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――拝啓。私が師事した先生方へ。
あなたたちは、やはり〝かくも偉大であった〟。そう言わざるを得ません。
* * *
私は中央の講義棟へ戻ろうと、石造りの回廊をのんびり歩いていた。
中庭に面したこの通路からは、生徒たちの思い思いに過ごす様子が見て取れる。ベンチに座り、昼食のバスケットを広げる子。噴水の縁に腰かけて、夢中で本を読む子。芝生に寝転び、心地よさそうにお昼寝を決め込む子。
――そして、習いたての召喚魔法を、教師の許可もなく突然ぶっ放すガキ。
「あっ」と思った時にはもう遅い。芝生の上、彼の杖で描かれた不完全な魔法陣がきらりと煌めき、ボッ! と勢いよく一つの毛玉が飛び出した。
毛玉は三十センチから四十センチほどの大きさ。白いうさぎの見目をしていて、けれど背中にはコウモリ状の羽が生えている。ちなみに飛べはしない。
そして、抱こうものなら、その身体をスライムのように変形させ、どこへでもつるりと逃げ込んでしまう。それこそ、袖の隙間から、地面のひび割れにまで!
これを幻形種に属する魔法生物、バーフィーと言う。危険度は最下のD、けれどその性質上、ただ愛でるには少々厄介だ。
そんなバーフィーが、一匹のみならず、魔法陣の中から次から次へと、飛び出してきているじゃないか!
跳んだり、跳ねたり、飛ぼうとして飛び損ねて跳ね返ったり――芝生の上は、あっという間に騒がしい毛玉の軍団で溢れかえる。
召喚主の男子生徒も、自分の杖を抱いたまま目を白黒させるしかない。どうやら〝一匹だけ〟喚び出すつもりのようだったけれど、あんな穴だらけの魔法陣でなぜ成功すると思ったのか。先生に説明してほしい。
私はすぐさま、首に引っ提げていた銀の魔導警笛を口に咥える。
『ピピーーッ!』
尖った笛の音が中庭に響き渡り、その場のバーフィーたちが一瞬で静止した。羽をバタつかせていた毛玉も、縦横無尽に跳ねていた毛玉も、ぺたんとその場に座り込む。
ついでに、中庭じゅうの視線がこちらへ集中した。
刺さるような好奇心が地味に痛い。
しかし、私は努めて淡々と告げる。
「防衛魔術担当のリリー・ベネットです。召喚術の規定違反を確認しました。召喚主はその場で待機しなさい」
――職員室の美味しい紅茶を頂こうと思ったのに。
内心、ちょっぴり萎れながら。
* * *
──かつて、魔法は〝神の奇跡〟と呼ばれていた。
人の手には決して届かず、理で測ることも叶わない。それは人智を超えた叡智の果て――神々の領域にこそあるものだと、そう信じられていた。
けれど、人間は諦めなかった。……いや、諦めることが出来なかった。
長い年月をかけて、その〝神秘〟の正体を暴こうと挑み続けたのだ。
ときに無謀な実験を繰り返し、ときに命すら賭け、そしてときには争いにより、数多の犠牲を払いながら。
狂気と紙一重の執念で、魔法の再現を試み、法則を探り、理論を積み重ね、解体し、そして体系化していった。
そうした気の遠くなるような試行錯誤と、いくつもの過ちの末。魔法はついに〝奇跡〟から〝技術〟へと姿を変えたのだった。
人間の抱き続けた憧憬と妄執は、とうとう叡智の果てをも手中に収めるに至ったわけである。
そして今。
人々は魔法を用いて指先に火を灯し、空を翔け、癒しを施す。
ありし日の神秘は『歴史』となり、いまも大切に語り継がれる一方、現代において、魔法はもはや遠いものではない。
街を照らす魔力灯。人々を運ぶ浮上式の魔導列車。誰かと誰かを、あるいは世界そのものを繋ぐ通信術式。
私たちの暮らしのすぐ隣で、ごく自然に、共に息をしている。
そして魔法を扱える者たちは今や、行政、工学、軍事、医療とあらゆる分野で重宝され、『魔術師』という職業のもとに活躍していた。
とはいえ、誰もが一流になれるわけじゃない。
魔力には個人差があるし、なにより魔法を適切に扱うためには、知識と倫理が必要不可欠だ。
だからこそ、魔術師の育成は国家の最重要戦略であり――ここ、ロズリン魔法学校もまた、その最前線を担っている。
ロズリン魔法学校は、伝統と格式を誇る全寮制の名門校。十一歳から十八歳までの生徒たちが、七年かけて魔法を学ぶ。
魔力の扱い方に始まり、術式の基礎構築、魔導理論、魔法史、倫理学。さらには応用魔法までを段階的に身につけ、卒業後は多彩な進路が開かれた。
王国機関、民間企業、研究職、医療術者、対魔法災害要員……はては冒険者に至るまで、実に幅広い。
そして中には、次の世代を導かんと、教師になる者もいる。
ただ、最近つくづく思うのだ。
教師を選んだ人間は、相当に酔狂なのではないか? と。