13
「は?」
私たちは同時に声を上げた。
マダニ? ……あの、吸血する虫?
血管に喰いついて成分を吸い上げる、あの……?
まさか、ブレスレットの中に潜んでいた〝何か〟って――。
「〈ただし正確には、マダニの形を模した『生体型ナノ魔導ユニット』。しかも、吸血じゃなく〝供給型〟……ってところがポイント〉」
ピコン、と私のモアフォンが通知音を鳴らした。
シビルから届いたのは、ブレスレットの断面を拡大した画像。
私とアシュレイは、それを一緒に覗き込む。
糸の撚り目。
繊維の奥――その微かな隙間に、ぴたりと入り込んだ〝何か〟。
神経節のような配線を持つ、極小ユニット。楕円形の本体に、脚のような構造。
まるで小さな虫のような……。
「マダニだ……」
「マダニだね……」
「〈そそ。サイズは約〇・三ミリ以下。構造はご覧の通り。これは『擬似生物共鳴理論』を応用した古典的な術式構造でね。生物の形――特に生命反応を模倣した構造体って、魔力の伝導効率がぐっと上がるんだ〉」
シビルは、そこで一息置いた。
「〈でね。この個体――ブレスレット内部に巧妙に仕込まれていたけど、中身は完全に魔力注入装置だった。宿主の魔力回路に、外から魔力を逆流させて送り込んでた形跡がある〉」
魔力を……逆流?
私の喉が、知らず、こくりと上下する。
「〈しかもね。単なる魔力じゃない。〝増幅の波形〟が混ざってた〉」
モアフォンの向こうで、椅子が軋む音がした。
シビルが背もたれに体を預けたらしい。少し声が遠くなる。
「〈つまりこのマダニくん、術者の魔力に自動で同期して、感情の波形と〝共振〟するよう設計されてたんだな。結果、無意識のうちに魔術の出力がじわじわと引き上げられちゃうってわけ。まるで、術式を〝煽る〟ような補助装置……いや、もはや妨害装置かな? 厄介だよ。タチ悪いね。支援と干渉の境界が曖昧で、本人にはまず気づけない〉」
私は息を詰めて聞き入った。
アシュレイの視線も、険しさを増していく。
シビルはさらに続ける。
「〈挙句の果てには、魔導ネットからの〝外部同期信号〟を受け取った痕跡もあった。つまり、起動のきっかけは術者本人じゃない。外部からスイッチを入れられた可能性が高いんだよね〉」
私は口元に手を当て、思考を整理する。
――キアン・モーズリーが身につけていた、あのブレスレット。
そこには、魔導的な寄生ユニットが仕込まれていた。
術者の魔力に接続し、出力をわずかに上乗せする。
感情波に同調し、魔力の安定性を狂わせる。
しかも、外部からの命令で起動し、暴走を〝促す〟……。
『――誰かが術式と魔力を補完した。意図的に、暴走を促すために』。
半ば確信していた仮説だというのに。こうも明確に的中してしまうと、不快を通り越して、嫌悪とどうしようもないやるせなさしか残らない。
「〈いや〜しっかし、画像送ってもらって正解だった。この手の疑似生命型ユニットって、観測されると『擬死モード』に入る仕様が多くてさ。リアルタイムだと、こっちが見る前に反応止めちゃうんだよね〉」
シビルの声に、ほんのわずか、高揚が混じる。
「〈でも、静止画なら観測の瞬間を固定できる。擬死する直前の挙動――波形ノイズや干渉痕が、しっかり残ってた。いやぁリリー、さっすがぁ!〉」
それは明らかに、シビルの手腕による成果であって、私の手柄ではないのだけれど。
……今ここで褒めようものなら、こいつ、勢いで服を脱ぎかねないからな。
なので、ひとまず冷静に話を進めた。
「シビル。ああいうタイプのデバイスって――生体魔力や熱が加わると無害化する……つまり、証拠は残らなくなるわよね?」
「〈ん? うん、まあ。そうなってることが多いね。それに、対象から外れると、通常はごく短時間で〝自壊〟するよう設定されてる〉」
やっぱり、そうか〜……。
となると、この魔導ユニットから『誰が仕組んだのか』を直接辿るのは、極めて難しい。
加えて、あの召喚魔法の暴走が『意図的に誘発されたもの』だったとしても、それを証明する決定的な証拠として、この装置を提出することは、まず不可能だろう。
何はともあれ、やはりキアン・モーズリー本人から事情を聞く必要がある。
事故当時、あの場で何が起きていたのか。
そして、このブレスレットを『誰から、どんな経路で』受け取ったのか。
それらを知らずしては、判断のしようがない。
私は、机の上の報告書をもう一度見つめる。
一次報告書は、事故発生から二十四時間以内の提出が義務づけられている。
とはいえ、そこに今回のような推測や、確証のない懸念を盛り込むわけにはいかない。
事実と、あくまで〝推測〟は、明確に線引きしておかなければならないのだから。
だが一方で、この懸念を黙って握り潰していいとも思わなかった。
ユニットが術者本人の魔力に対し、何らかの〝内部干渉〟を行っていた痕跡。構造解析で見つかった、異常な反応パターン。
さらに、通信波形の検出結果が確かなら、魔導通信網への侵入が行われた可能性すらある。
どの要素をとっても、偶発的な暴走で片付けられるものではない。
一次報告は定められた手順通り提出するとして、これとは別に、魔導ユニットの構造と観測記録について、簡単な補足資料を添えたうえで、上層部――校長宛に口頭で共有すべきだろう。
もしもこれが外部からの介入だったとしたら、生徒たちの安全を守るためにも、早急な調査と、同様のユニットが他に存在しないかの確認が必要になる。
私は小さく唸りながら、アシュレイに目をやった。彼はどことなく申し訳なさそうに、例の〝慎ましやかな微笑み〟だけを返してくる。
「……」
「……」
あ。
なるほど。
そういうことか。
すなわち彼は、私と同じ疑念を抱いた上で、今の今まで私を試していた。
そして、今この瞬間もなお、疑っているのだ。
これを仕組んだのは、私の可能性もあると。
アシュレイにしては、ずいぶん悠長に構えているなと思ったが……そう考えれば合点がいく。
彼は、嘘はついていない。
ロズリン魔法学校の教員の就業時間は、午前八時から午後五時までで間違いない。
だが、第七観測局局員としての勤務時間は? 一体いつからいつまでなのだろう。
「……」
「……」
私はアシュレイを『変わらない』と思った。今もそう思っている。
だからこそ、一瞬、ほんの一瞬だけ、かの第七観測局のような現場でどう立ち回っていたのか、などと考えてしまった。
けれど、それは見当違いも甚だしい。
アシュレイは、誠実で実直だ。
だがそれ以上に、有能な人間なのだ。
「……」
「……」
こちらが目と目で思惑を交わし合っていると、モアフォンの向こうから、唐突にシビルの絶叫が飛んだ。
「〈わ、私を放って、二人だけの世界に入らないでくれる!?〉」
続けて「〈すまん、やっぱ無理かもしれん!! いざ見せつけられると脳が破壊される!!〉」と悲鳴まじりに訴える彼女。
……何を言っているのか皆目見当もつかないが、そう簡単に神経伝導温度が臨界を突破し、脳細胞に熱誘導性崩壊が起こるような魔術的破壊現象など、常識的にはまず発生し得ないんだよな。
とはいえ、ここまで手を貸してくれた親友を蔑ろにするなど、とんでもない。
私は素直に、胸元に手を添えて礼を示した。
「シビル、ありがとう。おかげで助かった。また今度、改めてお礼をさせて。なんでもしてあげる」
「〈……えっ……?〉」
「〈今〝なんでも〟って言った? なんでも? 本当に? 本当になんでもいいの?〉」というシビルの確認には、あえて無視を決め込む。経験則上、ここで深掘りしても、ろくなことにならない。
と、そのとき、瞠目してこちらを見つめるアシュレイと目が合った。
……いや、アシュレイも何故ここで驚くんだよ!
そんな中、私の謝意に機嫌を直したらしいシビルが、ふと雑談でもするような気軽さで言葉を投げかけてくる。
「〈しっかし、詳しいことは聞かないけどさ〜。創魔祭、低学年定番のブレスレットに、寄生型の魔導ユニット、かぁ。なーんか、時代だねえ〉」
「どういうこと?」
私は言葉の意図が掴めず、首を傾げた。
「〈ん? いやだって、これ明らかに編み込み段階で仕込まれたものじゃん? だとすれば、仕込んだのは生徒の可能性もあるってことでしょ〉」
「そ――」
そんなわけが。
「そんなわけがないでしょ。学生にできる技術じゃ……」
――そう、思っていた。
……が、言葉の終わりとともに、ひやりとした感触が背筋を這い上がる。
あのユニットは、繊維の撚りの隙間に正確に組み込まれていた。
極小かつ精密な加工技術に加え、微細な魔力制御がなければ成立しない。
さらに、術者の魔力波形に合わせて自動で反応するというなら、魔力連続体の即時解析と同期が必要になる。
術式構造も反応式も、相応に洗練されているはずだ。
極めつけは、魔導ネットから『遠隔起動信号』を受けていた痕跡。
それが本当なら、魔導ネットの通信規格を理解し、外部から干渉可能なように設定を〝書き換えて〟いたことになる。
……一般生徒の技術水準やアクセス権限では、まず不可能だ。
不可能なはずだった。
けれど、現代なら?
「……」
私の逡巡に対し、シビルはむしろ不可解そうな声音で返してくる。
「〈昨今の通信網事情を鑑みたら、まるきりあり得なくもないっしょ?〉」
――手元のモアフォンを見てごらんよ? 今どき『通信パラメータを書き換える方法』とか、『符術式改造パッチの使い方』なんて、動画でいくらでも解説されてる時代なんだわ。
魔導術式の構造や改変例だって、共有サイトを探せば山ほど転がってる。
――『魔力波形の簡易同調テンプレ』に『三分でわかる! 魔導共鳴回路の組み方』……。
昔なら研究者が試験室で扱っていたような知識が、今じゃ切り貼り感覚で流通してる。
法整備なんて、まったく追いついてないしさ。
――本来は、基礎理論を理解した上で使うべき技術。だけど今は、意味がわからなくても〝形だけ〟なら真似できちゃう。
「〈ちゃんと自分で考えて作ったのか、それとも、ただ模倣しただけか。それはまた別問題だけど〉」
シビルの言葉の一つひとつが、私の思考を静かに凍らせていく。
ここ四、五年で、王国内の魔導通信網が全国規模で整備され、それをきっかけに『モアフォン』と呼ばれる魔導通信端末が爆発的に普及した。
とくに若年層への影響は顕著だ。
各地の魔法学校にも端末が導入され、生徒には学生専用モアフォンが支給されている。
本来なら、まだ教えるべきではない術式理論さえも、今では動画講義や体験型アプリを通じて、簡単に触れられるようになった。
再現性の低い危険術式ですら、ネット上に転がるテンプレートを使えば、それらしく〝真似てみせる〟ことも出来てしまうのだ。
にも関わらず、こうした技術の急速な拡大に対し、制度や法整備はまるで追いついていない。
現場の変化のほうがあまりに早すぎて、法案は審議どころか、議題にすら上らないケースがほとんどという有様らしい。
もちろん、生徒用モアフォンには、学術目的に限定したフィルタリング機能が設けられている。
使用時間や術式閲覧の制限、接続可能なサイトの範囲なども、一応は厳格に管理されているのだ――あくまで、建前としては。
だが現実には、八割以上の生徒が『呪式パッチ』を用いて、その制限を解除している、という話だった。
事実だとすれば、そんな形だけの制御など、もはや存在しないに等しい。
――つまり、シビルの言う『生徒が仕込んだ可能性』も、決して頭から否定できるものではなかった。
唖然と固まる私に、シビルが少しばかり皮肉めいた笑みを混ぜて言う。
「〈何をしでかすか分からない反面、旧時代の限界をいともたやすく飛び越えていく……。予測不能にして制御不能。そんな今の子たちのことを、とある評論家がこう呼んでたよ〉」
――悪魔の世代だ、と。