・ソーンヴェイル〟になっていた。

 

「でも貴女は、私が微笑んだところで諦めてくれる人じゃないからね。いいよ。少しだけ話そう」

 

 彼は右手に持っていた羽ペンを、机の上へ静かに置く。

 その動きと同時に、苦笑を拭った彼の顔は、どこか冷めていた。


「まず言っておくけど、私がこの学校に臨時講師として赴任してきたことと、今回の事件に関連があるかどうか。それについては、何も言わない。私はあくまで、優れた魔導技術者として、専門知識の提供と、教育現場の観察・研究を目的にここへやってきたのだから」

 

 その言葉は、半分以上がすでに答え合わせだった。

 だがアシュレイは、私がもうとっくに『気付いている』ことに、『気付いている』。

 隠すまでもない、という判断らしい。

 

 彼は目を伏せ、その視線を机の上のブレスレットへと意味深に滑らせた。長いまつ毛が、頬に淡い翳りを落とす。


「キアン・モーズリーくんのブレスレットに特殊な細工を施し、ひいては彼の術式を暴走させた犯人として、なぜ私が貴女を最も疑うのか。理由は単純だよ。貴女が一番〝可能〟だからだ。技術的にも状況的にもね」

 

「え……」

 

 〝状況的に〟というのは、分かる。

 なにせ、私はあの場で対処に当たっていた唯一の教員だった。

 術式の補完にせよ、魔導ユニットの起動にせよ、私の裁量ひとつでどうにでもできた。


 第一容疑者として疑われるのは、極めて順当だ。

 

 けれど、技術的?

 それはつまり、私にもあの魔導ユニットが『作れる』と、そう見なされている、ということだろうか?

 

 え……。

 あれを……?

 

 果たして、私に作れるのか……?

 

 私は顎に指を添え、思考した。

 脳裏に立ち上がるのは、極小構造体の三次元断面図。

 マダニ型ユニットの複合素材を瞬時に層ごとへと分解し、強度と柔軟性、その最適解をはじき出していく。

 

 伝導回路は螺旋型。

 魔力中継用の素子には、粒子干渉耐性の高いエーテル炭化膜。

 魔力反応弁は、術者の呼吸波形に同調する可変機構を――いや、さらに応答性を高めるなら、感情値にもリンクさせるべきだ。


 動作核には、思念干渉式の圧縮自己相似性回路を埋め込む。

 波形擾乱用の〝増幅の揺らぎ〟は、術者の魔力帯域に応じて動的生成。

 サイズと熱放散係数を考慮し、発熱時に無害化する自壊プロトコルを走らせて……あとは、外装ユニットをミサンガの撚りに沿って埋め込むための実装手順を想定すれば……。


――できる。

 設計だけなら、五分もあれば充分。

 資材と道具、それと多少の時間さえあれば、半日で実働モデルを仕上げるのも不可能じゃない。

 

 あ、出来る。 

 

 出来るわ。

 

 やおら顔を上げた私に、アシュレイはキュッ……と瞳を閉じて、困ったように眉を寄せた。

 

「ごめ、あの、ちょっと一旦良い? あのねリリー、その『出来るわ』って顔をするのはやめよう。俺の前だから良かったものの、他の局員相手なら尋問が始まってるからね」

 

「エーテル吸振性と撥魔性を両立する必要があるなら、やっぱりカーボン混成の星糸系よね。でもナノ単位で撚ると帯電しやすくなるから、その対策として」

 

「〇・〇三パーセントの銀糸を撚り込めば大丈夫。外装の表面加工は三層偏光魔素コーティングが最善かな。うん。ありがとう、リリー。もうそこまでで」

 

「でも、私、わざわざマダニ型は選ばないかも。擬態用途でも形状的にも……」

 

「ああ、あれは流石に俺も驚いた。マダニの形状なんて初めて見たよ。昆虫型の主流と言えば、大抵は蟻か蜘蛛か……せいぜい蚊くらいだから」

 

「中型になってくると、爬虫類や両生類にシフトするわよね」

 

「そうそう」

 

 はた……と、私たちは顔を見合わせる。

 そして無言のまま、息を揃えて、両手で架空の箱を持つ仕草をし、そっと横に置いた。

 ()()は脱線した話題である……。



架空の世界を描くとき、いつも迷ってしまうのですが、やはり“≒なサンドウィッチ伯爵”や“ヴィンフリート・オットー・シューマン”が実在していた……ということにしてしまった方が、世界観としてしっくりきますよね……。

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